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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成31年3月「知っておいてほしい“成年後見制度”のこと」茂田知暁(八王子組勝楽寺)

2019 年 3 月 1 日

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 突然ですが、皆様は“成年後見制度”とは何かご存知でしょうか。すでに制度を利用しているという方はもちろん、テレビなどで取り上げられることもあるので、名前は知っていても内容まではよくわからないという方、または全く聞いたことがない方もいるかと思います。
私のお寺では、過去に何度か“成年後見制度”の講習会を行ったことがあり、今でも必要に応じて相談を受けたり専門家を紹介したりしています。法律のことですから僧侶にとって専門外のことですが、少子高齢の日本社会で檀家さんを守るためにはどうしても必要なことだと私のお寺では考えています。しかし、制度のことに関心のない方は、当然講習や相談には来てくれません。今回はこの場をお借りして、“成年後見制度”のことを簡単にですが説明して、少しでも関心を持つ方が増えていただければと思います。

“成年後見制度”とは、「老化・認知症や知的障害などで判断能力が不十分な方が、財産管理や各種契約の際に不利益にならないよう、家庭裁判所に申し立てをしてその方を援助する人(後見人)を付けて、法律面・生活面から保護し支援する制度」です。例えば、「認知症にかかった家族を介護施設に入居させるために本人の定期預金を解約したい。」という場合、家族なら手続きができると考えている方も多いですが、事実として後見人でなければ手続きは難しいです。他にも、“成年後見制度”を上手に利用すれば、一人暮らしの老人が悪質な訪問販売で高額な商品を買ってしまった時に被害を防ぐことができるなど、様々なメリットが考えられます。

“成年後見制度”は大きく分けて“法定後見制度”と“任意後見制度”の2つがあります。今回私が特に皆様に知っていただき、そして利用してほしいのは、この“任意後見制度”の方です。“任意後見制度”とは、本人の判断力があるうちに、将来の後見人と援助してもらう内容とを本人自身で事前に決めておける制度です。基本的にはどんな人でも任意後見人になれるので、頼ることのできる親族がいない方でも、信用のおける友人や弁護士・司法書士などの専門家を頼ることができます。一方、“法定後見制度”とは、本人の判断力が衰えてしまった後に、その方の家族や市区町村長などが申し立てをして利用する制度で、以前の禁治産制度に当たるものです。

「誰がいつ認知症になるかなんてわからないし、気にするのは早くないか。」と考える方もいるでしょう。確かに、将来のことは誰にもわかりませんし、判断力が衰えてからでも“法定後見制度”は利用ができます。しかし、それだと誰が後見人になるのか、何を支援してもらうのかなどは家庭裁判所が決めることになり、今現在の本人の意志は尊重されなくなってしまいます。ですから、ご家族や皆様自身が元気なうちに、いざという時に備えて“任意後見制度”を利用しておけば、将来にわたって皆様が希望する暮らしを実現できる可能性が高くなるのです。

 お釈迦様は人生の苦しみを大きく分けて「生老病死」の四つの苦を示されました。“成年後見制度”はこの「生老病死」のための準備です。そして普段からのお念仏は阿弥陀様の極楽浄土に往生するための準備です。法律と宗教を上手に使い、不安を解消して、安心の出来る人生を過ごしていただければと思います。
ここでは詳しく書けませんでしたが、“成年後見制度”は対象の方にあわせて様々な種類が用意されています。もし関心を持っていただけたなら、是非インターネットや書籍などで詳しく調べるか、専門家に相談をしていただければ幸いです。
合掌 南無阿弥陀仏

平成31年2月「随喜随悲」服部光治(玉川組光専寺)

2019 年 2 月 1 日

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喜び悲しみをともにする

 私は国際仏教興隆協会という、インドのブッダガヤで印度山日本寺(いんどさん・にっぽんじ)というお寺を運営している公益財団法人の事務員として勤めております。ブッダガヤは「お釈迦様がお悟りを得られた聖地」として知られ、誕生の地ルンビニー、初めて説法をした地サールナート、入滅の地クシナガラと並んで仏教の四大聖地のひとつに数えられます。

 その場所に50年ほど前、浄土宗を始め宗派の違いを越えて、日本の仏教徒が協力して、日本仏教の寺院としてお寺を建立しました。インドの聖地にある日本仏教徒みんなのお寺、その名も印度山日本寺です。

 ブッダガヤの町の中心にはマハーボーディ寺院(大菩提寺)があり、その境内には大きな菩提樹の木があります。ここが正しくお釈迦様がお悟りを得られた場所です。
2600年ほど前、お釈迦様はこの地にあった菩提樹の木の下でお悟りを得られました。
 
 悟りを目指す仏教徒において、お釈迦様が実際に悟りを得られたこの地は最上の聖地とされ、世界中の仏教徒をはじめ、多くの観光客も参拝にやってきます。2002年には世界文化遺産に登録されました。

 ブッダガヤを訪れる仏教徒は、皆それぞれの国に伝わった教えに基づき、参拝や修行を重ねています。マハーボーディ寺院の塔の周囲を五体投地という礼拝をしながら進む人や、近くに犬が来ようとも静かに何時間も瞑想を続ける人、体を揺らし独特のリズムで懸命に経を読む人、皆、熱心に行じています。
 気候の良いシーズンともなると境内は人でごった返し、仏法がこんなにも広まっていることを、そしてその仏法に依って行ずる人が多いことを改めて感じさせられます。

