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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成30年7月「“そのとき” に備えていますか?」内田義之(江東組靈山寺)

2018 年 7 月 1 日

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 皆さまは、常日頃から災害に対する備えはありますか?
 私ごとですが、今年の一月に防災士という資格を取得しました。防災士とは、日本防災士機構が認証した民間資格ですので特別な権限はありませんが、日頃から地域の防災について考え、地域の防災力を高めるリーダーとしての役割を担うという位置づけです。

 その講習会では、ワークショップなどの実践的活動と防災知識に関する講義があり、久しぶりに机に向かって、テスト勉強をしました。学生時代から長~いブランクがありましたので、なかなか難儀いたしました。今回は防災士として、浄土宗僧侶として、“そのとき”の備えについてお話しさせて頂きます。

 まず、防災の基本柱は三つ。 ①「自助」 ②「共助」 ③「公助」 があります。一つめの「自助」とは、自分の命は自分で守る、ということ。二つめの「共助」は、共に助け合う。三つめの「公助」は、国や自治体の公の助け、救援物資や支援ということです。
 この防災士講習のなかで、ある講師の方がおっしゃいました。「公助の先は無いから、とにかく後悔しないように万全な備えをしなさい、防災の基本は自助です。普段の備えこそが一番大切です、普段の備えがあってこそ日々の生活を安心して心穏やかに過ごせるのです」と。私はその言葉を受けて、改めて考えさせられました。

 『天災は忘れた頃にやってくる』、皆さんも聞いたことがあるとおもいますが、明治の文豪家、寺田寅彦氏の残した有名な警句です。しかしながらここ数年、温暖化の影響もあってか、忘れる間もなく次々と自然災害が発生しているように感じます。東日本大震災、鬼怒川の氾濫、最近では大分県の土砂災害など規模の大小にかかわらず多くの災害が日本を襲っています。
 では、もっと昔の時代に目を向けてみるとどうでしょうか?例えば浄土宗宗祖、法然上人の時代です。戦乱や飢饉、貧困、自然災害、疫病。たくさんの人々の命が奪われてしまう災いがすぐそこ日常にあったのです。そこで、法然上人は「南無阿弥陀佛」と称えれば、どんな方でも必ず等しく救われる、「南無阿弥陀佛」のみ教え、浄土宗をお開きになったのです。

 今も昔も、時代がいくら変化しようとも、“そのとき”というのは、私たちの普段の暮らしの影に息を潜めてジッとしているのです。「公助の先は無い・・・・」という防災講師の先生の言葉に対して、私は思いました。「私たちには法然上人のお念仏のみ教えがあるじゃないか」と。
 私たち浄土宗の信者は、法然上人のお念仏のみ教え「南無阿弥陀佛」を心のより処としております。お念仏をお称えすれば、どんな人でも極楽浄土の阿弥陀さまが、必ず極楽浄土に救いとってくださいます、決して見捨てたり見落としたりはいたしません。私たちには「公助」の先に阿弥陀さまの救済がございます。念仏による阿弥陀さまからの救いの手ですから、まさに「救助」ですね。
 防災には普段の備え、「自助」が一番大切です。同じように阿弥陀さまの救い、「救助」を得るには普段からの備えが必要です。この備えこそ「南無阿弥陀佛」のお念仏に他なりません。お念仏の備えですので、「念助」とでもいうのでしょうか。。。

“そのとき”というのは、忘れた頃にやってきます。東日本大震災後、災害に対する意識が高まりました。防災グッズも世の中に数多く出回っています。
 そこで、防災士の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。日本のどこで災害が起こっても遅くとも三日で救援物資(公助)がゆき届くそうです。最低でも物資が届くまでの三日間分の備蓄(自助)をして下さい。基本は食糧、飲料水、衣類などです。赤ちゃんがいるご家庭は、粉ミルクや紙おむつ、保存の効く離乳食など。ご高齢の方は、普段から服用しているお薬など。それぞれの生活習慣にあったものを非常持出し袋に入れておきましょう。また「共助」として、日頃から近所の方とのコミュニケーションも大切です。

 そして、最後に浄土宗僧侶の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。極楽浄土に往生(救助)する為の日頃からの備え、お念仏(念助)です。普段からお称えしてこそ、念助となります。お念仏(念助)の中にこそ、自助も、共助も、公助もあり、そしてその先の救済もあるのです。
 それでも私を含め、自信を持って備えているよ!と言える方は少ないのではないでしょうか。簡単だからつい忘れがちになってしまいますが、お念仏をお称えするのに道具はいりません、時間も場所もどこでも構いません、どうぞ皆さま方、日々の生活を安心して心穏やかに暮らす為に、そして寿命が尽きた“そのとき”に、慌てないですむように、共々に生涯に渡って日々のお念仏をお称えしていきましょう。

平成30年6月「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」石井綾月(城南組松光寺)

2018 年 6 月 1 日

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「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」 

 石井綾月(城南組松光寺)







