2010 年 9 月 1 日

「お彼岸・実在のお浄土」
山田紹隆(江東組 正源寺)
「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界あり。名づけて極楽という。その土に仏まします阿弥陀と号したてまつる」
阿弥陀経という御経の中で、お釈迦様が一番始めにお示し下さったお言葉です。
「今、私達がいるこの場所より、遥か西の彼方、十万億という多くの仏様の世界を過ぎた所に、また一つの世界がある。その世界を極楽と称し、その極楽世界に仏様がましまして、自らを阿弥陀と名乗っておられる。」
お釈迦様は阿弥陀経の中で、極楽浄土の場所を明確にお示し下さっておられます。
私達は遠い昔より、迷い苦しみ多き六道輪廻の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生死を繰り返しながらグルグル巡り続け、今の世で人として生を受けております。この六道輪廻は因果応報の世界。良い行いをすれば良い結果が生じ、悪い行いをすれば悪い結果が生じる。自分自身の行いで次に生れる世界が決まって行くのです。
煩悩のままに日暮を送り、方向が定まらず六道世界で生死を繰り返している私達。この生死を繰り返す迷いの世界を「此岸(しがん)」と申します。この迷い苦しみの「此岸」から、私達を救う為に仏様と成って下さったお方が阿弥陀仏です。極楽浄土というこの上ない清らかな国土、迷い苦しみ無き世界を六道世界の外に構えて下さり、「南無阿弥陀仏」と我が名前を称える者必ず極楽浄土へ救い取るとお約束下さっておられます。
六道輪廻の世界であります「此岸」を厭い、極楽浄土へ往生したいと願って「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、私達がこの世で命終えるその時に、阿弥陀仏御自らお迎えに来て下さり、西方極楽浄土へと往生させて頂けるのです。この極楽浄土を、迷い苦しみの世界であります「此岸」に対して、清らかな悟りの世界「彼岸」と呼ぶのです。
お彼岸のお中日は、昼夜の長さがほぼ等しくなる日。太陽が真東から昇り真西に沈みゆく、その夕日の沈む遥か彼方に実在する極楽浄土。先立たれた方々が阿弥陀仏のお導きを頂き仏様と成ってゆかれる世界であります。
阿弥陀仏は今この瞬間にも、極楽浄土から私達に、「我が名を称えよ、必ず救う」と呼びかけ続けて下さっておられます。阿弥陀仏は私達に、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える事を願っておられるのです。それはそのまま、極楽浄土にいらっしゃる先立たれた方々の願いでもあります。私達が極楽浄土へ往生させて頂いたのならば、同じ蓮台で先立たれた方々とお出会いさせて頂ける世界でございます。この世限りでは無く、後の世までもご縁を結ばせて頂けるのでございます。
お彼岸は亡き方に想いを馳せると同時に、夕日の沈む西の彼方に在る極楽浄土を慕い、極楽浄土へ往生したいとの気持ちを新たにする期間でございます。
皆様方のお念仏のお声、お姿、阿弥陀仏はもちろんの事、亡き方もお喜びになりながら聞いて下さり見て下さる事でしょう。お彼岸を迎え、決意を新たにして、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申し申しの毎日を、共々に過ごさせて頂きたいと思います。 合掌
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2010 年 8 月 1 日

「努力精進の人・法然上人」
吉田一心(島嶼部 行行寺)
「智慧第一の法然房」
800年前の法然さまの時代から今も、「法然さま」というと、「智慧第一」と、返ってきます。
24歳の青年僧法然さまは、師僧の許可をいただき比叡の山を下り、嵯峨・清凉寺から奈良の各お寺をお歩きになりました。その目的は、すべての人が救われる教えを求めての旅でした。
しかし、求める教えは得られず、重い足取りで再び山にお帰りになりました。
師僧に帰山の挨拶をし、すぐにそのまま報恩蔵(経蔵)へ入り、お経の勉強にとりかかりました。
以来、十八年。