 ちなみにインドでは、仏教自体は衰退しヒンドゥー教の中に取り込まれますが、お釈迦様もヒンドゥー教の神様の一人であるため、多くのヒンドゥー教徒の方々も参拝に訪れます。この地は、仏教・お釈迦様という共有点をもとに人々が集まる聖地という環境が他のまちとは異なり、何とも言えない独特の平和な雰囲気を作り出しています。

 しかしその一方で、ブッダガヤの位置するビハール州は、広いインドの中でも最も貧しいとも言われる地域です。識字率も低く、これといった産業がないため、現地の住民には厳しい生活をする人も多く暮らしています。直接土の上で生活をしたり、小さい子がさらに小さい子の子守をしていたり、さらには物乞いをせざるを得ない方もいます。
 マハーボーディ寺院など外に出るたびに彼らを目にし、どう振る舞ってよいものか戸惑い、その光景に心を痛めたのは私だけではないと思います。

 ここブッダガヤに参りますと、喜び悲しみをともにする「随喜」「随悲」、という教えを強く意識させられます。
 お釈迦様は、他人が善い行いを修めるのを見ては、ともにこれを喜び、困難に向かう人を見れば、ともに震えともに悲しむ、その心を常に意識し実践するよう教えられました。

 海外の仏教に精通し活躍された先人であります渡辺海旭上人(1872ー1933)は、「最も美しい仏教の言葉」としてこの随悲をあげています。お釈迦様は古(いにしえ)のこの地で辛く困難に向かう人に寄り添い、ともに震え、ともに悲しんだことでしょう。

 そしてまた、数限りない苦悩する人々のために、こころを震わせ、ともに悲しみ、ともに痛みを感じてくださる仏様がいます、それが阿弥陀如来様です。
私たちが「南無阿弥陀仏」とそのお名前を呼ぶだけでそばにいてくれ、どんなときにも離れずにいてくださる。こんなに心強いことはありません。
 阿弥陀様と離れないためには、日ごろのお念仏が肝要です。皆様がお念仏とともに、阿弥陀様とともに、お念仏の生活をお送り頂けたら幸いです。南無阿弥陀仏

㏚. ぜひ聖地ブッダガヤへ、そして印度山日本寺へも一度訪れてみてくださいね。

平成31年1月「「幸せ」の意味を問い直す~「お念仏から始まる幸せ」に寄せて~」佐藤雅彦(教化団長・豊島組浄心寺)

2019 年 1 月 1 日

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●浄土宗開宗850年
 浄土宗では、5年後の2024年に「開宗850年」を迎えます。これは宗祖・法然上人が誰もが救われる道を求め、阿弥陀仏のお名前を称える念仏を広めて「浄土宗」を開いて850年が経過した、尊く大きな節目の年に当たります。この尊い意義を伝えるために、浄土宗では「お念仏から始まる幸せ」という標語を掲げ、檀信徒をはじめ広く社会の人々に広宣していく予定となっています。そういえば「幸せ」とは何でしょう?今月の法話ではこの標語に取り上げられた「幸せ」の意味について、改めて考えてみたいと思います。

●幸せとは何か?
「人生百年時代」といわれる中、95歳の文筆家・佐藤愛子さんが「幸福とは何ぞや」という著書を出されました。「幸せとは何か?」と問いかける編集者に対して佐藤さんは「自分の幸せをなんで人にたずねるのか」と、幸せは各自、みな異なるものと話しています。
「私たち大正生まれは、幸せが何かなんて考えたこともなかった」
「毎日を生きるのがせいいっぱいで、幸せになろうとして生きたのではなく、明日に向かって、目の前の現実を生きようとして、ひたすら生きてきただけだった」と語っています。戦中戦後を生き抜いてきた人だからこそ言える言葉ではないでしょうか。それに対して現代は、何でもできて当たり前、あって当たり前の時代で、些細なことでも一から作りあげる苦労や大変さも知らずにいる人が多くて、反って幸せを感じる力が弱くなってしまっているのではないか、と指摘する声も聞かれます。便利さと増殖されていく欲望とによって、われわれ現代人は、幸せを感じる力が昔と比べて弱まってしまったのではないでしょうか。

●「苦の世界」に生きる私たち
 幸せを願わぬ人はいないでしょう。しかし幸せを願っても、私たちの生活や人生は、悲しみや思うようにならない辛い出来事にも出会うものです。中には自身の人生を見つめると、悲しみの数の方が幸せの数より多いという人もおられます。なぜこんな苦しい目に会わなければならないのか、どうして思うように生きられないのか、人生を苦しみに感じる人は少なくないと思います。