 初夏らしくない梅雨らしくないと言われる気候の昨今でございます。今回は、大本山増上寺の名所「徳川家御廟」に祀られた「お江の方(1573~1626)」をご紹介させていただきます。
 増上寺は江戸期より長きに渡り徳川将軍家の菩提寺でしたが、二代将軍秀忠公墓所を始め各墓所は空襲にて焼失しました。そのため現在秀忠公の御身柄が収められているのが、正室の「お江の方」の石塔です。

 さて、この「お江の方」、戦国時代ゆえの数奇な運命をたどった方でございました。
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 お江の方の実母は織田信長の妹・お市の方です。絶世の美女と謳われ、近江国の浅井長政に嫁いだものの、長政は実兄の信長に滅ぼされ、次いで再婚した柴田勝家は豊臣秀吉に滅ぼされ、夫と共に自害されました。お江の方の兄は浅井家滅亡時に秀吉に殺され、その秀吉の元に茶々・初・お江の三姉妹は引き取られることになります。姉の茶々は秀吉の側室(淀殿)となり、豊臣秀頼を産みましたが、徳川家康公による大阪城落城の際に秀頼と共に自害したと言われています。

 お江の方自身も、最初の結婚相手とは離縁させられ、次の結婚相手は朝鮮出兵で病死し、22歳の時に3回目の結婚で徳川秀忠公の元へ嫁ぐことになりました。
 母の死の原因となった秀吉に姉が嫁ぐというのも凄まじい話ですが、姉とその子を滅ぼした家康公の息子に嫁ぐことになったお江の方。以降、家光・忠長を始め二男五女を出産されましたが、家光公が三代将軍を継ぐにあたり、跡目争いに敗れた忠長は自刃されています。1626(寛永3)年、秀忠公に先んじて54歳にて死去。
 
 滅ぼさねば滅ぼされる時代とはいえ、両親・継父・兄姉・夫・甥・実子を喪われた彼女の人生の道行きは並大抵のものではなかったでしょう。「大変気の強い方だった」と揶揄される面もありましたが、戦国武将の娘という覚悟があったとしても、気を強く持たねば生きていくことも叶わなかったのではないでしょうか。

とはいえ、現代の日本でも、命まで取られはしないものの、見えない争いがそこかしこで起きています。経済力や見た目や肩書や人気を武器に、現実社会だけでなくインターネット・SNS等の見えない場所で日々戦い、傷ついている方もいらっしゃるでしょう。

 傷を負った心は、これ以上傷を負わないよう鎧を厚くしたり、苦しみや悲しみを怒りに換えたり、その怒りをより弱い立場の人にぶつけることで生き延びようとしがちです。
 
 この「怒り」を仏教では「瞋恚(しんい)」と呼び、三つの煩悩「三毒」の一つに数えています。残りの二つは、「貪欲(むさぼる心)」と「愚痴(仏様のように物の真理を見極められない愚かさ)」です。他人から「毒」を投げつけられるのも堪ったものではありませんが、自分の心の中に「毒」を抱え続けていてもまた、心身が蝕まれて辛い日々となってしまいます。

 増上寺の正門は正式には「三解脱門」と名付けられていますが、門をくぐる際にこれらの「三毒」を一時でも手放し、極楽浄土を模した境内を経てご本尊の阿弥陀様にまみえよう、という祈りがこめられています。

「怒り」の根底にあるのは、本来は苦しみや悲しみです。どんなに身近な立場でも、むしろ近い立場であればこそ、辛さの全てを分かってもらえること、分かってあげることができないというのがこの世のままならぬ部分でもあります。

 しかしながら、そんな私たち一人一人の苦しみ、悲しみといった心の襞の諸々を皆ご存じなのが阿弥陀様という仏様です。自分ではどうにもならない、コントロールできない部分を阿弥陀様に全てお預けする気持ちで南無阿弥陀仏と唱えるとき、阿弥陀様も私たちの言葉にできない苦しみまでも思いやり、力になろうとしてくださっています。

 日頃からお念仏をしていただくことで、怒りに心が染まりそうになった時、怒りをぶつけられて辛い時に、阿弥陀様のお力がより強く皆様の心へ届くことと思います。心に余裕のある日からでもお念仏をお唱え頂ければ幸いです。

 最後に、増上寺にお参りの際には是非「徳川家御廟」にも足をお運びください。「宝物展示室」には在りし日の絢爛たる秀忠公墓所の精緻な1/10模型も展示されております。

 合掌

平成30年5月「認めたくないですが。私が変われば息子が変わる。」鍵小野和敬(八王子組養運寺)

2018 年 5 月 1 日

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「認めたくないですが。私が変われば息子が変わる。」

 子供達の春休みの一日、江ノ島水族館へ行ってまいりました。暖かい日で、久々の親子でのお出かけに、最近荒れ気味の長男との平和な一日となる事を祈るような思いで出かけました。
 この春小学2年生になる長男は、なかなかの気難しいタイプで、幼稚園の頃から癇癪も酷く、悩んだ末に病院で診てもらったほどの、育児書などで表現されるところのいわゆる「育てにくい子」です。
 春休みがはじまり、長男と私がぶつかる時間も増え、お互いに疲れていた頃でしたが、この日は法務もなく、いざ休日を楽しもうと江ノ島まで繰り出しました。