この間、上人の伝記は、真っ白です。なにも書かれていません。ただひたすらの学文、すなわちお経を拝読し、今まで行じてきた念仏を始め諸々の行を積む、そのような十八年間であられたのでしょう。
智慧第一と尊称された法然さまの必死の勉学と修行が続きます。
・・・この書物にヒントがありそうだ。
本棚から机の上に取り置き、読まれたのが唐の時代の善導大師の著作『観経の疏』です。
「とりわき見ること三遍、前後合わせて八遍なり」
法然上人は『観経の疏』を読むこと八回。その八回目で、ついに見出されたのです。すべての人が救われる教えを。
ただひたすら心から阿弥陀さまの名号を称え続けることを正定の業となづけます。なぜなら、それは阿弥陀さまの第十八念仏往生の願にかなった行であるからです。
法然さまは、このご文に目と心がとどまり、善導大師の教えの真意を知ることができました。
「そうだ、私のような無智の者はこのご文に従い、この教えを頼み、わが名を称えるものは一人も捨てないぞ、との阿弥陀仏の本願の力を頼み、称名念仏を称えて往生を願おう。それがいいのだ」
こう悟られた法然さまは、
「だれも聞く人はいないのに声に出して念仏を称え、その法悦は骨の髄まで染みわたり、流れる涙は止まりませんでした。時は、承安五年(1175)の春、43歳になっていた私は、たちどころに他の行を投げ捨て、ただひたすら、念仏を称える教えに帰依しました。以来、一日に六万遍の念仏行を行ずるようになりました」
と、晩年述懐されています。
この念仏による浄土往生のみ教えが、850年後の今日まで脈々と続いてきているのです。
来年は、法然上人ご遷化800回の遠忌を迎えます。私たち僧侶は、次の100年を目指して、上人の教えの布教を続けなければいけません。檀信徒の皆さまは、子々孫々まで、財産とともに念仏も相続できますようにお勤め願います。そのためには、念仏を続ける後姿が必要ではないでしょうか。
法然上人のご努力に感謝を捧げ・・・同称十念
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2010 年 7 月 2 日

「お盆を迎えて」
藤井正史(玉川組 月影寺)
今年もお盆がやってまいります。
お盆は、遠いご先祖さまから多くの思い出を共有して逝った家族まで、一年に一度ご自宅にお迎えする大切な時間です。また、離れて暮らしている子供たちが生家の親元に集まり、ご先祖さまや亡くなった家族に元気な姿を見せ、感謝の気持ちと共に過ごす期間でもあります。
お盆は旧暦の7月に行われていましたが、明治5年より現在の新暦となってからは、 全国的に八月の月遅れのお盆が行われる地域が多くなりました。偶然ですが、ちょうどこの時期は、昭和二十年八月六日広島、九日長崎の原爆記念日、十五日の終戦記念日と時期が重なっており、毎年8月が慰霊の季節となっていることも、お盆が私たちの季節感に根を張ってる理由の一つかと思います。
私は東京で住職をしておりますので七月のお盆をお勤めしていますが、当寺の檀信徒のなかには、地方に勤めている家族が帰京できるのは八月のお盆休みだけだということで、八月のお参りをご希望される方もいらっしゃいます。私自身は長崎で親類を亡くしているので八月九日を迎えると、今年もこの日がやってきたのだなぁと、旧盆のお迎えに気持ちが向かいます。日本のお盆は、推古天皇十四(西暦六〇六)年より行われており、たいへん長い歴史があります。長い年月のなかで、多くの人が同じ思いを胸にこの暑い季節を過ごしてきたのでしょう。
近年は、お正月の門松を飾らないお家は増えてきましたが、梅雨時になると、近隣のスーパーでは必ず「お盆の精霊棚セット」が数種類並びます。中には麻菰やおがらが入っており、胡瓜の馬や茄子の牛までついているものさえあります。初めて見たときは驚きましたが、時代は変わっても、お盆を迎える人々の気持ちは変わらないのだと思います。お盆を詠んだ句に、このようなものがあります。
青菰の上に並ぶや盆仏