お釈迦さまは、この世の中とは「耐え忍ばなければならない苦しみの世界」だと教えられました。この「苦しみの世界」のことをインドの言葉で「娑婆(シャバ)」といい、中国では「忍土」(耐え忍ぶ場所)と翻訳されました。この世が苦しみの世界なら、生きてゆく意味や甲斐など、ありゃしないと思う人は少なくないと思います。釈尊は、その苦しみの世界の原因となっているものが、私たちの「とらわれの心(煩悩)」だと教えられました。仏教とはそのとらわれの心をなくし、幸せの実感を得て生きる教え、と言い換えることができます。しかしその迷いの心を失くすこともできない私たち、当たり前の人間(凡夫(ぼんぷ))は、仏さまに救ってもらうほか、真実の苦しみからの救済は得られません。

●マイナスを転じた「有難さ」
 なに不自由なく生活している日常には、感じられなかった幸せを、マイナス「負」の体験をするところから感じることができることが、しばしばあります。病気一つしない健康な生活を送っていた人が、病気を得ていのちの危機というマイナスな出来事に出会って、今まで感じることのできなかった「いのち」をいただいている、それ自体に対する「有難さ」を初めて感じたという人は多いものです。また人生の苦難や悲しみに出会って、今まで平穏無事に過ごしてきたことを、初めて「有難く」感じたという例も同様です。当たり前のように過ごしていることが、実は非常にかけがえのない稀有な出来事であることに気づかされることを「有ることが難しい」「有難い」と私たち日本人は表現してきました。そしてそれを実感するのは、人によって異なるものです。「幸せ」とは「有難さを実感すること」と言い換えることができるのではないでしょうか。

●お念仏から始まる幸せ
 人が生きる中には、人の力ではどうしようもならない出来事に出会わなければならないことがあります。突然の事故や死との出会いは、その代表的なものです。何もない穏やかな日常の中で、突然の死は音も立てずにやってくるものです。

 いつものように夜の時間を過ごし、お休みの挨拶を交わし、眠りにつく。翌朝、なかなか起きてこない家族に、心配して寝室を尋ねると、すでに冷たくなって横たわった姿に出会う。このような死の様子は、住職をしていると年に一度、二度、必ずと言っていいほど遭遇する事例です。別れの挨拶も交わすことなく一生を終えた家族の死に、呆然とする家族。高齢者とは限らず、若い方々の中にも、こうした死の場面にしばしば出会います。遺族も私たち僧侶も、こうして亡くなった人に何をしてあげることができましょう。何もすることができない、死を前にしたその中で「いのちが終わる」のではなく、仏の世界、極楽浄土へ「いのちが生まれていく」ことを願い、祈ることしかできないのではないでしょうか。極楽浄土の御仏・阿弥陀仏と諸菩薩の確かなお迎えを願い「なむあみだぶつ」と称えることしか、私たち当たり前の人間にできることなどありません。まさにそこから仏の世界にいのちは生きて、始まっていくのです。浄土宗を開かれた法然上人は、眠る前に十念を称えることをおすすめになりました。このことをお伝えすると、家族は御仏の世界に「いのちのある」ことに有難さを感じ、死のもつ「終わり」というマイナスのイメージを転じ、御仏の世界に「生まれ、生きる」という有難さを、深い共鳴と感動とともに感じていただくことができるのです。まさにいのちの営みに、お念仏から始まる有難さ、幸せを感じることができると信じられます。

 今年は、新しい時代を迎えます。たとえ世の中がどんなに移ろい変わろうとも、変わることのない心といのちの平穏を願い、お念仏を称えることから有難さを、幸せを実感して生きてまいりましょう。                        合掌 十念

平成30年12月「御縁をいただいて」三輪優順(城北組本性院)

2018 年 12 月 1 日

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 私は浄土宗東京教区児童教化連盟の運営に携わらせていただいております。その御縁で毎年、城北組子供会のお手伝いにも参加しております。
 毎年、子供会が終わりますと、吉例によりまして反省会をスタッフで行います。その雑談のなかで、お手伝い頂いた看護師の方(以降Aさん)から、お話を伺うご縁を頂きました。「ちょっと、聞いてください。」と言ってお話を始められました。Aさんは、お勤め先の病院では(詳細な内容は省きますが)人間の尊厳に踏み込む様なたいへん過酷なお仕事をされております。日々、患者さんの看護は心理的にハードで非常に疲れるとのことでした。お話を伺っているうちに、何か力付けてあげなければと思い、拙い頭を巡らせていると、お檀家さんへ配るパンフレットに「四摂法」の話があった事を思い出しました。

四摂法(ししょうぼう)」=「四摂事」(ししょうじ)とは、 人々を救うために、人々をおさめて守る四つの行いです。
(1)布施 与えること。
(2)愛語 優しい言葉をかけること。
(3)利行(りぎょう) ためをはかること
(4)同事(どうじ) 協同すること   
*(中村元 著 『仏教語大辞典』東京書籍)より

 この話をAさんの話に当てはめると、看護の仕事は患者さんのことを考えて、和やかな顔で患者さんに接する「布施」、相手の気持ちを察して優しい言葉をかける「愛語」、患者さんのためをはかって心を癒す「利行」、患者さんに寄り添い相手の身になって協同する「同事」のような形で、看護の仕事は患者さんに寄り添い、心と体を癒す素晴らしい仕事です。