 楽しみにしていたイルカショーを見ていたのですが、何故だかどうしてか泣けてくるのです。イルカとトリーターさん(調教師さん)の信頼関係が羨ましくてたまらなくなってきたのです。
 最初は「イルカすごいな。イルカの方がうちの子より言うこと聞くな…。いいなあ。」という思いだったのですが、みているうちに、イルカとトリーターさんが一緒に楽しんでショーをやる様子と、トリーターさんのイルカへ向ける笑顔と愛情表現を見て、「ああ あんなに笑顔で子供に向き合ってこなかったな…,」という自責の念が楽しいショーを見ながら込み上げてきました。「悪かったよ息子。もっと笑顔でいてあげればよかったよ。もっと褒めてあげればよかったよ。」と。そして、極め付けはとびきり元気な声で「イルカの目をじっと見て お互いの心を通じあわせるのです!」というアナウンスにとどめを刺されたようにがっくりしてしまうのでありました。

 そんな情け無い母である私、子育てがうまくいかず、毎日イライラしたり落ち込んだりの暗黒期真っ只中におりまして、藁をもすがる気持ちで、とある子育て講座を受講いたしました。
 この講座では、子供の躾やコントロールの仕方を学ぶのではなく、子どもの声を聴く、子どもに訊く、自分の声を聴くこと「他者受容」と「自己受容」を学びます。

「他者受容」は、自分と他人の思考の違いの傾向を知ること、また、子供に「お母さんは僕の話を聞いてくれている」という安心感を持たせてあげる話の聞き方等を学びます。子供の話を聞いていると、ついつい「でも」や、「いいから 〜しなさい」と話を遮って親の言い分を通そうとしてしまっていた事に気付きました。
 また「自己受容」は、怒ってしまう自分について。自分の中の「~すべき」のルールが破られた時に人は怒るという「怒りのルーツ」を学びます。おかしなもので、他の受講者の「~すべき」が、自分にとっては、そんなことで怒らんでもよいでしょう、というようなものだったりするのです。

 講座では若くて可愛い講師の先生が「相手を変えるのは大変だからお母さんが変わっちゃいましょう〜」「ギャーギャー言ってるお子さんをそのまま受け入れます!」と、お釈迦様の説かれた真理の法則のような事を拍子抜けしてしまうほど軽快に明るくおっしゃるので、出家までした私は何をしてきたのか・・・と情けなくなるのですが、できないことは認めねばなりません。なにしろ藁をもすがる暗黒期なのです。まさに法然上人の御遺訓にある「智者の振る舞いをせずしてただ一向に念仏すべし」の状況です。

 なんとか、息子が世の中で渡っていけるようにとの思いで言ってしまう事も、所詮は自分の軸で言っているだけのことかもしれません。ふんふんと目を見て話を聞いていれば、冷静に話してくれることもあり、まさに「自分が変われば相手が変わる」を実感して反省するのでありました。

 暗黒期の我々親子と阿弥陀様と凡夫の関係を照らし合わせて、ふと、阿弥陀さまは煩悩や迷いに溺れている私達をどんな思いで見ていらっしゃるのだろうかと考えました。ついつい 口を出したくなったり、怒鳴りつけたい気持ちでいらっしゃるのだろうか。私のように、話半ばで「もう知らん!」と怒鳴って扉を閉めたりはしないだろう。そう思うと「ダメな子」「凡夫」である私達をそのままの身で引き受けてくださる阿弥陀様のありがたさたるや計り知れません。

 これからありのままの息子をどれだけ認めて受け入れてあげられるだろうか。
イルカの失敗も笑いながら受け入れているトリーターさんの様に。ありのままの私たちを受け入れてくださる阿弥陀様の様に。

 みなさんも自分軸に縛られて、怒りや煩わしさ、疲れに囲まれていないでしょうか?自分が変われば、周りも変わる。 自分を自分の怒り軸から解放するのが近道なのかもしれません。できない自分も受け入れて、愚者の自覚をもって至心懺悔 南無阿弥陀。

平成30年4月「ほどよく」中島行雄(北部組貞巖寺)

2018 年 4 月 1 日

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「はだかにて生まれてきたに何不足」

 江戸時代の俳人、小林一茶の言葉です。
 人は何も持たず裸で生まれてくる。そんな中、多くの愛情や縁により多くものを得て今の自分があるというのに、これ以上、何が不足だというのだ、ということでしょう。

 今、私たちの日常生活の中は様々な“もの”であふれています。新たなものや便利なものは次から次へと生み出され、また、それらの情報はテレビやインターネットをはじめ、様々な方法であっという間に私たちにもたらされます。
 確かにそれらのものはとても魅力的ですし、経済的に余裕さえあれば容易に手に入れることもできます。また、多少の無理をしてでも手に入れようとする人もいるでしょう。