幼い頃から家族を亡くした悲しみとともに生きた小林一茶(一七六三~一八二八)の句です。一茶は信濃国(長野県)の農家の生まれで、三歳で生母を亡くし、貧しい生活のなかで育ちますが、継母との対立から十五歳で江戸へ奉公に出て俳諧の道を志しました。五十代になってようやく、二十代の妻・きくと世帯を持ちます。次々と三男一女の子宝に恵まれるものの、四人ともみな幼くしてこの世を去ってしまいます。一茶が子供の頃から夢見たであろう、新たに始めた幸せな家庭は、すべての子供を失った後、あろうことか妻にまでも三十七歳の若さで先立たれて終焉を迎えました。家族全員を失い、一人取り残された一茶の悲しみはいかばかりであったでしょう。やっと手に入れたかに思えた家庭のぬくもりは、一茶にとって儚い夢でしかありませんでした。その後も再婚した妻とは半年で離縁し、晩年に再々婚した妻との間に子が生まれたのは、なんと自らがこの世を去った翌年のことでした。
私は小学生の頃、毎年、お盆の前に母の実家である長野市のお寺から、祖父の生家のあった新潟まで墓参りに出かけましたが、決まってその帰りに北国街道近くの一茶の旧宅に寄りました。旧宅は国史跡に指定されていますが、立派なお屋敷ではありません。
一茶は幕末の文政十年閏六月、柏原宿の大火事に遭い、焼け残った土蔵に移り住んでいたのです。その年のお盆には、一茶はこの土蔵のなかで子を失い弔う逆縁の悲しみ、連れ合いを亡くした悲しみ、家族全員に先立たれた哀しみを心に抱いて精霊棚を設え、亡くした家族を迎えたのです。盂蘭盆にしつらえた精霊棚(盆棚)に並んだ多くの位牌を眺めこの句を残しました。自分の寿命の尽きる時を見据えて詠んだのでしょう。十一月になると、六十五歳で亡くなりました。
当山では、昨年も、赤ちゃんから90歳を超えるおばあちゃんまでの新盆の御回向を、それぞれの思いで迎えられたご家族と共にお勤めいたしました。
お釈迦さまの説かれた四苦八苦の一つ、「愛別離苦」という愛する者と別れねばならない苦しみは、誰しも避けることができません。そして、家族を失った後も日々の生活は続き、残された者は自身の寿命を全うするまで、その苦しみを背負って生きていかねばならないのです。今年の夏も一茶の句のように、精霊棚に位牌を並べ、亡くなったご家族を思ってお盆を過ごされる方が多くいらっしゃることと思います。
お盆は、懐かしい家族やご先祖さまをご家庭に迎え、授かった命・生かされている命に感謝し、いつかは迎えれらる側になる自分という存在を見つめ直す時間でもあります。貪りに囚われることなく、きちんと生活している姿をご先祖さまに見ていただける、まことに有り難い期間であるとお思いになって、お念仏をお称えください。南無阿弥陀仏
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2010 年 6 月 8 日
「『経典』と親しむ」
林 純教(城西組 来迎寺)
経典の真実性は、その『経典』と翻訳された原語自体の中に包括されております。言うまでもなく、その原語は本来的には縦糸を意味するサンスクリット語sutraであるわけでありますが、古今に亘り不変的な基準というものを示すものでもあります。
さて、私たち日常の生活、格別意識もしない普通の会話のなかに、この『経典』から出た言語或いは慣用句がいかに多いかあらためて考えてみたいと思います。
例えば、どなたでも大人であれば必ず一度は使った経験があるであろう『娑婆はきついなあー』という言葉。『ほんとにきついよ』なんて思わず相鎚を打ちたくなってしまうのは私だけではないと思うのですが。ともあれ、この『娑婆』という言葉、もちろんこのややこしい『漢字』には意味はありません。サンスクリット語『saha(aの上に‐あり)』或いは『sabha(aの上に‐あり)』の音写とされており、釈尊は私たちが日常生活している、この物心両面の世界を『この世はsaha(aの上に‐あり)である』或いは『この世はsabha(aの上に‐あり)である』と述べられたとされています。
前者の場合は『娑婆』は『苦痛』の意味で『この世は苦しみである』の意となり、覚者釈尊は我々の何事にも浮かれ騒ぎ狂喜している世界を、その冷静沈着な眼で当初からその本質を『苦』と観じられたのであります。後者の場合は『娑婆』は『集まり』の意味で『この世は多くの人々の集合体である』の意となり、この世はわが一人の世ではなく一切のものが共に共存している世の中であることを示したものであることが分かります。両者の解釈、共にそこに覚者釈尊の偉大なる叡智を感得できるのであります。