 頑張って下さいと声をかけて励まそうと思っていたのですが、Aさんは「お坊さん、こんな時はどうしたらいいの?」と言って私を見ました。私は『はっ』として、「お念仏をおとなえ下さい。南無阿弥陀仏と声に出せるときは声に出して、声に出せないときは心の中で。」と答えました。Aさんは、何か得心したようで「やってみます。来年も子供会の手伝いをしたいです。」とおっしゃって笑顔でお帰りになりました。

 この時、浄土宗宗祖法然上人の一枚起請文の『智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし』の部分が頭に浮かびまして、何か余分なことを言わずに、お念仏なんだと気付かせていただいた次第です。今回、このことでAさんに御縁をいただいて、自分が「はっ」として、お念仏を再度強く認識したことで、さらにいろいろな方々にお念仏を勧めて参りたく思いました。ありがとうございました。至心合掌 南無阿弥陀仏

平成30年11月「分け隔てのない仏さまの光」吉田泰樹(浅草組凉源寺)

2018 年 11 月 1 日

 9月のお彼岸が過ぎたころ、住職方の会合で「今月の法話」の執筆を引き受けてしまいました。人前でまともに話もできない身でありながら、この大役をどうしたものかと悩みつつ、書かせていただいています。

 世間では11月になりますと、十夜法要も盛んになってまいりますが、私のお寺では十夜法要を行っていないので、行事の準備もすることなく、近隣のお寺にお手伝いに上がるだけに過ごしています。

 私は特に浄土宗の僧侶の中で、「人権」について学ぶ委員会に所属しています。11月はさまざまな委員会が多く催される月ですが、私も人権の研修会の準備をしたり、他団体の人権研修会に足を運んだりして学びを深めています。このページをご覧の方々は、浄土宗のお檀家やそうでない方々や、僧侶の方もおられることと思います。企業やお役所にお勤めの方の中には、人権の研修会をお受けになった方も多いでしょう。昭和40年以降に生まれたお坊さんは、浄土宗の僧侶の資格を得る課程で人権の講義を聞くことが必要となっています。

 人権の学びとは「さまざまな差別をしない、させない」ということに尽きるのですが、このことは当たり前と理解していても自らの身にかんがみると、はたして大丈夫なのかといつも自省しています。

 仏さまは、分け隔てなく、すべてのものを救うとのお誓いを立てられました。お念仏は、阿弥陀さまのお誓いにより「南無阿弥陀仏」ととなえれば、すべての人を救ってくださる「分け隔てのない」教えです。「人権」の根本的な精神と共通の教えです。

 浄土宗をお開きになった法然上人は、

 月影の いたらぬさとは なけれども
   ながむるひとの こころにぞすむ

と、お詠みになりました。私たちが頼りにする阿弥陀さまを月にたとえて、見上げる人の意識の中に入ってくる様子を表現しています。いたらない我が身ですが、一声でも多く、一人でも多くの人たちにとなえてもらえたらと思います。

 誰でも、いつでも、どこでも唱えられるお念仏こそ、生きとし生けるものの平等を掲げる「人権」の元となる教えだと思うのです。
 差別のない社会を、お念仏のひと声から築いていく「人権」をともに学んでまいりたいと思います。最後までお読みいただき有り難うございました。  合掌

平成30年10月「月と寺参り」大島俊映(北部組全學寺)

2018 年 10 月 1 日

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夏の盛りのある夜、等々力陸上競技場は沸いていました。グラウンドで展開される川崎フロンターレの美しいサッカーと、それを声で後押しする私を含む2万人以上のサポーター。熱気の匂い。そして、見上げれば、スタジアムの照明のはるか上に、半分に欠けた月。月はもちろん、選手たちや観客だけではなく、私たちが先ほどまでいたフロンパークの後片付けをするスタッフも照らします。

フロンパークは、等々力陸上競技場の隣にある広場です。ホームチームのフロンターレが、試合前の多種多様なイベントを行うのに活用しています。私が所属している北部組教化分団はフロンターレと縁があって、その日は部内の若手の僧侶12人で「発酵美話(はっこうびトーク)」というブースを設けました。

―お坊さんに話を聞いてもらって心の中からキレイになろう―というのが「発酵美話」のコンセプトでしたが、猛暑にも関わらず、ブースには多くの方が来てくれました。年輩の奥様が「兄弟と折り合いが悪くて」と相談されていたり、熱心なサポーターの男性が「もっとフロンターレの力になるためにはどうすればいいか」と目を輝かせていたり、中学生の女の子が「親友の彼氏に恋愛相談をしていたらその人を好きになってしまった」と沈んでいたり…。もちろん、ただただ世間話に来た方も多くいました。みなさまに共通していたのは、この地域に住んでいて、フロンターレを応援していて、誰かに自分の話を聞いてほしかったことです。

フロンターレの試合が終わって落ち着いてから、私は「発酵美話」に来てくれた方たちのことを想いました。少しでも前向きになれてくれていたら、願わくは、フロンターレの勝利をスタジアムで見届けた後に、夜空の中に浮かぶ美しい弦月に気付くぐらいには。

読者のみなさまは、法然上人が歌われた浄土宗の宗歌をご存知でしょうか。月にまつわる、次のような歌です。

月かげの いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ

月の光は全てのものを照らして里山にくまなく降り注いでいるけれど月を眺める人以外はその月の美しさはわからない、という意味で、阿弥陀仏の慈悲の心を月にかけて歌われています。今、浄土宗の僧侶に求められているのは、みなさまに念仏を称える心持ちになってもらうこと、すなわち、月を眺めるような余裕を持ってもらうことだと考えています。

