見樹院(豊島組)の取り組み 「森を守り、健康で長寿 命の建築をみんなの力で」

2014 年 2 月 5 日

kenjuin1 見樹院では、宗祖800年大遠忌記念事業として、伽藍の全面リニューアルに取り組みました。
 小石川傅通院の塔頭であり、大給松平家の菩提寺として三百数十年の歴史を持つとはいえ、100軒そこそこの檀家、墓地の拡張も不可能など様々な制約の上に、少子化や社会・意識の変化で、寺も檀信徒各家も、将来の存続に関わる不安をかかえ、寺のあり方、運営方法を含め、抜本的な改革が求められました。

 今回の計画を組み立てるに当たり、檀信徒総会、総代・世話人会を重ねた結果、目標として、
 ①将来の負担にならない持続可能な寺にすること。
 ②念仏者として、具体的な生き方を提示し、希望を実感できる寺にすること。
 ③「見樹院」の名前をもとに「環境」をアピールできる事業を組み立てること。

 そして法然上人800年大遠忌の意義を現代に問うたとき、他の鎌倉仏教の祖師達を含め、人々が自ら選択し実践する思想史上の大転換を鑑み、
 ④みんなが参加・参画してつくりあげていく寺にすること。
を、4つの大きな柱としました。

 再建計画については10年以上前からあらゆる可能性を追求して、檀信徒ともあちこち見学に行ったり、専門家の意見などを聞いてきました。また、私自身も、自然保護やエネルギー、健康、エコ建築などの活動を通して、様々なご縁を頂いてきました。そして、今回の事業を、「一般社団法人 天然住宅」とのコラボレーションで組み立てることにしました。「天然住宅」は、日本の森林を再生することと、化学物質を使わず健康で超寿命の住まいをつくることを目的に活動している団体です。

 まず建物は、化学物質を用いない天然素材のみでつくり、300年以上の耐用をめざしています。木材はすべて国産の無垢材を、防腐剤等も使わず低温燻煙乾燥したものを使用しています。内装もすべて同様の無垢材や、床材・壁紙の接着剤を含め自然素材のみ。鉄筋コンクリートも、300年耐用の特殊な工法です。

( ↓ 外断熱の外壁も焼杉を使用)
kenjuin2 そして、寺院施設だけではなく、14戸の分譲住宅(マンション)を併設した複合施設として、コーポラティブ方式で建設しました。一般的に言えば土地と建物の「等価交換」で、建築費の大部分を捻出したわけです。「コーポラティブ」というのは、普通のマンションの場合、デベロッパーなどの建主が建築して利益を乗せて分譲するのに対し、最初に住まう人を集めて「建設組合」をつくり、みんなが建主になって建築業者と契約する建て方です。デベロッパーの利益の分、安く購入できるとともに、計画段階からみんなが参加してつくっていくので、隣に誰が住んでいるかわからないということもなく、安心できるコミュニティが形成されやすくなります。

 また、敷地の所有は宗教法人見樹院のままで、マンションの区分所有者と100年の定期借地契約を結んでいます。通常の定期借地権の場合、期間満了時に更地引渡しで、解体積立金を集めておくのが一般的ですが、この建物は300年耐用なので、100年後の満了時は地主である見樹院に無償譲渡という契約になっています。その後は見樹院がそれを賃貸したり再売却するなり活用できることになります。300年の歴史のある見樹院ですが、300年後まで続く資産として、檀信徒はじめ将来への安心感になるはずです。

 以上が事業の概要ですが、あらためて取り組みの意義と、私たちの思いについて述べたいと思います。

■森を守る

 日本は世界最大の木材消費国であり、輸入国でもあります。私自身、アジアなどで日本のために伐採された森林の残骸や、盗伐の木材を積んだトラックにも数多く出会い、心を痛めていました。そして環境破壊によって自然に頼って生きてきた人々が生活できなくなり、さらに地権者や政治家など、現地の一部の人々が潤い、格差が広がり、人権侵害が深刻になっています。

 様々な暴力やからくりによって、不当に安い労働や輸送という命への負荷をかけて安い木材が入ることにより、一方で、日本の林業が崩壊しています。戦後かなりの割合でスギやヒノキなどの造成林になった日本の森は、手入れをする人がいなくなると荒廃し、地すべりや土石流の危険も増大し、災害を引き起こし、水資源にも悪影響を与えています。

kenjuin3
( ↑ 間伐など手入れをしないために細いまま上に伸び、根が育たない)
kenjuin4
( ↑ 間引きはしたが放置されている)

 「天然住宅」は、森を守り、木材を有効に活用し、林業を再生するために、林業者と建築業者やユーザーを結びつける活動を展開しています。私たちも、実際に使う木材を伐りだす山を訪ね、間伐や下草刈りなどを経験しながら貴重な自然を使わせていただく思いを共有しています。都会で消費するものだからこそ「功の多少を計り彼の来処を量り」、生かされている 命の循環の輪の中に、自分自身を位置づける意識が必要だと思います。