このように我々に身近な言葉『娑婆』という言葉一つ取ってみても、それが由来する経典に遡って探求して参りますと、正に『教典』の示す永久不変の真理に出会うことができるのであります。是非共々に同じ仏教徒としてこの『教典』という我々の精神の拠り所に親しんで参りましょう。
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2010 年 5 月 1 日

「育てて頂く」
笠原泰淳(八王子組 林海庵)
2ヶ月ほど前のことになりますが、私の師僧である源譽芳清上人の七回忌法要がありました。
私はいわゆる在家出身でありまして、中野区貞源寺の檀家でした。(現在もそうです。)今から20年ほど前、当時住職であられた芳清上人に弟子入りをお願いに上がったのです。
上人は、「笠原君。僧侶になるよりも、学校の教師になって若い人たちに宗教教育を施すことを考えたらどうだろうか。人間、年を取ってから学ぶのは難しいからね。宗教も同じだと思う。若い世代への宗教教育が重要なんだ。」と言われました。 今振り返りますと、当時上人は40歳過ぎ。熱意にあふれていましたが、それだけに寺院における教化活動の難しさを実感しておられたのではないかと思います。成人ではもう遅い。若い人たち、まだ頭の柔らかい人たちに宗教を説きなさい…。
しかし私は学校に勤めるのではなく、僧侶として生きてゆきたいと思っておりましたので、「そこを何とか」と無理をお願いし、入門を許して頂きました。
お念仏の教えに惹かれて浄土門に入れて頂いた私─学べば学ぶほど、また経験を積めば積むほどにその教えの素晴らしさを実感することになりました。僧侶も檀信徒も一つとなってお念仏の声の中に浸る…そこには優劣なく、余分なはからいもいりません。老いも若きもありのままの姿で、煩悩具足のまま、裸のままで阿弥陀さまの世界と直に触れることができます。
「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」
という法然上人の一枚起請文。何と驚くべき教えでしょうか。亡くなられる二日前にして、この力強いお言葉です。獅子吼というのは正にこのことか、と唸らずにはいられません。
他にも多くのことを師僧の元で学ばせて頂きました。
あるとき師僧がこう言われます。
「寺の住職は、檀信徒が育ててくれるものだ。」
そのときは何のことかよく分かりませんでした。住職─僧職にある側が、みずから学んだこと、修行から得たこと感じたことを檀信徒に伝え、檀信徒を育てていく、そのように思っていました。檀家が御布施を納めた上に住職を育てる? それが最近「ははあ、このことを言われていたのかな」と思うようになりました。
私の寺は、宗門の開教施策のもとに開かれた新しい寺院です。5年前までは賃貸の施設で活動しておりました。そのときのこと、「いずれは小さくても独立した建物、お寺が建つといいのだが」という話を信徒さん方としていたところ、ある人が「そうですねえ、それは夢だわ。でも私が生きている間はとても無理でしょうね…」と言われたのです。当時の状況としてはまったくその通り─土地建物を入手することなど夢のまた夢だったのですが、この嘆息は私の胸に深く刻まれました。それからほどなく、寺院にふさわしい良い場所が見つかりました。とても不可能と思われた資金のめども立って、状況が一気に動き始めたのです。
先の信徒さんのひと言が、私を後押ししてくれたのです。
寺の行事についてもそうです。「写経会をやりましょう」「ぜひ花まつりを」という信徒の皆さんの声が後押しとなって実現し…否、そうした声の後ろから私が「ちょっと待って下さい」と言い、ふうふう肩で息をしながらついて行っている、というのが実態です。これが「檀信徒に育てて頂く」ということなのでしょうか。
「いや、少し分かったつもりになっているようだが、笠原君もまだまだダメだな。」 師僧のそんな声が聞こえてくるようです。
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2010 年 3 月 31 日

「花まつり」
安孫子虔悦(江東組 正覺院)
両の手に 桃と桜や 草の餅 嵐雪