そのような考えのもと、地域の方たちの話を聞く機会を増やしたい思いもあって、私は自分のお寺で「みんなの全學寺プロジェクト」を立ち上げました。『陽気なボウズが地域を回す』というフリーペーパーをほぼ毎月発行し、妻がバリスタとしてスペシャリティコーヒーを無料で提供する「ゼンガクジ・フリー・コーヒースタンド」を土日にオープンしています。全學寺フリーペーパーはこちら

また、毎月第3土曜日には「てらのひ」と題して、手芸や講座と共に、若手の僧侶にお願いしてお参りイベントを開催しています。試合前のフロンパークほどの賑わいではもちろんありませんが、心穏やかに念仏をお唱えしています。

このホームページをご覧のみなさまに1番お伝えしたいのは、「墓参り」でなくとも、「寺参り」をしてほしいということです。みなさまの想像よりも多くのお寺がイベントやふれあいを企画しています。自分の菩提寺や地域のお寺に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。そして、そのお寺で僧侶と話したら、夜は月を眺めながら法然上人が歌った宗歌を思い出して、阿弥陀仏の慈悲の心に思いを馳せてほしいと思います。

この『今月の法話』を最後まで読まれた方も、今日の夜空を見上げていただけたら幸いです。新月ではありませんように。
南無阿弥陀仏。

平成30年9月「心に笑顔をもって。」糸山真隆(城西組光照寺)

2018 年 9 月 1 日

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 28年前。私は、あるお宅のお誕生日会に呼ばれていました。海外では、子供のお誕生日会にクラウン(ピエロ)を呼んで盛り上がります。玄関先に「人は出会いで人生が180度変わる」というような額が飾られていたのを覚えています。何故こんな話から始まるかというと、その始まりを話さないと話は見えてきません。
 
 32年前の3月。私は、浄土宗大本山増上寺で3年間の修行を終え、実家の寺に戻り副住職として法務に専念するつもりでいましたが、その年の9月に「リングリングサーカス&バーナム&ベイリークラウンカレッジ」というサーカス学校の日本校に突然の入学、クラウンとなりました。

 このサーカスは、ヒュー・ジャックマンが演じたミュージカル映画『グレイテストショウマン』のモデルとなったものです。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。私が、なぜ180度も違う世界に身を投じたのか?それは、ただただ好奇心からでした。

 私がその学校で学んだこと、
 それは“All for you, it’s my pleasure”(すべては、あなたの為に、それが私の喜び)の精神です。私は、子供の頃から人見知りが激しく人前で何かをすることや話すことができませんでした。ところが、サーカス学校では、ジャグリングにバルーン芸、マジックにパントマイムなど、あらゆる基礎的技術を学び、それを実際に人前で試してみるのです。最初は、観客を喜ばせる技術も乏しく、当然笑いも起こらず拍手もありません。練習に練習を重ね何度もチャレンジしていると、度胸も据わりウケなくても動じなくなります。

 そのうちに、お客様が喜んでくれて笑顔も少しずつ増えてくると、その輪の中にいることが自分にとっての最大の喜びになっていきました。
「皆さんが素敵な笑顔を見せてくれるなら喜んでなんでもしますよ!」“All for you, it’s my pleasure”

 この学校の扉を開いたおかげで、人生の価値観が180度変わりました。私は、現在、住職と芸人との二足の草鞋を履いています。これは、とても極端な生き方かもしれません。しかし、私にとっての根底は同じです。人生に、ユーモアや笑いは不可欠。私は、サーカス学校に行って「笑顔の種」を、たくさん貰ってきました。

 皆様も同じように「笑顔の種」を心の中に、たくさんお持ちのはずです。優しさや思いやりを届けることでも人は笑顔になります。口角を上げて笑顔を作ることだけでも体内から幸福ホルモンのセロトニンが出てストレス発散に繋がります。笑うことによって免疫力もアップするといいます。女性に嬉しいのは美顔・美肌効果にもなるそうですよ。

 人を受けいれる時も、しかめっ面の人はいません。誰もが笑顔で人を迎えるでしょう。嫌なこと辛いことがあっても「明けない夜は無い」という言葉があるように、沈んだ心を「笑顔」という明るい灯で、あたたかく心を照らしてくれます。身近な人から始めて、そこから、たくさんの種を蒔いて、皆様が「笑顔大使」となって周りに笑顔の花を咲かせてゆきませんか。笑顔は、世界共通の言語です。笑顔のお花畑が広がると怒りや憎しみのない世界に一歩ずつでも近づくことでしょう。

 人は仏縁によって繋がり笑顔で人は癒される。

平成30年8月「「南無阿弥陀仏」と称えない方を、阿弥陀様は救われないのか?———願いをおこし、念仏の功徳を回し向ける———」土屋正道(芝組観智院・多聞院)

