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活動紹介浄土宗東京教区は地域別に10組に分かれ、教化分団を組織しています。各地域、各寺院での様々な活動を紹介いたします。

「茶坊えにし」浅草組青年会有志の活動

2016 年 10 月 26 日

名称未設定-4浄土宗東京教区浅草組青年会に属する青年僧有志を中心に「仏教とお寺とお坊さんを身近に感じる事が出来る場所」として毎月1~2回『茶坊えにし』というイベントを開催しています。
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茶坊とは「茶房+お坊さん」の造語であり、えにしとは「縁」の事を指し、僧侶とお茶を飲みながら仏縁を結んで頂きたいという意味を込めた名前での活動を行っております。
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主な告知方法はHPとSNSにおいて行い、イベント終了後に参加者に毎回アンケートを取り、次回以降のイベント内容を参加者の方々が興味を持たれている内容に添えるよう企画しております。

浅草周辺寺院を中心にお寺を会場とした様々な内容のイベントを企画し、時には自分達が指導する立場になり、また時には専門の講師の先生をお呼びして、参加者の方々と机を並べて私達僧侶も一緒に学んでおります。そのように一緒に同じ立場で学ぶことにより、参加者の方々と僧侶の心の距離が近くなり、僧侶として寄り添う姿勢が自然に生まれてくるのではないかと考えて活動しております。

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今まで行いましたイベントの例と致しまして、書初め・七福神巡り・写経・写仏・十夜法要・数珠繰り念仏・腕輪念珠作り・お香作り・茶道体験・ヨガ・座禅・雅楽演奏会・篆刻作りなどを行い、大本山増上寺においての団体参拝、総本山知恩院、比叡山延暦寺への団参旅行という本山寺院への参拝も積極的に行っております。
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また、毎年夏には東日本大震災復興支援活動の一環で宮城県に赴き、炊き出しと現地での慰霊法要を行っております。

仏教への入り口として寺院で様々なイベントを行うことにより、仏教と寺院への関心を持って頂き、寺院に足を運んで頂きたい。

各イベントの終盤に趣旨に沿った法要を行うことにより、仏教をもっと身近に感じて頂きたい。

そのような思いを込めながら継続的な活動を行い、平成28年現在、活動開始から5年目に突入し、イベント数は70回を超え、定期的に参加して頂ける方も徐々に増えていっております。
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これからの仏教、そして浄土宗を伝えていく一つの形として、今後も多方面の方々のご協力を仰ぎながら活動していければと考えております。(浅草組長寿院副住職 北川琢也)

被災地支援:法問寺(北部組葛飾部)

2015 年 4 月 23 日

「想い、持ち続けて・・・」
                    法問寺寺庭
                          鈴木裕子

 2011年、東日本大震災から、もう、4年以上が経ちました。
 住職は、あの年の春の彼岸が明けてからは、ボランティアとして登録している、赤十字の医療班のサポートなどで、東北三県に何度か行っておりました。福島に行っている時などは、放射能の数値を毎日のニュースで確認して気をもんだりしたものでした。
 それで、私には何ができるのだろうか?と考えましたが、二人して出てしまうわけにもいかず、後方支援としてできることを探すことにしました。

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 後方支援で、まず思いつくのは、物資やお金などの支援でした。自分個人としてそれをすることが第一行動、そして、第二行動として……自分ひとりで終わらずに、周りの人たちと気持ちを合わせて何かしていこうと思いました。そこで、法問寺に咲く花の写真でポストカードを作って、その売り上げを寄付にしたらどうか…?と、5枚1組の蓮のカードを作りました。

 私はカードを作って皆さんに呼びかける、皆さんはカードを買ってくださって後方支援に参加してくださる、という形です。そして、この「ポストカード支援」は、この年の夏までに数百組を売ることができ、まずは災害遺児たちへの募金として15万円を贈ることができました。たった15万という方もあるでしょうが、500円ずつの皆さんの気持ちが集まったお金ですから!という思いでした。
 この後も現在に至るまで、このポストカード支援は細々ではありますが続けており、その都度、被災地向けの物資支援の資金となりました。

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 その物資支援は、初めは主に福島や岩手にある遠野ネットさんなどの、その時々のニーズを新聞・ネットなどで探して送るようにしておりました。その都度、お礼のはがきをくださる団体もあり、全国からたくさん届くであろう物資に細かな対応をなさっていらっしゃるので、かえって恐縮いたしました。