春爛漫、墨堤で遊ぶ江戸の人々の幸せを感じる名句です。全国に桜の名勝は多く、今夜会う人皆美しく想われ、美酒を飲み交わす光景に桜花の魔力を感じます。浄土宗関東大本山増上寺の境内は、今春も満開の中に法然上人御忌大会が営まれ、念仏の声響きわたり、老若男女の団参にて賑わいました。新入生、新入社員、スタートのシーズン、いつも桜がつきものです。私の記憶の中のアルバムを紐解いてみても、人生の第一歩は、いつも桜と共に始まったものでした。しかし、そんな桜も昨今の温暖化による気候の不順の影響で危機を迎えています。某気象官のお話では、極寒を経ないと桜は満開とはならず、花開くほどで散ってしまいかねないということです。なんとも恐ろしいことではありませんか。開いても満開にならない花は、おそらく散る時も潔くとはいかず、いつまでも枝にしがみついていることでしょう。これでは、「散る桜、残る桜も散る桜」の戒めも意味を成さなくなってしまいます。こんな状景が近い内にみられるのかもしれません。見たくない、冗談でしょうと言いたいが確実に、しかも足早に四季の異状がありそうです。おそらく皆さんもどこかで最近の異状気象を実感していることでしょう。
私たちは、「いきいきと平和に暮らしている」かといえば決してそうではありません。「どこか、おかしい」とは思いませんか。気候のせいばかりにするのはばかげているかもしれませんが、人まかせには出来ない世の中、あなた自身は大丈夫ですか。しっかりと大地にはった根をもっていますか。今はこのことが問われているのではないでしょうか。
二〇〇八年に亡くなられたジャーナリストの筑紫哲也氏は、『若き友人たちへ』の著書に次のように述べられています。「日本人の好きな悲劇の英雄にとって変わって、今や判官贔屓どころか、バンドワゴン効果に乗り換える傾向が強い」と。「バンドワゴン」とは、音楽を流しながら走る馬車のことで、賑やかで面白そうなところへみんながついて行く現象のことをこう呼んでいます。寄らば大樹の陰、勝ち組・負け組のランク付けが強まり、ひいてはそれが児童の世界まで普遍している時代。いじめの衝撃の傑作『ヘヴン』の川上未映子氏は今や時の人でもあります。しかしまた一方では、流れは変えようとする明治の活力を現代にとの発想なのか、『龍馬伝』が大河ドラマにもなる。「レキジョ」という言葉の流行が示すように、日本の歴史への探求が見直されてもいる。こうして見てくると、今日は、乗るべき「バンドワゴン」すらも何か分からないといったような不安定な時代と言えるのではないでしょうか。
そんな変わりやすい時代の中でも、今も昔も変わることなく、四月八日はお釈迦さまのお誕生日を祝う「花まつり」が各寺院で営まれます。誕生仏に小さな杓で注ぐ甘茶は芳ばしく、花御堂の前は、参詣人で賑わっています。お釈迦さまのご生誕と言えば、すぐ引き合いに出されるのが、「天上天下唯我独尊」の銘句です。皆さんも聞いたことはあるでしょう。このお言葉は、「生きとし生ける全ての生命は、一つ一つすばらしいものであり、互いに尊敬し、共に生きつづけることを誓いましょう」という意で、いわば「人間誕生の誓約」であると言えましょう。私のお寺では、すでに春彼岸の時分に玄関先に花御堂を設置し、花まつりを始めさせていただきました。墓参の方々が誕生仏に甘茶をかけ手を合わす姿は、誠にありがたいことと拝見いたしました。ある時私が玄関先に出ていますと、一人の初老男性がご夫人に「天上天下の文」を説明している声が聞こえてきました。驚きました。「君、この名文は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と慶應義塾創立者である某博士の金言を引き当てて話していたのです。私が咄嗟に訂正に入って事なきを得ましたが、住職としての教え不足に恥入り、改めて「花まつりとは」と考えさせられた一件でありました。
お釈迦さまのお誕生日であります花まつりは、日本人の思想の根幹をなすお釈迦さまのみ教え、すなわち仏教を見つめ直す非常にいい機会です。因みに、花まつりの一日前、四月七日は宗祖法然上人のお誕生日です。法然上人は、八万四千とも言われる仏教の教えを、念仏の切り口から説かれました。「愚者の自覚」、まずはこのことから始めましょう。私たちは、念仏に勝る正行はないとの上人のみ教えを頂戴して、日々南無阿弥陀仏とお称えし、念仏の中に日暮して平成二十三年の八百年御忌をむかえて参りましょう。
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2010 年 2 月 28 日