 ところが、そうして手に入れて、一時は満足を得られても、しばらくするとまた次が欲しくなるのは人の常というものでしょう。しかしそれではキリがありません。

 たとえば携帯電話。普及して30年ほどになるでしょうか。どこにいても連絡が取れるツールとして瞬く間に普及し、さらに様々な機能が付加されるたびに大きな話題ともなりました。ところがその携帯電話も今ではスマートフォンに取って代わられようとしており、そのスマホにおいては、もはや電話の機能も1つの付加価値になっているといえます。おそらく様々な機能を有効に使えている人は少ないのではないでしょうか。すでにキリが無いという状況になっているのかもしれません。

 一般的にも使われている仏教語に「四苦八苦」という言葉があります。その8つの苦しみの中に「求不得苦(ぐふとくく)」という苦しみが挙げられていますが、文字通り「求めるものが得られない苦しみ」という意味で、まさに求めてもキリがないものを求め続けると、それが苦しみともなってしまうのです。

 さて、とはいえ、私たちにとって“欲”は切っても切れないものですし、それがすべて悪い方向へ向かうわけではなく、何かを成そうとするときの原動力や向上心につながっているという側面もあるでしょう。
 そこでぜひ実践していただきたいことは、たとえば物を買う時であれば、一呼吸ついて、「これは自分にとって本当に必要なものか」「必要以上に求めていないか」と考えること。それを少しずつでも続け、その習慣が自然と身についた時、仏教に説かれる「少欲知足」(欲を少なくして足るを知る)という意識に少し近づいたと言えるのかもしれません。

 決して「最低限で満足しろ」というわけではありません。小さなことでもそれを得た喜びを知り、それに感謝できることは心を豊かにしてくれるでしょう。

 新入学生や新社会人をはじめ、4月は新生活をスタートさせる方が多い季節です。しっかりと前を見て、時には後を振り返り、また時には自らの行動を俯瞰してみる。そのようにして自分自身を見つめ、自分自身を知ることで、心にゆとりが持てるのではないでしょうか。
 気張り過ぎず、ほどよきところを見据えつつ、一歩一歩、進んでまいりましょう。

平成30年3月「生きてる 生きてく」内田智康(玉川組信樂院)

2018 年 3 月 1 日

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「すみません、住職かと思いました。」
最近、寺にかかってくる電話に出るとよく言われる言葉です。
 私は現在生まれ育った寺で副住職を務めさせていただいており、住職は私の父です。体形は父のふっくらしたそれに徐々に近づいている実感はありましたが、声やしゃべり方も年々似ていくそうです。さらには、私の子どもも、時折父によく似た表情を見せることがあり、遺伝は怖いものだとドキッとさせられます。

 今回のタイトル『生きてる 生きてく』は、2012年に公開された『ドラえもんのび太と奇跡の島』という映画の主題歌です。歌手や俳優などマルチに活動されている福山雅治さんが作詞作曲をされて、ご本人が軽快なメロディーにのせて歌っていらっしゃいます。その中で次のような歌詞が出てまいります。

 そうだ僕は僕だけで出来てるわけじゃない 
 100年1000年前の遺伝子に 誉めてもらえるように
 いまを生きてる 

 こんな僕の人生のいいことやダメなことが
 100年先で頑張っている遺伝子に 役に立てますように
 いまを生きてる

  
 何千年も前から脈々と受け継がれてきた奇跡の結晶である自分の生命に感謝し、それをかみしめて丁寧に生きていこうという意思、また、未来に生きる自分の子孫へとつながっているこの生命を精一杯生きていこうという意思を、子どもにも親しみやすいように、あえてくだけた文体の歌詞にされています。

 私の息子がこの曲を聴いて、「100年前も1000年前も、自分と血がつながってる人が生きているんだねー」と感動した顔をしていて、平易な言葉を使う重要性と音楽の偉大さを感じるとともに、私が今まで折々に話してきたご先祖の話は全く響いていなかったのだなと、自分の説教力の乏しさに愕然といたしました。

 改めて自分のことを振り返ってみると、ふとした時の口癖やものの考え方など、多くのことが誰かの影響を受けてできていることに気づかされます。それは血縁による遺伝はもちろん、学生時代の先生や友人、以前勤めていた会社の上司など、自分に関わる全ての人たちから様々なものをこの身に頂戴し吸収し、私という人間が出来上がっていることを痛感させられるのです。もちろん良いところも悪いところも含めてですが。
 きっと皆さんも多かれ少なかれ、そういった部分があるのではないでしょうか。

 間もなく春のお彼岸を迎えます。
 お彼岸は、我々の行きつく先が阿弥陀様のいらっしゃる西方極楽浄土であることに思いを馳せる期間です。生きている間はお念仏の功徳を積むとともに阿弥陀様のお守りを受け、死を迎えたならば、先立った方々の待っている極楽浄土へ必ずお連れいただけるのだという、生きていく上での「安心」を心に植え付ける大切な仏教ウィークといえます。

 今年のお彼岸はそれと同時に、極楽浄土でお待ちいただいているご先祖さまや縁のあった方々のことを思い出し、先ほどの歌詞にもあるように、ご自身の中にその方の「いいことやダメなこと」のかけらを探してみてはいかがでしょうか。その人の良かったところはしっかりと受け継がせていただき、好きじゃなかったところは自分の中にそれがないかを確かめる。きっと先立った皆さまを本当の意味で自分の中にもう一度「活かす」ことになり、より心のこもったご供養へとつながってまいります。