 住職の東北行きのおり、知り合った岩手の私設避難所となっていた神社さんにも、この避難所が閉設になるまでの間、物資などの後方支援をさせて頂きました。こちらでは、多い時には150人を超える方々が暮されており、避難所長となられた宮司さんの精神的な負担はとても大きく、お顔も存じ上げない間柄でしたが(それがよかったのかも・・・?)よく長電話でお話を伺いました。2011年8月に最後のご家族が出られて避難所を閉じられるまで、被災直後から日を経ていくにつれの大変なご苦労を思うと、本当に頭が下がります。
 後日、こちらに初めてお尋ねしたおり、私は奇しくも声が出なくなっておりましたが(笑)、宮司さんとかたい握手をかわし、宮司さんも私も目頭を熱くしました。

 併せて、我が家に犬の家族がいるので、動物家族のことが気になり、こちらもわずかな後方支援ですが、ポストカード支援をして物資を動物の避難所宛に送っておりました。

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 しかし、私はその間一度も被災地には立ったことがないまま1年が過ぎ、2012年春に初めて岩手を訪れ、その1年、自分なりに「どんなに微力でも何かしないと!?」と思っていたはずの気持ちは大きく揺らぎました。

 私が訪れた時は、それはいいお天気に恵まれ、海はどこまでも穏やかで、あのテレビの画面でも十二分すぎる恐ろしい脅威はみじんも感じられない……。しかし、振り返るとそこには……確かに以前にはそこに街があり、たくさんの人々の暮らしがあったはずの地が無残にむき出しのままどこまでも広がっている……。 車で走っているだけで、そこここどこからも、そこに暮らしていらしたであろう方々の気持ちなのか、そののどかな陽気と景色とは裏腹な何かが、私にはとてもとても重くのしかかってきました。

 ちょうど新聞に、宗派は忘れましたが若いお坊さんの記事がありました。やはり、あまりに膨大な被害のこの大災害を前にして、何をしても仕方ない、という無力感・虚無感からどう脱していいのかわからずにいる・・・というような内容の記事でした。読みながら、私もそれまで自分が自分なりにと、やってきたことはいったいどうなんだろう……と考えさせられました。

 しかし今思うと、この初めての東北行で、仮設住宅などそこで暮らされている方々と触れ合うこともできました。そして、この時に会えた方々から「どんな微力でも何もしないより、何かできることを探してやり続ける!」ということを続けていこう……と思えるパワーを頂いていた気がします。
 これを機会に、微力な後方支援は御縁でつながった仮設の方たちのお手伝いをできたら・・・という方向になりました。

 
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 東京に戻り、夏に向けてポストカードだけでなく「うちわde支援!」と銘打って、白い団扇に色づけをして言葉を書いて、その団扇も、支援グッズに加えました。 
 檀家の皆さんをはじめ私の周りの方々のご協力を得て、おかげさまで200本以上の団扇を書き、皆さんに買っていただきました。この時の売り上げは、仮設住宅の夏祭りの子供たちのお菓子やら花火などにすることができました。

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 季節ごとの花のポストカードや、法問寺に咲いた蓮の実を入れた腕輪念珠なども支援グッズに加えました。また、「支援グッズにしてください」と、手作りの袋物やらブローチなどを持ち寄ってくださる方もでました。
 福島の青年会の方たちの「浜○カフェ」のお手伝いに加えていただいたり、岩手では仮設住宅に泊めて頂き、皆さんからたくさんのパワーを頂き、支援しているというよりこちらが頂いているほうが多いように思います。

houmonji12_shoumonji13_s また、協力頂いた方々には逐次とはいかなくても、なるべく具体的にどのように皆さんの気持ちが使われたかを報告するように努めました。そして、現在進行形で「まだ、続いている」ということを皆さんに伝え続けなければ、という気持ちもありました。

 近年特に、あちらこちらで災害が増えています。そのどこにも支援は必要ですが、超!微力なお手伝いしかできないので、今も東日本向けの支援を続けています。
 今年4年目を迎え、仮設の窓口になってくださっているHさんからは「忘れないでいてくれること、それで十分。いつでも、また来てください!?」と言われました。何回かしかお邪魔していないのに、うちの犬が病気になったことを人伝てに聞いたという仮設の方々から、応援のメッセージを頂いたりもしました。2回ほど一緒に連れて行ったとき、それは愛おしそうに抱っこしてくださった方たちもいらっしゃったのを思い出します。
 本当に、不思議な御縁です………