2018 年 8 月 1 日

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 平成30年7月豪雨により逝去された方々に哀悼の意を表します。
また、一刻も早く行方不明の方々が無事発見されますこと、少しでも早く被災された方々の生活が元に戻られますことを祈念いたします。浄土宗も青年僧侶の街頭募金を皮切りに、継続的な支援をしてまいります。何卒お支えいただきますよう、よろしくお願いいたします。
 地震、津波、噴火、豪雪、豪雨などの災害。海外に目を転じても大旱魃(かんばつ)や竜巻といった自然災害ばかりではなく、放射能被害、銃乱射事件やテロ事件などにいつ遭遇するかわからない世の中と感じます。多くの方々の身内や知人が災害や事件に巻き込まれています。他人事とは思えません。

「あなた…。今どこにいるの?」
当事者の方は、胸も潰れる思いでしょう。
「御隠れになったあの方、行方が分からないあの方は、一体どうなさっているのだろうか?」「仏様や神様は助けてくださるのだろうか?」

 直接のご親族でなくとも、多くの方がお思いになられたのではないでしょうか。
「私の国に生まれたいと願い、私の名を称えるすべての方を救う」

 この阿弥陀様の願いを信じて念仏称える方は救済される。では、称えなかった方は?救われないのだろうか?

 今年50回忌を迎えた私の祖父、土屋観道上人も修行時代に同様の疑問を持ちました。死への恐怖が人一倍強かった彼は浄土教に救われ、早稲田大学理工学部をやめて宗教大学(大正大学の前身)に転身し僧侶になります。大正5年から数年間、宗教大学教授(後の京都百万遍知恩寺66世)中島観琇上人と、光明主義を提唱された近代の高徳、山崎弁栄上人(明年100回忌)という二人の師匠と、増上寺山内多聞室(現多聞院)で起居を共にいたしました。後に眞生(しんせい)主義を掲げ念仏興隆運動を展開することになります。

 ある日、観道青年は観琇上人に尋ねました。

観道「阿弥陀様は、菩薩の時代に念仏を称えたものをお救い下さる願い(本願)をたてたといいますが、称えない人も救ったっていいじゃないですか?」

観琇「もう願いを立ちゃったんだから、しょうがないだろ。どうしてもというなら『称えない人も救う』という願いをお前がおこせ。観道、お前もなかなか頭がいいが、俺が考えるに、阿弥陀様の方がお前より知恵が深いと思うが、どうだ? だが、とても大切な疑問だから念仏修養の中で、時々その疑問を棚から下ろして考えてみなさい」と言われたそうです。さすがの観道も阿弥陀様と比べられたら二の句が継げなかったと言います。

 師僧の観琇上人は
「助け給え。南無阿弥陀仏、助け給え。南無阿弥陀仏」と悲痛なまでの声で自らの救済を願いながら、時として「わが姿を見んもの、わが声を聞かんもの、ことごとく往生を得せしめん」どうか阿弥陀様、私を浄土にお迎えください。往生がかなうならば必ずや仏となり、私の姿を一目見た人、私の声を一声聞いた人を、ことごとく往生させずにはおきません。と自らの願いの言葉を称えていらしたと言います。
 
 自ら積んだ善根功徳の報いを自分だけのものにせず他者に振り向けることを回向と申します。例えば、お隣さんの下山さんが温泉饅頭を買ってきてくださった。日頃仲良くしている功徳ですね。全部食べてもいいのですけれど、お向かいの上川さんのお宅に「下山さんから頂いたお饅頭、少しだけどおすそ分け。どうぞ召し上がれ」とお持ちになる。功徳を自分だけのものにしない。文字通り、回し向けることが回向です。

 法然上人は、
「平生においては毎日のお念仏をも、ともかく懇ろ(ねんごろ)に振り向けましょう」
毎日、念仏を称えた功徳を、亡き方、苦しみの世界にいる方に回向しましょう、と仰り、無量寿経 光明歎徳章をおひきになっていらっしゃいます。(勅修御伝第23巻)

もし三途勤苦(さんずごんく)(火途、刀途、血途(かず、とうず、けちず))の境涯(きょうがい)にあって、この光明に見(まみ)えさせていただければ、みな休息を得て、苦悩がなくなり、その境涯のいのち終わった後、皆ことごとく苦しみの世界を離れさせていただけます。

 念仏を回向するならば、阿弥陀様は、すべての世界に光を放って、生きとし生けるものをお救いくださいます。たとえ三途(火塗・刀塗・血塗)と言われる地獄(絶望)、餓鬼(不平不満)、畜生(恩知らず)という恐ろしい世界にいらっしゃる方も、阿弥陀仏の光に見えることができるならば、休息を得て苦しみを免れ、その世界の命終わる時、苦しみの世界を離れ往生させて頂くことができます、とお説きになっています。
 
「70億人平等往生」と私はよく申しております。(2018.7.24現在、世界人口74億8520万人)しかし阿弥陀様の救済は地球上の人間世界に限られるものではありませんでした。阿弥陀様は、本願を信じ念仏を称える方を救う、とお誓いになられましたが、たとえ念仏にご縁がなかった方、称えなかった方もお見捨てにはなりません。すべての世界を仏様の光明は照らしているのでした。念仏の教えは究極の平等救済の教えであります。