 さらには、今の自分の一挙手一投足が、顔も知らない子孫や後の人々へと受け継がれていく、そんなことにも少し心を傾け、お念仏とともにお過ごしください。
 南無阿弥陀仏

平成30年2月「想う」宮田恒順(豊島組善光寺)

2018 年 2 月 1 日

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 もし「生涯で一番美味しかったものは?」と聞かれたら皆さんは何と答えますか。大学生の頃、ある講義で先生に質問されました。その場で10分ほどの時間が与えられ、受講生は皆、原稿用紙一枚の作文を提出したことを覚えております。

 提出が終わると、それぞれの学生が作文を発表することとなりました。雪山に登った時に疲れ切った体で食べたカップラーメン、特別な記念日に家族と食べた夕食、初めて自分の力で稼いだお金で食べた高級料理などなど、約30名の多様な発表は最後まで興味深く面白いものでした。

 このテーマを出した先生も、終始笑顔で発表に耳を傾けていらっしゃいました。一つ共通していたのは、どれもが自身にとって特別な思い出となっているということです。思い出というものは不思議です。他人から見たらそれ程だとしても、本人からしてみれば何ものにも変えられない大切なものだったりします。

 先生は文章に触れる機会が多い仕事に就くかどうかは別として、人の織り成す文章から感受性や想像力を育むことをいつまでも大切にして欲しいと締めくくられたことを覚えております。

 2002年に質量分析の研究でノーベル化学賞を受賞した田中耕一博士はあるインタビューの中でこんなことを仰っていました。科学技術が発展した理由の一つには漫画があるというお話です。それは発想する力に影響を与えたから。想像力の豊かさが研究に繋がり、大事を成し遂げていく。

 このことは、人が生き死にを考える時も同じように大切なのかもしれません。私たちはどこから来てどこへ向かうのか。いつかこの命を終えていく私たちはどうなっていくのか。餓鬼のいるような世界や地獄の炎に焼かれるような世界に落ちていくことを止めるために、阿弥陀如来さまはお念仏のお誓いを用意して下さいました。私たちの往く末を想い、南無阿弥陀仏と称える者を必ず西方極楽浄土という世界に救うと誓って下さったのです。おとぎ話のような、架空のものの様に聞こえるかもしれません。しかしどのように判断するかは別として、どうか豊かな想像力をもって命の一大事に向き合ってみて頂きたいのです。

 2月は15日がお釈迦さまのご入滅された日にあたり、そのことを偲んで各地で涅槃会が営まれます。お釈迦さまにお会い出来なかったことは悲しいことでありますが、しかし、私たちの命の往く末をみ教えとしてしっかりと残して下さったことは本当に嬉しく有り難く思います。お念仏をお称えするこの私にはたとえ目に見えなくても寄り添って下さる方がおり、命を終えていく時には浄土という往き先があるということ。この信仰の灯りは今を生きるこの身をあたためてくれます。

 幸せな思い出を沢山作ることも出来るこの世の中です。しかし、その反面、老いがあり、病があり、命も落としていくこの世の中でもあります。

 前述の田中耕一博士は今、認知症の治療薬の研究開発もされているとのことです。大切な思い出すらも、時に奪われてしまうかもしれない私たちです。ですが、そんな憂いや悩みに迷う世界で生きる私たちだからこそ、阿弥陀如来さまは仏の眼で涙を流し、その姿に寄り添うと誓って下さいました。阿弥陀さまが寄り添って下さるお念仏の日暮らしの先にあるのは、沢山の大切な思い出をまた懐かしむことが出来る場所であり、大切な方とまた語り合うことが出来る浄土です。

 私自身、いつか命を終えていきます。その時には10年前作文に書いた「生涯で一番美味しかったもの」の思い出や、今持っている大切な思い出、この先で抱えることが出来るかもしれない失いたくない思い出を持って、阿弥陀如来さまにお救い頂く予定です。大切な思い出と一緒に、御礼の言葉も持って往こうと思います。2月、春の足音近づく中で、ご自身の命とその往き先に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。合掌

平成30年1月「救いの手」布村伸哉(城西組専念寺)

2018 年 1 月 1 日

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 新年明けましておめでとうございます。
 寒い日が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 先日閉幕した運慶展(上野・東京国立博物館)の入場者は60万人を越えました。連日盛況で入場1時間待ちは当たり前、上野公園は長蛇の列でした。史上最も有名な仏師と呼ばれる運慶。彼が作り出した仏像にはそれぞれに、それぞれの人々を引きつけてやまない魅力があるのでしょう。

 平成29年12月3日の朝日新聞に掲載された『男のひといき』という投書欄に、70代男性からの投稿がある。6年前リウマチの手術をして車いす生活になった奥さんが、ようやく杖で少し歩けるようになり、運慶さんの仏様に会いたいと言うので夫婦で運慶展に出かけたという。普通、展覧会の展示は“観る”ものであるが、この奥さんは“会う”と表現する。奥さんの仏像に対する想いが垣間見える。