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 徐々に災害復興住宅もでき、仮設住宅からぽつりぽつりと人が減っていき、また、せっかくつながりが出来ていたご近所さんたちも散り散りになってしまったりしているようです。そうした新たな出発に伴う色々な問題点などは、こちらにいるとなかなかわからないことです。
 だからこそ、これからも何ができるかわからないけれど、あちらとつながって、こちらでもできることを探しながら、周りの皆さんに周知して頂くお手伝いができれば……と、思っています。

福島・宮城・岩手「ふれあい物産展」のお知らせ

2015 年 3 月 16 日

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大本山増上寺御忌会(4月2日(木)~7日(火))
        ・灌仏会(花まつり・4月8日(水))
の間、大殿前にて
〝福島・宮城・岩手「ふれあい物産展」”
(浄土宗東京教区青年会主催)が今年も開かれます。
東日本大震災被災地へ支援のこころを込めて、
4月2日(木)~4日(土):福島県、5日(日)~6日(月):宮城県、
7日(火)~8日(水):岩手県の名産品などを販売しております。
美味しい品々が人気で、例年、多くの方々に各種ご購入いただいております。御参拝の折には、ぜひお立ち寄りください。

東北念仏行脚・慰霊法要

2014 年 12 月 9 日

 去る10月5日・6日の一泊二日で、教化団としては5月以来3回目となる東北被災地を訪問し、念仏行脚並びに慰霊法要を行ってまいりました。折しも台風18号が日本列島を縦断している最中で、新幹線が運行するかどうかという荒天の中、教化団長はじめ教化団理事他総勢8名で岩手に降り立ちました。

 気仙沼市経由で陸前高田市に向け陸路出発しましたが、激しい風と雨は一向に収まらず、初日の予定していた念仏行脚は断念せざるを得ませんでした。
 最初に訪れた浄土寺(陸前高田市)様では、同じく東北を訪問されていた浄土一洗会の諸上人と合流し、土屋教化団長導師のもと、合同で東日本大震災の物故者慰霊法要をお勤めいたしました。

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 法要後御住職より震災当日の様子、多くの檀信徒の方が犠牲になった事、復興の経過や今後の展望などをお話していただきました。

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 御本堂から町を見渡すと、空中には土砂を運ぶベルトコンベアーが張り巡らされ、かさ上げ工事が急ピッチで進められている様子がわかりました。また近くの復興住宅では、入居の為の引っ越しのトラックが止まっているのが見え、そういったことからも少しずつ町が,そして生活が変化していることがうかがえました。

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  その後、今回の震災で浄土宗では唯一住職として御遷化された三宮上人の住持されていた荘厳寺(陸前高田市)様を訪問し、墓前にて御回向させていただきました。そして5月に続き3度目となる大船渡市の永沢仮設住宅に向かいました。
 前回の訪問では、仮設住宅に泊まらせていただき、夜は住民の方との茶話会をさせていただきましたが、今回は都合により初日は宿泊のみとなりました。その仮設住宅の部屋は思ったより広い印象でしたが、それは生活品が置いていないためだと気づきました。実際に生活をしている方の部屋にお邪魔させていただきましたが、やはり手狭な印象でした。また当日は、雨や風が強かったこともあり、それらの音が気になるといった遮音性の問題、そしてこれからの雪のシーズンは密閉性の問題など様々な課題があることも気づかされました。仮設暮らしが長期化していることもあり、早急に課題を解決する必要があると感じました。

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 そして翌日は、仮設住宅の集会所にて住民の方も多数参加していただき、慰霊法要をお勤めさせていただきました。

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 永沢仮設住宅は、高台にある大船渡中学校の校庭に建てられており、窓からは港や海が見えます。やはりそういうなかで、当日のことを思い出す方も多かったようです。亡くなった家族や友人への思い、そういったものが合掌・念仏を通じて伝わってくるような気がしました。

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 3年という月日がたった今でも住民の皆様は様々な問題を抱え、そして新たな問題も出てきているようで、法要後の教化団理事との茶話会では、熱心に質問されている方もいらっしゃいました。