「西方極楽浄土に想いを馳せて」
伊川浩史 (豊島組 法眞寺)
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますように、少し暖かくなったと思ったら、また冬の寒さに逆戻り、と云った不安定な天候が、やっと安定して来る頃でございます。
季候は、「お彼岸」を迎えれば、自然に暖かく安定してきますが、私たちの心はどうでしょうか。いつも煩悩や迷いに満ちた此岸に繋ぎとめられて、煩悩を脱した悟りの世界(彼岸)へは、なかなか行けるものではありません。
ですから、春分の日と秋分の日をはさんで前後三日間を、彼岸へ渡る(到彼岸)の仏教の修行週間として来たのです。この春分の日と秋分の日は、一年の中で昼と夜の長さが同じになり、太陽が真東から昇り真西に沈みます。これは、仏教の「中道」の教え(相対立するもののどちらにも偏らない教え)になぞられます。
お釈迦さまは、6年間の長い厳しい苦行の末、苦行を捨てられたのです。これを、「中道の悟り」といいます。そして、その中道に沿ったご修行で、悟りを得たもの(仏陀)となられたのです。厳しい苦行を捨てたからと云って、その反対の快楽主義に走る事無く、目的に適正な修行方法を実践する事が中道なのです。
しかし、悲しいことに、「囚われなく、偏らない心で修行する」と言っても、私たち無明煩悩の闇の住人は、自分が囚われている事すら解らず、偏っている事さえ、更にもっと言えば、迷っている事さえ解らないのです。
そんな私たちの為に、阿弥陀さまは「ご本願」を立てられたのです。「私の名前を呼びなさい。決して離したりはしないから。必ず一人も洩らさず救い摂る。それが叶わないならば、私は決して悟りを開かないし、仏にはならない。」、そう仰って、西方極楽浄土を建てられたのです。
富める者も貧しき者も、罪の深き者も浅き者も、善人も悪人も、分け隔てる事無く、「南無阿弥陀仏」と称える者は全て、往生(阿弥陀さまのお浄土に往って生きる)させて頂けるのです。これは、実に頼もしく有り難い事です。迷い悩む者達が、そのまま、自ら称えるお念仏だけで、救い摂られる浄土は、阿弥陀さまの西方極楽浄土しかありません。
だからと言って、お念仏をすれば、後は何をやっても良いと云う事ではありません。仏教の根本は、因果の道理です。この因果の道理を踏み外したら、それは仏教ではありません。
つまり、阿弥陀さまのご本願を免罪符にしてすすんで悪を犯してはならないのです。それは、毒消しの薬があるからといって、すすんで毒を飲んではいけないのと同じです。悪を恐れ善を行う心がけ(諸悪莫作・衆善奉行)を教えているのが仏教です。しかしこの、子供でも知っている様な事でさえ、大の大人が実行出来ないものなのです。この善とは、阿弥陀さまの御心に沿うものの事です。
だから、法然上人が「一紙小消息」の中で、「罪は十悪五逆の者も生ると信じて、少罪をも犯さじと思うべし(たとえ十悪五逆と云う様な重い罪を犯してしまった者でも、自分の罪を深く反省し、お念仏を称えれば、極楽へ救い摂られると信じる一方、だからこそ、小さな罪も犯すまいと心がけるべきですよ)」と諭して下さっているのです。
また逆に、因果の道理を自分勝手に解釈し、阿弥陀さまのご本願を疑うような事は決してあってはならないのです。どんなに罪深い者でも、お念仏の中に、救い摂られるご縁を頂けるのです。
「悪因苦果・善因楽果」と言われますように、私たちが造り重ねた悪因は苦果をもたらします。しかし、阿弥陀さまの御本願により、お念仏と云う善行が善因になり、極楽往生させていただけると云う楽果が待っているのです。
この事をしっかりと受け止め、西に沈む太陽の彼方にある、極楽浄土に想いを馳せ、また、先に往った親族や友人と云った大切な人たちとの再会を楽しみに、お念仏に励みたいと思います。
合掌
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2010 年 2 月 1 日

「節分に思う」
中野隆英 (北部組 念佛院)
二月になりました。梅の花も満開に近くなり、確実に春が近づいてくるのを感じます。暦の上では二月四日(年によって日にちがずれる事もあります)が立春で季節を分ける二月三日の夜に節分の行事をするわけです。