 観道上人は、大正11年に次のようにおっしゃっています。
「眞生主義は、宗祖法然上人の教えを正しく現代に受け継ぐことを理念としました。
この世は闇の世、苦しみの世界と考えるのは自分の目が曇っていたためで、一歩進んで目さえ開ければ、光明はどこにもここにも充ち満ちています。至心に念仏申す人は如来の光明をこうむり、いつしか霊性が開発され、現実の世界でそのまま助かる道が感得されます。未来の救済を願うだけではなく、ただ今から未来世を貫く、永遠の生命と無限の向上を求め、人格の完成を目指します。」この眞生の盟(ちかい)を同じくする念仏ネットワークが、眞生同盟です。

 念仏を称える身は、阿弥陀様に日々護られ、お育てを受け、必ず浄土に迎え取られる、願いがかけられた存在です。その願いに報いるように、仏となる願いをおこし、生きとし生けるものの救済を目指す、そして仏様の御心を少しでもこの世に表すことができるよう、念仏回向していくことが使命であると思います。今日生かされていることを感謝し、使命を果たす御恵みを請い、念仏精進してまいりましょう。南無阿弥陀仏

平成30年7月「“そのとき” に備えていますか?」内田義之(江東組靈山寺)

2018 年 7 月 1 日

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 皆さまは、常日頃から災害に対する備えはありますか?
 私ごとですが、今年の一月に防災士という資格を取得しました。防災士とは、日本防災士機構が認証した民間資格ですので特別な権限はありませんが、日頃から地域の防災について考え、地域の防災力を高めるリーダーとしての役割を担うという位置づけです。

 その講習会では、ワークショップなどの実践的活動と防災知識に関する講義があり、久しぶりに机に向かって、テスト勉強をしました。学生時代から長~いブランクがありましたので、なかなか難儀いたしました。今回は防災士として、浄土宗僧侶として、“そのとき”の備えについてお話しさせて頂きます。

 まず、防災の基本柱は三つ。 ①「自助」 ②「共助」 ③「公助」 があります。一つめの「自助」とは、自分の命は自分で守る、ということ。二つめの「共助」は、共に助け合う。三つめの「公助」は、国や自治体の公の助け、救援物資や支援ということです。
 この防災士講習のなかで、ある講師の方がおっしゃいました。「公助の先は無いから、とにかく後悔しないように万全な備えをしなさい、防災の基本は自助です。普段の備えこそが一番大切です、普段の備えがあってこそ日々の生活を安心して心穏やかに過ごせるのです」と。私はその言葉を受けて、改めて考えさせられました。

 『天災は忘れた頃にやってくる』、皆さんも聞いたことがあるとおもいますが、明治の文豪家、寺田寅彦氏の残した有名な警句です。しかしながらここ数年、温暖化の影響もあってか、忘れる間もなく次々と自然災害が発生しているように感じます。東日本大震災、鬼怒川の氾濫、最近では大分県の土砂災害など規模の大小にかかわらず多くの災害が日本を襲っています。
 では、もっと昔の時代に目を向けてみるとどうでしょうか?例えば浄土宗宗祖、法然上人の時代です。戦乱や飢饉、貧困、自然災害、疫病。たくさんの人々の命が奪われてしまう災いがすぐそこ日常にあったのです。そこで、法然上人は「南無阿弥陀佛」と称えれば、どんな方でも必ず等しく救われる、「南無阿弥陀佛」のみ教え、浄土宗をお開きになったのです。

 今も昔も、時代がいくら変化しようとも、“そのとき”というのは、私たちの普段の暮らしの影に息を潜めてジッとしているのです。「公助の先は無い・・・・」という防災講師の先生の言葉に対して、私は思いました。「私たちには法然上人のお念仏のみ教えがあるじゃないか」と。
 私たち浄土宗の信者は、法然上人のお念仏のみ教え「南無阿弥陀佛」を心のより処としております。お念仏をお称えすれば、どんな人でも極楽浄土の阿弥陀さまが、必ず極楽浄土に救いとってくださいます、決して見捨てたり見落としたりはいたしません。私たちには「公助」の先に阿弥陀さまの救済がございます。念仏による阿弥陀さまからの救いの手ですから、まさに「救助」ですね。
 防災には普段の備え、「自助」が一番大切です。同じように阿弥陀さまの救い、「救助」を得るには普段からの備えが必要です。この備えこそ「南無阿弥陀佛」のお念仏に他なりません。お念仏の備えですので、「念助」とでもいうのでしょうか。。。

“そのとき”というのは、忘れた頃にやってきます。東日本大震災後、災害に対する意識が高まりました。防災グッズも世の中に数多く出回っています。
 そこで、防災士の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。日本のどこで災害が起こっても遅くとも三日で救援物資(公助)がゆき届くそうです。最低でも物資が届くまでの三日間分の備蓄(自助)をして下さい。基本は食糧、飲料水、衣類などです。赤ちゃんがいるご家庭は、粉ミルクや紙おむつ、保存の効く離乳食など。ご高齢の方は、普段から服用しているお薬など。それぞれの生活習慣にあったものを非常持出し袋に入れておきましょう。また「共助」として、日頃から近所の方とのコミュニケーションも大切です。