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 また帰るときは車が出発するまでお見送りをしていただき、感謝と共にまた再訪させていただければとの思いを新たにいたしました。
 
 仮設住宅を後にし、その後釜石経由で大念寺(大槌町)様を訪れました。そこでは再び「浄土一洗会」の諸上人と合流し、御本堂にて慰霊法要をお勤めさせていただきました。

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 また法要後には御住職より震災当日の様子や、被害状況、復興の経過などをお話しいただきました。

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 陸前高田市同様、被害の凄まじさに改めて驚かされました。
 そして天候ももどり、町の中を念仏行脚を行いました。

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 海沿いにしばらく歩みを進めましたが、本当に穏やかな海で、津波など想像できません。しかし釜石の遊覧船「はまゆり」が屋根に乗った民宿の残骸や

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 津波到着時の時間で時が止まっていた大槌町役場の建物の惨状など

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 陸に目を向けると津波の恐ろしさがわかります。こちらでも土地のかさ上げなど急ピッチで工事が行われていますが、復興にはまだまだ時間がかかるという事を身をもって感じてきました。
 今回2日間という短い期間の訪問でしたが、住民の方との触れ合いやまた復興の現状などを身近で感じることが出来ました。今後も継続的に訪問させていただければと思っています。

(文:城北組 快楽院 小池章弘、撮影:浅草組 西光院 若林隆壽)

大吉寺・感応寺(玉川組)の「災害対策」について

2014 年 8 月 6 日

narita 東日本大震災発生当時、私は浄土宗東京教区青年会の会長を務めており、被災地支援に努めてきました。任期満了の平成24年4月より同会の災害対策委員会委員長として、東日本大震災の被災地支援と同時進行で東京で災害が起こった場合の備えを検討してきました。

(写真・文:感応寺住職 成田淳教上人)

 東京都の災害想定や災害に関係する資料等を調べていく中で、平成25年4月1日より、帰宅困難者対策条例が施行される事を知りました。趣旨としては、災害発生直後の危険が伴う中での移動を抑制すると共に、多数の帰宅困難者により道路が混雑し、優先して行われるべき救助・救援活動などに支障が生じる事を防ぐための条例です。

 事業者は、従業者3日分の備蓄を行う事、集客施設は利用者の安全確保に努める事が主な内容です。
 それらを基に、私なりに災害時の寺院の有り様を想定し、下記の準備を行いました。

①食料及び生活用品の備蓄
 ◎食料品の備蓄
(各画像はクリックするとより大きく表示されます)
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 法事やその他の参詣者を大吉寺は30名、感応寺は20名の想定で、それぞれ3日間の食糧及び生活用品の備蓄。また、この人数想定は、余裕を以って客殿等で寝起きできる人数でもあります。
(約2畳あたり1人程度の面積で計算)

 ご法事が有る場合は、檀信徒が帰宅困難者とならないように、3日間寝泊りできる想定とし、ご法事が無い時には、近所の避難所に寄付する等有効な活用を考えます。
 他の地域で災害が起こった場合は、半分程度の量を被災地に提供する予定です。

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 感応寺の収納スペースは幅180cm×奥行45cm×高さ180cmの棚二つで十分な余裕があります。
 大吉寺の収納スペースは180cm×60cm×180cmの棚二つに収納しています。
 賞味期限は3年~5年のものが多いので、3年の場合は2年で、5年の場合は4年で買い替え、慈善団体に寄付したり、檀信徒に試食として配布する予定です。
 水については、一回目の入れ替え時には、飲料用以外の非常用水として、そのまま保管する事にしました。
 平均3年で入れ替えるとして、1年あたりのコストはおよそ下記の通りです。
 10人分約25,000円、20人分約40,000円、30人分約50,000円、
 40人分約70,000円、50人分約85,000円。
 備蓄用食料品は、リストをもとにamazonや楽天などネット通販で揃えました。
 この場合、賞味期限などの項目をしっかりとチェックして、信用できる業者から購入する必要があります。

生活用品の備蓄
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 生活用品も、食料品と同様amazonや楽天などネット通販で揃えました。生活用品は項目ごとに同じ出展者で揃えると、必ずとは言えませんが、同じダンボールに入って届くので、内容確認してそのまま、収納する事ができて便利です。