ですから本来節分は年に四回あるのですが、年の始まりである春の節分を大切にするのです。
元々宮中では大晦日(旧暦十二月三十日)に「追儺(ついな)」という儀式が行われていました。
邪気を祓い、厄災を除いて新しい年を迎えるのです。
明治になり暦が旧暦(太陰暦・月の満ち欠けにより定める)から新暦(太陽暦・太陽の運行から決める)に変わった後、一般庶民も行うようになったのですが、なぜかお正月前の大晦日ではなく、立春の前の日に行われるようになりました。
さて、皆様のお宅では節分に何か行事をなさっていますか。鬼は外、福は内と大きな声で唱えながら豆をまき、ヒイラギの枝にいわしの頭をつけたものを玄関にさして、直ぐに戸を閉める。大体こんなところでしょう。
この後自分の年(数え年)より一粒多く豆を食べる。こんなところではないでしょうか。
突然ですが次のような言葉を御存知ですか。
遠仁者疎道
…仁(思いやり)の心から遠い人は、人の道からも疎遠となる。
不苦者有智
…正しい智慧ある人になれば、苦しみのない人生を歩める。
さてむずかしい漢文のようですが、元の文章はそのまま読むと
「おにはそと ふくはうち」と読めませんか。
鬼は外にいるのではなく自分の心の中にいるのです。愚鈍の身の私です。それを正しく自覚する事ができれば苦しみのない人生に近づいていけるのです。
お念仏を称えれば、おかげさまの心がいただけます。なぜなら阿弥陀如来様はおかげさまの塊のような仏さまだからです。
そのお名前を呼ぶことが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。今年の節分からは「南無阿弥陀仏」と称えながら豆まきをなさってはいかがですか。
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2010 年 1 月 1 日

「一生は一日一日の積み重ね」
若林隆壽(浅草組 西光院)
あけましておめでとうございます。
Nさんは下町で十一代続く、老舗の海産物問屋の御上(おかみ)さんです。春秋のお彼岸やご主人のご命日はもちろんのこと、毎年正月二日のお寺参りは、この六十年欠かしたことがありません。
午前10時、まずご本堂の阿弥陀様の前で掌を合わせ、大きな声で「南無阿弥陀仏」を十遍、それから、冷たい水もなんのその、小一時間かけて親戚中の墓石をきれいに磨き上げ、ようやくお線香とお花を上げてお墓参りが終わると11時。
腰を下ろし、湯飲みを額のところに戴いて、お茶を一服。
「デイサービスで『うちの嫁がね……』って、話し始めると、あんまり私のこと知らない人たちはさ、『さぁ、どんな愚痴をこぼすんだろう』って身を乗り出してくるでしょ。そこで『昨日の晩に作った料理が』とくると、もう待ちきれなくて、『口に合わなかったでしょう?』とか『味が濃かったの?』とか、口々に……」
「はぁ」
「その時『それがねー、美味しかったのよー』って言った途端、『なーんだ』って、ガッカリするのよ。ところが、昔からの仲間は『よかったわねー』って、一緒に喜んでくれるわけ」
「いいですねー」
「私が先代の御上さんから教わったのは、『よそで家内の悪口を言わぬこと。褒めれば育つが、おだてりゃ驕ると心得よ。それが暖簾(のれん)を護る道』ってね。言葉にすると簡単なようだけど、これが何とも難しい。どうにかできるようになったのは、不思議と息子が結婚して、二世帯同居になってからだわ。褒めるためには相手のことよく見とかなきゃならないしね。それも結果だけ褒めてもダメなの。どうしてうまくいったのかって、そこを見てなきゃ。途中を見てないと、ついついおだてることになっちゃうのよ」
実際に長年店を切り盛りしてこられた方の、はきはきとした語り口を伺っていると、「えいっ!」と喝を入れられた気がしてくる。
そう言えば、お嫁さんについての愚痴を聞いたことはなかったなと思いながら、帰り際に「元気の秘訣は?」と尋ねたら、
「今日一日を一所懸命に過ごすことかしら。だって一週間も、一月も、一年も、もっと言えば一生も、毎日毎日の積み重ねでしょ」と実に明解な答え。