〈館内は薄暗かった。妻の身を案じて手をつなぎ、たくさんの仏様に魅入った。手を差し出しているような姿の仏様の目を見ているうちに、この手を握りなさい、つなぎなさい、支えになる、と言ってくださっているように思えてきた。庭園に出てベンチに座り。このことを妻に話した。すると「私の手をつないで歩いたのはいつ以来?」と聞かれた。記憶をたどったがあいまい。「多分、あなたが田舎から初めて出て来て、都会の雑踏を歩いた時では」と言うと、「そんな昔」と驚いていた。〉

 長年連れ添い、苦楽を共にしてきたご夫婦であろう。混雑した館内での歩みを心配し、奥さんの手をしっかりと握った旦那さんは、そのいざないにゆだねる掌のぬくもりにシンクロして、薄暗闇に浮かび上がる運慶の仏像に魅入られ、あふれ出す救いの佇まいを確かに受け取っている。

 一方で、何十年かぶりに旦那さんと手をつないだ奥さん。上京したばかりで右も左もわからず、見知らぬ人々が足早に行き交う都会の雑踏。ひとりぼっちの不安で押しつぶされそうなその時に、ぎゅっと手をつないで先を導いてくれた強くふくよかな掌は、彼女にとっての一筋の救いの手だったに違いない。そして今、リハビリを経て、ようやく歩けるようになったものの、まだまだおぼつかない足下を案じて優しく握ってくれた旦那さんの掌もまた温かな救いの手であった。

 阿弥陀仏は「我が名を称えよ。必ず救う。」と、生死輪廻を繰り返し、自身の力では悩みと苦しみ、不安や悲しみの世界から離れ出ることができない我々凡夫(ぼんぶ)に、優しく温かく手をさしのべてくださる。私たちはその救いの慈悲にすがり、阿弥陀仏に有難く見守られ、心満たされ充実した日々を過ごし、命終の後には阿弥陀仏のお迎えにより、極楽浄土に往生させていただくのだ。

 運慶の仏像が放ち、我々が深く感じ入るその情調。このご夫婦が手をつなぐ姿のその先に、私は阿弥陀仏の有難く尊い救いを見る思いがするのだ。私たちは阿弥陀仏の御導きにしっかりと明日を見つめ、慈悲の御心を心の底から信じ任せて、「どうか阿弥陀様、お助けください」とお念仏をお称えして救っていただこう。

 先の投稿は以下の文章で結ばれる。
〈この日の仏様はこれまでの仏様と違って見えたという。より強く、優しく、ふくよかに感じたようだ。「これからも手をつないでね」と妻は言った。〉

 ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすれば、阿弥陀仏は必ず私たちを明るく照らし、支え守っていただけます。御手を差しのべこの身を救ってくださるのです。本年も良い年でありますように。南無阿弥陀仏

平成29年12月「追善供養、回向を改めて考える」鈴木智尊(江東組正覚寺)

2017 年 12 月 1 日

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 先日、当山の行事お十夜が終わり、寺での大きな年中行事も終了致しました。
 そのお十夜でご法話頂きました円通寺後藤上人のご法話から改めて感じたことをお話し致します。
 上人よりご法話を頂く前に、今夏、亡くなった私の母の為に檀信徒の皆様とお念仏を唱えて頂きました。そのお念仏は私の母へ向けた回向であり供養になるというお話を頂戴しました。

 小さいとき母に連れて行ってもらったところや、母との何気ない出来事や会話の中に思い出を回想しては、大きな失意の中におりました。心にポッカリと穴が空いた状態の中、いつまでもくよくよするのは亡き母の為にもこのままでは駄目だと思い、僧侶として自分が母に出来ることは回向し、供養することだと悲しさの中から頭を切り替える事にしました。いつも行っているお勤めでの回向、追善供養について改めて深く考える機会となりました。

 まず回向というのは読んで字の如く「回り差し向ける」という意味で、自分が修得した善根の功徳を他に回し向けることを言います。つまり回向というのは亡くなられた方への安らかな往生を願って供養し、亡くなられた方へ向けての読経や善行が自分の悟りの一助けとなると共に、亡くなられた方へ向けて分け与えることであります。

 それと併せまして追善供養というのは、生きている我々が亡くなられた人に対して行う供養のことです。敬いの心を持って亡くなられた方のために、法要を修することで善業を行う事とあります。亡くなられた方の往生を願うのが根本の目的です。

 年回法事・法要も、残された我々が、その念仏回向の功徳をもって亡くなられた方の往生を願う趣旨で年回の法事、法要を行っているのです。
 又、追善というのは文字が表わすように、生きている人が行う善業を持って、亡くなられた方の善業になる、それがまた自分に戻ってくるという考え方です。まさにそうなると先程の回向の話につながってきます。

 回向には二通りありまして自己のおさめた功徳を他へ向けるつまり、自分から相手に向ける往相回向と極楽に往生したものが仏力を得て我々に還して頂く回向を還相回向といいます。