 大吉寺の場合は客殿が畳や絨緞なので座布団を利用する等して、寝る事ができますが、感応寺の場合は土足のまま入るスタイルなので、キャンプ用の銀マットを毛布と同数用意しました。

②ソーラーパネル等電源の設置
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 大吉寺・感応寺の両寺共にソーラーパネルを設置、停電時の電源を考えています。
 感応寺の場合は5kwのソーラーパネル、4kwhの蓄電池を置き、一時的には、各種充電や、扇風機程度を動かせるように考えています。
 また、両寺共小型の発電機を用意しています。
   太陽光パネル一式 2,700,000円
   蓄電池・無停電装置 750,000円
 感応寺のソーラーパネル設置や蓄電池は、感応寺と関係のある株式会社イーウェイズを通して購入設置しました。パネルメーカーや電池メーカーを調べてもらい、メーカーごとの性能比較や金額比較、設置工法(屋根に穴を開けない工法)などを見た上で決定しました。

③暖房器具の変更
 エアコン以外に電源を使用しないタイプの灯油ストーブを数台使用しています。燃料の入れ替えも考え、冬場は、灯油ストーブを主に使用しています。
 灯油ストーブは、暖が取れる他、少量のお湯を沸かすこともできるため、災害時にも有効と考えています。
 灯油は最寄りのガソリンスタンドで配達してもらえるところから、灯油タンク4つを購入し、冬場は4つのタンクをローテーションで使用し、残りが1つになった段階で3つ分を発注することとし、常にタンク1つ分は灯油が有る状態にしています。

④演習(バーベキュー)
 災害用に備蓄している調理用品等は日常のものと使い勝手が異なる為、それらが倉庫に有っても、いざという時に危険な使い方をしたり、うまく使えなかったりという事がないように、その他の準備をする事無く、突然「今日の夕方、有るものを使ってバーベキューをします」と職員に言い、使ってみるという事を行いました。
 その中で、炭火がうまく起こせないとか、ランタンが今あるものでは暗い、その他の意見を纏め、足りないものや、有ると便利なものを追加する等しました。

⑤備蓄品の管理
賞味期限や燃料類のローテーションなど、計画通りの物品を使える状態で維持するために、見える位置に消費期限を書くようにしていますが、Excelで期日の管理をするなどの方法を試用中です。

以上

專念寺(城西組)「震災復興記録」

2014 年 5 月 9 日

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  平成23年3月11日 午後2時46分

  東日本大震災発生

 ・本尊阿弥陀如来像、
  本堂、客殿、庫裏に被害なし。
  人的被害もなし。

 ・直後、境内の墓石倒壊、
  サオ石が回る、ずれる等
  被害多数。

 ・墓地西側奥の擁壁(石垣)
  の一部が崩落。

(↑写真・文:専念寺住職 布村伸哉上人)

「なんでこんなことが…」と呆然。これから一体どうなるのか、全く予想見当がつかず。

①3月11日
震災発生直後の状況

擁壁の先端より幅15メートルほどが崩落。石垣、ブロック、土砂で歩道と車道一部が埋まる。墓石5基、遺骨(骨壺)20霊が落下。

擁壁は区道に沿って約40メートル。坂道により下に行くほど高くなり、最高6メートルの高さ。大正3年に市電を通す為に市によって造られたものらしい。

既に100年近くが経過していたが、これまで特別に行政からの指導等はなし。上部は墓地になっており、他宗派寺院の墓地がブロック塀越いに隣接。

警察が来て道路は通行止めに。新宿区の職員も来る。

目撃証言から幸い人的被害はナシ。余震もあり、地盤が緩んでいることから、二次災害の危険があるので付近は立入禁止となった。

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②3月12日 
震災翌日

新宿区が雨による二次災害を防ぐ為にブルーシートを被せて土嚢で押さえた。

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③4月12日~15日
安全確保と車両を通す為、新宿区が矢板(防御壁)を設置した。
墓石の修理については石材店に随時お願いして直してもらう。
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④4月28日
区道の車両通行止め解除(約一ヶ月半後)。

⑤6月9日
業者より複数の工法が提示され、検討の結果、擁壁修復はL型擁壁工法とする。

⑥6月21日
地盤が固まってきたので落下の危険性のある上部墓地周辺の墓石を移動、遺骨をカロートから回収(7基)。
落下した遺骨・骨壺をようやく回収し本堂へお祀りする。少しホッとする。
工期、経費、工事での墓石の移動、道路への影響等を検討し、工法を連続鋼管矢板工法へ変更。業者も変更。設計からやり直す。