さて、宗祖法然上人は『念仏往生要義抄』の中で、「臨終のお念仏と、日常のお念仏と、どちらがすぐれているのですか」という問に対して、「ただ同じことです。どうしてかと言えば、日常のお念仏、臨終のお念仏といって何の境目があるというのでしょう。日常のお念仏をお唱えしているときに亡くなれば、それは臨終のお念仏となるでしょう。逆に、これが臨終のお念仏だとお唱えしても、命永らえれば、それは日常のお念仏となるでしょう」とお答えになってなっておられます。
なるほど、新年を迎え歳を重ねるということは、昨日から今日、今日から明日への、途切れることのない連続です。
さぁ、今年はどんな一日一日を重ねることになるのでしょうか。
まずは皆さまの今年一年のご多幸をお祈り申し上げます。
南無阿弥陀仏。
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2009 年 12 月 1 日

「除夜の鐘にいのちの余韻を聴く」
佐藤雅彦(豊島組 浄心寺)
私たちは、よい音を聴いたとき、その余韻を耳にとどめることがあります。「余韻」は音を聴いて、よい印象の響きが残るときだけ余韻とよび、好ましくない響きのときには余韻とはよびません。
時間や歳月には、余韻はないのでしょうか。
今年も残りわずかになってきました。心静かに振り返ると、よき出会いや出来事のあった人、悲しい別れや辛いできごとに遭遇した人、さまざまな立場の方がおられると思います。喜びにつけ悲しみにつけ、印象深い出来事のあった人にとって、年の瀬を迎えて、今年という年が過ぎていくことは、何とも気持ちの改まることだと感じているのではないでしょうか。
私たちは、行く年を惜しみつつも、来るべき新しい年に「新年こそ」と、新たな希望を感じるものです。いつもの一日が加わっただけで、カレンダーが新しいページに捲られただけなのに、新年の希望は湧いてくるものです。これは昔の人々が、惰性で生きてしまうことの多い当たり前の人間のために、暦を変えていくことで心を新たに切り替えることができるように仕組んだ、生きるための仕掛けのようなものだったのかもしれません。
しかしさらに自分を凝視すると、今年の自分は、決して来年も同じ自分がいるわけではなく、今年の自分を取り戻すことはできません。新しい年を迎えることは、まさに一瞬一瞬、死に近づいている「生死一如」と言えるのです。「新年の希望は、今年の反省の上に成り立つ」と言われます。年末の慌しい時候であっても、今年を振り返り、自らの所業を省みる時間を作りたいものです。
私たち日本人は、昔から大晦日に打ち鳴らされる除夜の鐘を聴いては、その年の出来事や自身のいのちを照らし合わせ、煩悩の除去を祈ってきたものです。除夜の鐘の余韻と過ぎ去ってゆく年を惜しみ、二度と戻らない時間やいのちを、心静かに思いやり、大切に見送るという作業を、一年の最後の夜に行ってきたのです。
翻って最近の若い人々を中心とした新年の迎え方は、米国のニューヨークのタイムズスクゥエアに見られるような、カウントダウンをして花火を上げ、新年を迎えるお祭りのような行事が、各所に見られます。そこには、新しい年の訪れに対する歓迎に重点が置かれ、行く年を惜しむといった、日本人の大切にしてきたものが抜け落ちているかのように感じるのは、私だけでしょうか。
過ぎていく歳月を惜しむことは、私たちの周辺に流れていった時間を惜しむということだけではありません。まさに諸行無常の中に自然と燃焼させている、この「いのち」を惜しむことに他ならないと思うのです。除夜の鐘の響きは、今年の我々のいのちの余韻を、耳に聴こえるように響かせてくれていると受けとめることができるでしょう。
この一年に悲しい別れをした方は、離れているとさみしく感じるお父さん、お母さん、大切なあの方のお顔を思い浮かべて「ナムアミダブツ」とお声に出して唱えてみてください。きっと大事な方々が、私たちの方を、思いやり深い眼で見つめてくれますよ。
嬉しくも悲しくも報告したいなと思う出来事のあった方は、それを報告する気持ちで「ナムアミダブツ」と唱えてください。微笑ましい安堵のお顔で、私たちをご覧いただいていますよ。
行く年を送るときも、新しい年を迎えるときも、どうぞお耳の底に「ナムアミダブツ」の余韻が残るように、お念仏を生きる杖にして、大切ないのちを育み、生きていきたいものです。南無阿弥陀仏
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