 この回向については「梵網経」 にも「死後には経文を読誦し、その功徳福分を回向し人間と天上とか良き処に生まれる事ができるようになせよ」と追善供養をなすべき事が説かれております。亡くなられた方の追善へ、善業をすることがそのまま亡くなられた人の利益となり、同時に残れる現在の我々の功徳となって善業が広がり生きて行き、そして亡き人が救われるという事につながってきます。

 大事な事は残された我々が、亡くなられた方を縁として善を為すという供養の精神を受け取ることではないでしょうか。
 そうなると仏教の根本精神の縁起につながってきて、皆つながりを持っていて、如何なるものも限りのない縁によってできていて、助け助けられつつ共生しているのが縁起です。この縁起の法門をよく表したものが阿弥陀信仰であります。

 そこには我々が救われたのも阿弥陀仏の本願力によるものとするのであります。亡くなられた人の追善も全て阿弥陀仏にお任せ申し、念仏を励んでみ心を心として生活してゆくことが最上の追善供養の法という教えであります。

 法然上人のお言葉の中でも「阿弥陀仏に全てを任せて一心に念仏を申せば自らも亡くなられた方も、共に御光におさめられてお救いに預かる事が出来るのであり、お念仏を申して如来の御心を心として生活していけば自らも亡くなられた方も共に阿弥陀の御光に生かされ、世の人々とも同じくみ仏のお恵みの中に共に生きてゆく事ができるのでありまして、これが最上の追善供養となるのであります」と説かれております。

 私も母の為に一番の供養はお念仏をお唱えすることだと悲しみのなか、再認識致しました。
 故人への喪失の気持ちは誰でもあるものですが、故人の為にも心から合掌し、お念仏を唱え、亡き人を思い御供養してこそ始めて本当の供養となるのでないでしょうか。お念仏は広大な功徳があるので、故人の為にも自分の為にもお念仏から離れない生活を皆さまに送って頂きたいと思います。

平成29年11月「実践を通じて掲示伝道の魅力を伝える」~見えない光に支えられ~ 耕野孝順 (北部組専念寺)

2017 年 11 月 1 日

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 人に伝える方法は、言葉で伝えるほかに、文字を用いて人に伝える方法があります。
 父である住職がお寺を守っているなかで、「副住職のわたしでも、お寺に対してなにかできないだろうか」と思い、継続して取り組んでいることがあります。

「今月の言葉」と題し、お寺の境内にある掲示板に心に響く句や詩、文章の一部を筆で書き、毎月掲示していることです。2年間で約20枚の掲示をしてきました。
 こちらは参詣者に好評で、メモにとる方や写真を撮られる方もいらっしゃいます。そういうお姿を拝見いたしますと、俄然気合いが入ります。「共感する言葉」や「いま、旬な言葉」。ただきれいに文字を並べるのではなく、強調するところを力強く表現したり、文字の配置、書体など工夫して飽きないように、「来月はどんな言葉が掲示されているかな」と期待していただけるように、毎月模索しながら作成しています。

 なにも偉人だけが、素晴らしい言葉を残しているとは限りません。難しい言葉よりむしろ、簡単でわかりやすい方がスーッと心に入ってくることが多く、どんな方にも伝わりやすいのです。
 例えばマンガやアニメのキャラクターのセリフが
心に響くこともあり、「今月の言葉はこれで決まり!」と即採用することもしばしばです。
 また、季節に合わせて掲示するように心掛けています。今年の4月、ちょうど桜が見ごろの時に掲示しました、わたしが一番気に入っている言葉を紹介します。

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咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ

 この言葉にわたしが出会ったきっかけは、叔父の法話です。浄土宗総本山知恩院でのこと、旧知の布教師が、叔父の持っていた扇子に筆で書いてくださった言葉だそうです。叔父もよほど印象深かったのでしょう。何度もお説教で話されていました。

「咲いた花見て喜ぶならば」
 土の養分や水分をたくさん取って、葉からは太陽の光をしっかり集めて、ようやく咲くことのできる花の尊さがあり、純粋に花を愛する大切さを読み取ることができます。

「咲かせた根元の恩を知れ」
 咲いた花に感動するのであれば、咲かせるまでに至った「根」などの見えないところの働きにも感謝しなさい。といった思いが、最後の「知れ」で一層強く込められているように感じ取れます。

 わたしたちに置き換えてみますと、毎日の生活に追われて、自分のことや家族のことで精一杯になってしまいますが、大切なことは、目に見える、見えないどちらも、さまざまな「ご縁」つまり関わりがあってのわたしたちであることを日常のなかで忘れてはいけないということではないでしょうか。

 そうはいっても、現代社会においては真逆な考え方の人との付き合いや関わりを極端に避け、自分第一主義や自己尊重型の「個人化」という状態が急速に進んでいます。「家族葬」という言葉が生まれたのも、この「個人化」の影響といえるでしょう。生きているなかで、人との関わり「ご縁」を尊く思う気持ちが薄くなっていることは、当然仏さまやご先祖さまの尊さを感じることも希薄になってきているといえます。 
 目に見えるものに対しても感謝の気持ちが薄くなりつつあるこの世の中で、どうして目に見えないものに対して感謝ができるでしょう?
 