崩落の危険性がある擁壁の残存部分(25メートル)も併せて修復することにする(ASWフーチングレス工法)。複数の業者により設計の見直し。
今後の安全性と経費等を考慮し、擁壁全面をASW工法にて修復することに決定。設計のやり直し。

⑦11月
工事開始。進めて行くにつれ地盤の問題等が発覚。工期が一ヶ月延長。
予定にはなかった近辺の墓石を当家檀家了承のもと16基移動。
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⑧平成24年5月11日(震災より一年二ヶ月)
 擁壁修復完了。竣工式を行う。長いような早いような。
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⑨5月23日
專念寺崩落墓石並びに移動墓石の復元がすべて終了。

⑩7月5日
工事のため移動させて頂いていた隣接寺院の墓石復元が終了。

⑪平成25年1月31日
隣接寺院との境界壁(約25メートル)修復完了。
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これにより震災関連復旧事業は一応終了。
しかし擁壁上部土地は盛り土のため地盤の沈下が激しく、数年間は定期的な土の補充と締め固めが必要とのこと。
行政(新宿区・東京都)からは“原則として所有者の責任である”として公的補償・補助は一切なし。
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「一刻も早く修復したい!でもできない!」

震災直後より連日、行政との話し合い、総代・石材店・有識者との相談、隣接寺院との折衝。業者との打ち合せに追われる。そうした中で様々な問題が顕現していった。

その中でも一番の問題は工法、経費の問題であった。専念寺としては簡単にご先祖の墓石や遺骨の移動はできないので、工事にあたり、隣接している寺院を含めて墓石・遺骨の移動を最小限にすることを最優先にお願いし、それに安全性・経費を含めて工法を業者に検討してもらった。
それぞれにメリット・デメリットあり相談を重ね、最終的にASW工法により修復することに決定した。その設計や役所の申請等にかなりの時間が割かれた。

さらに今回、残存している擁壁(約25㍍)についても、今後の崩落の危険が高いとの判断から、崩壊箇所と併せて全面修復することにした。工事についても実際に掘り起こしてみると地盤が脆弱であることがわかり、その対応に時間がかかることになる。

次々と状況が変わり、その度に総代・業者と打ち合わせを行った。

さらに隣接寺院との話し合い(墓石の修理、工事のための墓石の移動、境界壁問題等)は先方の希望により先方弁護士を通してのものとなり、急遽弁護士を紹介してもらい、その弁護士との打ち合わせも日々重ねる。

思い通りに事態が進行せず、もどかしく時間と日にちが過ぎていく状況。

近隣からは、どうして早く直さないのか?と苦情もたびたび。先代住職を含め精神的にもきつい日々であった。

(⇑ 各画像はクリックするとより大きく表示されます)


見樹院(豊島組)の取り組み 「森を守り、健康で長寿 命の建築をみんなの力で」

2014 年 2 月 5 日

kenjuin1 見樹院では、宗祖800年大遠忌記念事業として、伽藍の全面リニューアルに取り組みました。
 小石川傅通院の塔頭であり、大給松平家の菩提寺として三百数十年の歴史を持つとはいえ、100軒そこそこの檀家、墓地の拡張も不可能など様々な制約の上に、少子化や社会・意識の変化で、寺も檀信徒各家も、将来の存続に関わる不安をかかえ、寺のあり方、運営方法を含め、抜本的な改革が求められました。

 今回の計画を組み立てるに当たり、檀信徒総会、総代・世話人会を重ねた結果、目標として、
 ①将来の負担にならない持続可能な寺にすること。
 ②念仏者として、具体的な生き方を提示し、希望を実感できる寺にすること。
 ③「見樹院」の名前をもとに「環境」をアピールできる事業を組み立てること。

 そして法然上人800年大遠忌の意義を現代に問うたとき、他の鎌倉仏教の祖師達を含め、人々が自ら選択し実践する思想史上の大転換を鑑み、
 ④みんなが参加・参画してつくりあげていく寺にすること。
を、4つの大きな柱としました。