 そして、最後に浄土宗僧侶の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。極楽浄土に往生(救助)する為の日頃からの備え、お念仏(念助)です。普段からお称えしてこそ、念助となります。お念仏(念助)の中にこそ、自助も、共助も、公助もあり、そしてその先の救済もあるのです。
 それでも私を含め、自信を持って備えているよ!と言える方は少ないのではないでしょうか。簡単だからつい忘れがちになってしまいますが、お念仏をお称えするのに道具はいりません、時間も場所もどこでも構いません、どうぞ皆さま方、日々の生活を安心して心穏やかに暮らす為に、そして寿命が尽きた“そのとき”に、慌てないですむように、共々に生涯に渡って日々のお念仏をお称えしていきましょう。

平成30年6月「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」石井綾月(城南組松光寺)

2018 年 6 月 1 日

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「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」 

 石井綾月(城南組松光寺)







 初夏らしくない梅雨らしくないと言われる気候の昨今でございます。今回は、大本山増上寺の名所「徳川家御廟」に祀られた「お江の方(1573~1626)」をご紹介させていただきます。
 増上寺は江戸期より長きに渡り徳川将軍家の菩提寺でしたが、二代将軍秀忠公墓所を始め各墓所は空襲にて焼失しました。そのため現在秀忠公の御身柄が収められているのが、正室の「お江の方」の石塔です。

 さて、この「お江の方」、戦国時代ゆえの数奇な運命をたどった方でございました。
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 お江の方の実母は織田信長の妹・お市の方です。絶世の美女と謳われ、近江国の浅井長政に嫁いだものの、長政は実兄の信長に滅ぼされ、次いで再婚した柴田勝家は豊臣秀吉に滅ぼされ、夫と共に自害されました。お江の方の兄は浅井家滅亡時に秀吉に殺され、その秀吉の元に茶々・初・お江の三姉妹は引き取られることになります。姉の茶々は秀吉の側室(淀殿)となり、豊臣秀頼を産みましたが、徳川家康公による大阪城落城の際に秀頼と共に自害したと言われています。

 お江の方自身も、最初の結婚相手とは離縁させられ、次の結婚相手は朝鮮出兵で病死し、22歳の時に3回目の結婚で徳川秀忠公の元へ嫁ぐことになりました。
 母の死の原因となった秀吉に姉が嫁ぐというのも凄まじい話ですが、姉とその子を滅ぼした家康公の息子に嫁ぐことになったお江の方。以降、家光・忠長を始め二男五女を出産されましたが、家光公が三代将軍を継ぐにあたり、跡目争いに敗れた忠長は自刃されています。1626(寛永3)年、秀忠公に先んじて54歳にて死去。
 
 滅ぼさねば滅ぼされる時代とはいえ、両親・継父・兄姉・夫・甥・実子を喪われた彼女の人生の道行きは並大抵のものではなかったでしょう。「大変気の強い方だった」と揶揄される面もありましたが、戦国武将の娘という覚悟があったとしても、気を強く持たねば生きていくことも叶わなかったのではないでしょうか。

とはいえ、現代の日本でも、命まで取られはしないものの、見えない争いがそこかしこで起きています。経済力や見た目や肩書や人気を武器に、現実社会だけでなくインターネット・SNS等の見えない場所で日々戦い、傷ついている方もいらっしゃるでしょう。

 傷を負った心は、これ以上傷を負わないよう鎧を厚くしたり、苦しみや悲しみを怒りに換えたり、その怒りをより弱い立場の人にぶつけることで生き延びようとしがちです。
 
 この「怒り」を仏教では「瞋恚(しんい)」と呼び、三つの煩悩「三毒」の一つに数えています。残りの二つは、「貪欲(むさぼる心)」と「愚痴(仏様のように物の真理を見極められない愚かさ)」です。他人から「毒」を投げつけられるのも堪ったものではありませんが、自分の心の中に「毒」を抱え続けていてもまた、心身が蝕まれて辛い日々となってしまいます。

 増上寺の正門は正式には「三解脱門」と名付けられていますが、門をくぐる際にこれらの「三毒」を一時でも手放し、極楽浄土を模した境内を経てご本尊の阿弥陀様にまみえよう、という祈りがこめられています。

「怒り」の根底にあるのは、本来は苦しみや悲しみです。どんなに身近な立場でも、むしろ近い立場であればこそ、辛さの全てを分かってもらえること、分かってあげることができないというのがこの世のままならぬ部分でもあります。

 しかしながら、そんな私たち一人一人の苦しみ、悲しみといった心の襞の諸々を皆ご存じなのが阿弥陀様という仏様です。自分ではどうにもならない、コントロールできない部分を阿弥陀様に全てお預けする気持ちで南無阿弥陀仏と唱えるとき、阿弥陀様も私たちの言葉にできない苦しみまでも思いやり、力になろうとしてくださっています。

 日頃からお念仏をしていただくことで、怒りに心が染まりそうになった時、怒りをぶつけられて辛い時に、阿弥陀様のお力がより強く皆様の心へ届くことと思います。心に余裕のある日からでもお念仏をお唱え頂ければ幸いです。

 最後に、増上寺にお参りの際には是非「徳川家御廟」にも足をお運びください。「宝物展示室」には在りし日の絢爛たる秀忠公墓所の精緻な1/10模型も展示されております。

 合掌

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