■健康な環境を

 次のポイントとして、化学物質を徹底的に排除しています。花粉症をはじめアトピーやアレルギーなどが増えています。その原因は、食品添加物などの化学物質の蓄積だと言われています。しかし実際、一般的に人々が体内に取り込んでしまう化学物質は、空気中から吸い込む方が、食べ物の数倍も多いことがわかっています。それも外気ではなく室内が問題なのです。建材に含まれる防虫剤、防カビ剤。接着剤などから化学物質が室内に充満しているのです。ごく微量であっても、ある日突然、何かに反応して発症するかもしれません。建築・建材メーカーが政治力を発揮しながら設けられた基準では生きていけない人も実際にいるのです。

kenjuin5

 今回、見樹院のコーポラティブの説明会を、近所の学校の新築校舎の教室で開催したところ、部屋に入れないという方が何人もいて、次からは会場を変えました。そういう方々は確実に増えていて、天然住宅の事務所に相談に来る人が絶えません。これまでなかなか理解されず、変人扱いされたり、病院でも原因がわからず精神疾患と判断されるケースも少なくありません。

 そういう声なき声に寄り添って、誰もが安心して住まい、子どもを育てられる環境をつくらなくてはならないという思いで、化学物質を減らすのではなく、最初からゼロのものだけを使っています。
 さらに、火災になった場合、命を落とすのは熱ではなく、圧倒的に有毒ガスによるものです。天然住宅は、もしも火災になっても有毒ガスを発生させません。

■300年の計画―家を消費財から社会資本に

 天然住宅の中心事業は、一般の木造住宅です。化学物質を使わないのと同時に300年の長寿命を前提としています。もともと日本の古民家などは数百年単位で住まうことができます。その森のバイオマスによる低温燻煙乾燥は、囲炉裏で燻されるのと同じ効果によって長持ちします。実際、木材が最も強度を出すのは、伐採して200年後だという研究もあります。接着剤で固めた集成材や合版よりもよほど実績があります。

 今の住宅建築事情で言うと、建築されてから平均して30年足らずで取り壊されています。必ずしも建物の寿命ではないことも多いでしょうが、私たちはこのサイクルを資源環境の面だけではなく、社会のあり方として問題にしています。アパートに住んでいた家族が子どもが大きくなって例えば30年ローンで家を建てたとして、払い終わる頃には取り壊しとなり、また次の世代が同じことを繰り返すのです。GDPを押し上げるのにはいいですが、資源的に考えても、木材がそれなりに育つのには60年かかると言われていますから、持続性がありません。

 そして、人々にとっても、家がいつまでも本当の資産にはならず消費させられる仕組みのサイクルから解脱しないといけないと思います。
 私は子どもたちの支援でパレスチナを何度も訪れています。ガザを始め、経済を封鎖され、自由を奪われた人々は、極限的に貧しい生活を強いられています。しかし10数年前に大々的な空爆が始まる前まで、そんな中でもなんとか暮らしていけるのは、大家族が100年単位で代々住まっている家があるからだと感じました。見樹院の住宅は、コミュニティの資産、いわば社会資本として、未来の人々の生活を支えていくことをめざしています。

■安心のコミュニティづくり

 見樹院では、新しい伽藍をベースに、浄土への願いを発信をすることで、新たなつながりが広がっています。

kenjuin6kenjuin7kenjuin8
 森を守る活動も、子どもでもできる「皮むき間伐」をすすめるグループと連携したり、山地酪農事業者に譲ってもらった牛が私たちの森で大活躍してくれたり、エコビレッジや自然エネルギー事業者、その他様々なNPOや市民グループと共催イベントを開催しています。(写真:皮をむくだけで立ち枯れさせ、そのまま乾燥するので半年後の伐採では女性でも運び出せる)

 檀信徒の総代・世話人会のメンバーもそれぞれ、ホームページやフェイスブックを担当したり、企画から雑務まで、兼務寺との掛け持ちである住職を補佐しています。
 伽藍の続きである14戸のコミュニティは、管理組合を設立し、防災委員会、植栽委員会だけでなく、懇親会やイベントの幹事を申し出てくれます。みな30~40代の働き盛り、子育て世代ですが、町会活動にも積極的に参加し、町会役員からそれぞれ声をかけられることも多くなりました。

kenjuin9
( ↑ 雨水タンクの水を屋上菜園で使うための手押しポンプ)

 計画から現在に至るまで、檀信徒も住民も、かなり時間をかけ、話合いの回数も重ねてきました。NPOだ、100年の定期借地権だ、・・・と、普通に考えればかなりアヤシイと思われても仕方がないプロジェクトですが、未来「浄土」をめざして、可能性を信じ、責任を自覚し、みんなが参加して、みんなで考えて、一緒に生きていくというプラットフォームに、寺がなれればと思っています。

ページ上部に戻る