 再建計画については10年以上前からあらゆる可能性を追求して、檀信徒ともあちこち見学に行ったり、専門家の意見などを聞いてきました。また、私自身も、自然保護やエネルギー、健康、エコ建築などの活動を通して、様々なご縁を頂いてきました。そして、今回の事業を、「一般社団法人 天然住宅」とのコラボレーションで組み立てることにしました。「天然住宅」は、日本の森林を再生することと、化学物質を使わず健康で超寿命の住まいをつくることを目的に活動している団体です。

 まず建物は、化学物質を用いない天然素材のみでつくり、300年以上の耐用をめざしています。木材はすべて国産の無垢材を、防腐剤等も使わず低温燻煙乾燥したものを使用しています。内装もすべて同様の無垢材や、床材・壁紙の接着剤を含め自然素材のみ。鉄筋コンクリートも、300年耐用の特殊な工法です。

( ↓ 外断熱の外壁も焼杉を使用)
kenjuin2 そして、寺院施設だけではなく、14戸の分譲住宅(マンション)を併設した複合施設として、コーポラティブ方式で建設しました。一般的に言えば土地と建物の「等価交換」で、建築費の大部分を捻出したわけです。「コーポラティブ」というのは、普通のマンションの場合、デベロッパーなどの建主が建築して利益を乗せて分譲するのに対し、最初に住まう人を集めて「建設組合」をつくり、みんなが建主になって建築業者と契約する建て方です。デベロッパーの利益の分、安く購入できるとともに、計画段階からみんなが参加してつくっていくので、隣に誰が住んでいるかわからないということもなく、安心できるコミュニティが形成されやすくなります。

 また、敷地の所有は宗教法人見樹院のままで、マンションの区分所有者と100年の定期借地契約を結んでいます。通常の定期借地権の場合、期間満了時に更地引渡しで、解体積立金を集めておくのが一般的ですが、この建物は300年耐用なので、100年後の満了時は地主である見樹院に無償譲渡という契約になっています。その後は見樹院がそれを賃貸したり再売却するなり活用できることになります。300年の歴史のある見樹院ですが、300年後まで続く資産として、檀信徒はじめ将来への安心感になるはずです。

 以上が事業の概要ですが、あらためて取り組みの意義と、私たちの思いについて述べたいと思います。

■森を守る

 日本は世界最大の木材消費国であり、輸入国でもあります。私自身、アジアなどで日本のために伐採された森林の残骸や、盗伐の木材を積んだトラックにも数多く出会い、心を痛めていました。そして環境破壊によって自然に頼って生きてきた人々が生活できなくなり、さらに地権者や政治家など、現地の一部の人々が潤い、格差が広がり、人権侵害が深刻になっています。

 様々な暴力やからくりによって、不当に安い労働や輸送という命への負荷をかけて安い木材が入ることにより、一方で、日本の林業が崩壊しています。戦後かなりの割合でスギやヒノキなどの造成林になった日本の森は、手入れをする人がいなくなると荒廃し、地すべりや土石流の危険も増大し、災害を引き起こし、水資源にも悪影響を与えています。

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( ↑ 間伐など手入れをしないために細いまま上に伸び、根が育たない)
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( ↑ 間引きはしたが放置されている)

 「天然住宅」は、森を守り、木材を有効に活用し、林業を再生するために、林業者と建築業者やユーザーを結びつける活動を展開しています。私たちも、実際に使う木材を伐りだす山を訪ね、間伐や下草刈りなどを経験しながら貴重な自然を使わせていただく思いを共有しています。都会で消費するものだからこそ「功の多少を計り彼の来処を量り」、生かされている 命の循環の輪の中に、自分自身を位置づける意識が必要だと思います。

■健康な環境を

 次のポイントとして、化学物質を徹底的に排除しています。花粉症をはじめアトピーやアレルギーなどが増えています。その原因は、食品添加物などの化学物質の蓄積だと言われています。しかし実際、一般的に人々が体内に取り込んでしまう化学物質は、空気中から吸い込む方が、食べ物の数倍も多いことがわかっています。それも外気ではなく室内が問題なのです。建材に含まれる防虫剤、防カビ剤。接着剤などから化学物質が室内に充満しているのです。ごく微量であっても、ある日突然、何かに反応して発症するかもしれません。建築・建材メーカーが政治力を発揮しながら設けられた基準では生きていけない人も実際にいるのです。