 中国浄土教の祖であられます「善導大師さま」は、ある僧より「あなたが説かれている阿弥陀如来はわたしたちには見ることができない実体のないものではないか。やはり仏は自分の心の中に思い描くだけのものではないのか」と問われた時に、「わたしたちの目で、仏さまを見ることはできません。しかし身近なところに仏さまは常にいらして、私たちを救おうと手を差しのべられています。残念ながら煩悩の霧で視界から見えなくなっているのです」と仰せになられています。

 時代が流れ、鎌倉時代に浄土宗をお開きになった「法然上人」は、この善導大師さまのお言葉を受け、ひとりでお堂にこもってお念仏をお唱えしている時にもわたしのまわりには阿弥陀如来をはじめ、たくさんの仏さまが近くにいらっしゃり、見守っていただけていると尊いことだと思い感じながら、お念仏を唱えていると弟子たちに説かれています。
 わたしなりの解釈ですが、携帯電話で通話するときも、見えない電波があるから通話ができます。阿弥陀如来や諸仏、ご先祖さまの慈悲の光や救いの光は、私たちの目に見えませんが、きっと電波のように絶えず発せられているのです。圏外になることもなく、常に「バリ三本」の電波(光)で、照らし導いてくださっているのです。

 日々の生活のなかで、この有り難い状態で生かされているわたしたちであるという尊さを忘れないようにしなくてはいけないと思う今日この頃です。
 花の咲きほこっている時やきれいな花に出逢った時に、この句を思い出していただければ幸いです。また、お寺や神社の掲示板や寺報に書かれている「すてきな句」や「心に響く言葉」に出逢いましたら、その時はどうぞ巡り会えたことを良き思い出として大切に記憶に残していてください。掲示伝道の冥利に尽きます。

咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ
日々有難し
南無阿弥陀仏

平成29年10月「ご先祖さまのこと」入西智彦(城北組得生院)

2017 年 10 月 1 日

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 お彼岸も過ぎ、十月を迎え秋の深まりを感じるようになりました。

 最近、顔も見たことのない先祖の供養に参列する必要はないのではないか、という趣旨のことをおっしゃる方がありました。ゆっくりお話できる状況ではなかったので、その方の真意はわかりませんでしたが、私にはちょっとした衝撃でした。

 でも、考えてみれば、直接会ったことがない人に親しみを感じにくいのも当然のことかもしれません。多くの方の場合、曾祖父母様にお目にかかったことがあるかどうかといったところで、その前となると「顔も見たことのない先祖」ということになって、名前もすぐにはわからない。

 人数で考えても、曾祖父母で8人、5代さかのぼれば32人、10代で1024人、当たり前ですが倍々で増えていくのです。さかのぼれば重複することもあるでしょうが、とにかく大勢のご先祖さまがいらっしゃる。

 さらに「先祖」とひとくくりにすると、漠然としてしまって、そのお姿を具体的に心に思い浮かべることもむずかしい。また、多少の記録が残っていても、すべてのご先祖さまについてくわしく知ることはできません。

 それでも、いま私たちがここに生きている以上、記録がないからといってご先祖さまたちが存在しなかったわけではありません。明治維新のときも江戸幕府開府のときも、もっとさかのぼって奈良・平安時代、さらにもっと過去の時代にも、ご先祖さまひとりひとりが、それぞれの人生を私たちと同じように一生懸命生きていたはずです。職業もさまざま、長寿の方も短命の方も、成功者もつらい人生を送った方もいたことでしょう。

 であれば、私たちで勝手に想像してみるのもひとつの方法だと思います。

 たとえば、博物館で展示される歴史資料を見学するとき、歴史小説を読んだり、大河ドラマを視たりするときにも、資料が示し、作品に描かれた時代を自分のご先祖さまが生きていたことを心に思い描くのです。

 いまに伝わる歴史的瞬間を目撃した人も、そんなこととは全く関係なく自分の生活を送っていた人もいたでしょう。どんなふうに想像してもよいのです。具体的な歴史的事実を知ることはできなくても、それぞれの時代を生きたご先祖さまの息吹を身近に感じとることができるかもしれません。

 そして、どんな人生を送ったご先祖さまであれ、おひとりでも欠ければ私たち自身が存在しないのだと考えると、ご先祖さまのありがたさと同時に、自分という存在がいかに貴重なものであるかが実感できるのではないでしょうか。顔を見たことがあってもなくても、大勢のご先祖さまの人生の連なりの果てに、私たちがいまを生きているのですから。

 ご供養への参列の要不要の問題を超えて、そうした想像力が人生を豊かに、大切にすることになると思いますし、ひいては私たちにいのちをつないでくれたご先祖さまへのご恩返しにもなることでしょう。

 こんなお話、当たり前のことだといわれればそのとおりなのですが、当たり前のことを知っていて普段忘れがちな私たちですので、秋の夜長にご先祖さまおひとりおひとりの人生に思いをいたして、想像を巡らせてみるのも私たちの人生に大いに意義あることではないでしょうか。

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