今月の法話(8月)

2016 年 8 月 1 日

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「身と心」

真野龍人(芝組威徳院)





 身と心を音読みすると「しんしん」。これを国語辞典で引くと、「心身」とあり、精神と肉体のことであります。心が前にあれば、体より優先されるのでしょうか。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」ともいわれますし、「病は気から」」とも申します。また現代は「心の時代」といわれるほど、世間では仏教はまず「精神から」と思われているのでしょうか。

 新宗教などで、「この教えを信じたら、医者が見放した病気が治りました」というのをよく耳にしますが、これはまんざらウソではないかもしれません。いくら医者に診ていただいて薬を処方されても、本人が治そうとする意志がなければあまり効果は望めません。しかし強い信仰心と意欲をもって病に立ち向かい、延命し、治癒される方も確かにおられるようです。農作業で大ケガをして、必死で家にたどり着いて一命を取りとめた方の話を聞きました。逆に交通事故で自分の大出血を見て、助かる命もショック死してしまうことがあるそうです。

 さて一方、同じ読みを仏教辞典で引くと、「身心」と出てこちらは身のほうが前です。浄土宗日常勤行式の「香偈」には、「我が身清きこと香炉の如く」と、まず「身」が登場、次に「我が心の智慧の火の如く」とあります。世間のことわざでも「健全な体には、健全な魂が宿る」といわれます。

 健康の話題では、生活習慣病に関する健康薬品の広告が巷にあふれております。また最近は、うつむきながらスマホを使用し続けると首に「スマホ病」といわれる疲労障害が起きたり、この種の話題には枚挙にいとまがありません。
 せっかくの能力を備えながら、身体がついていけないで終わってしまう方もおられます。「こころ」の棲み家が「からだ」ですので、棲み家が壊れてしまえば、心の拠り所はありません。

 仏教はどちらかに偏らない、極端を避ける宗教です。人はつい熱中し過ぎると視野が狭くなり、他の事がおろそかになって全体の事柄が目に入らなくなってしまいます。「木を見て森を見ず」とはよく申したもので、身心もどちらかに偏るとそれぞれの機能を果たすことができません。
 阿弥陀さまのみ命は永遠ですが、私たちの限られた時間はより豊かに生かし、広く眼を見開いて、命の尽きるまでを充実させたいものであります。

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