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 今回、見樹院のコーポラティブの説明会を、近所の学校の新築校舎の教室で開催したところ、部屋に入れないという方が何人もいて、次からは会場を変えました。そういう方々は確実に増えていて、天然住宅の事務所に相談に来る人が絶えません。これまでなかなか理解されず、変人扱いされたり、病院でも原因がわからず精神疾患と判断されるケースも少なくありません。

 そういう声なき声に寄り添って、誰もが安心して住まい、子どもを育てられる環境をつくらなくてはならないという思いで、化学物質を減らすのではなく、最初からゼロのものだけを使っています。
 さらに、火災になった場合、命を落とすのは熱ではなく、圧倒的に有毒ガスによるものです。天然住宅は、もしも火災になっても有毒ガスを発生させません。

■300年の計画―家を消費財から社会資本に

 天然住宅の中心事業は、一般の木造住宅です。化学物質を使わないのと同時に300年の長寿命を前提としています。もともと日本の古民家などは数百年単位で住まうことができます。その森のバイオマスによる低温燻煙乾燥は、囲炉裏で燻されるのと同じ効果によって長持ちします。実際、木材が最も強度を出すのは、伐採して200年後だという研究もあります。接着剤で固めた集成材や合版よりもよほど実績があります。

 今の住宅建築事情で言うと、建築されてから平均して30年足らずで取り壊されています。必ずしも建物の寿命ではないことも多いでしょうが、私たちはこのサイクルを資源環境の面だけではなく、社会のあり方として問題にしています。アパートに住んでいた家族が子どもが大きくなって例えば30年ローンで家を建てたとして、払い終わる頃には取り壊しとなり、また次の世代が同じことを繰り返すのです。GDPを押し上げるのにはいいですが、資源的に考えても、木材がそれなりに育つのには60年かかると言われていますから、持続性がありません。

 そして、人々にとっても、家がいつまでも本当の資産にはならず消費させられる仕組みのサイクルから解脱しないといけないと思います。
 私は子どもたちの支援でパレスチナを何度も訪れています。ガザを始め、経済を封鎖され、自由を奪われた人々は、極限的に貧しい生活を強いられています。しかし10数年前に大々的な空爆が始まる前まで、そんな中でもなんとか暮らしていけるのは、大家族が100年単位で代々住まっている家があるからだと感じました。見樹院の住宅は、コミュニティの資産、いわば社会資本として、未来の人々の生活を支えていくことをめざしています。

■安心のコミュニティづくり

 見樹院では、新しい伽藍をベースに、浄土への願いを発信をすることで、新たなつながりが広がっています。

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 森を守る活動も、子どもでもできる「皮むき間伐」をすすめるグループと連携したり、山地酪農事業者に譲ってもらった牛が私たちの森で大活躍してくれたり、エコビレッジや自然エネルギー事業者、その他様々なNPOや市民グループと共催イベントを開催しています。(写真:皮をむくだけで立ち枯れさせ、そのまま乾燥するので半年後の伐採では女性でも運び出せる)

 檀信徒の総代・世話人会のメンバーもそれぞれ、ホームページやフェイスブックを担当したり、企画から雑務まで、兼務寺との掛け持ちである住職を補佐しています。
 伽藍の続きである14戸のコミュニティは、管理組合を設立し、防災委員会、植栽委員会だけでなく、懇親会やイベントの幹事を申し出てくれます。みな30~40代の働き盛り、子育て世代ですが、町会活動にも積極的に参加し、町会役員からそれぞれ声をかけられることも多くなりました。

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( ↑ 雨水タンクの水を屋上菜園で使うための手押しポンプ)

 計画から現在に至るまで、檀信徒も住民も、かなり時間をかけ、話合いの回数も重ねてきました。NPOだ、100年の定期借地権だ、・・・と、普通に考えればかなりアヤシイと思われても仕方がないプロジェクトですが、未来「浄土」をめざして、可能性を信じ、責任を自覚し、みんなが参加して、みんなで考えて、一緒に生きていくというプラットフォームに、寺がなれればと思っています。

城北組練馬十一ケ寺の備災の取り組み

2013 年 8 月 26 日

arai_s 城北組練馬十一ケ寺では、共同で備災に取組んでいます。十一ケ寺の元世話役でこの事業に中心的に関わった仁壽院 副住職 荒井岳夫上人にお聞きします。


Q,今回倉庫を建築し備蓄を始められたとの事ですが、その経緯についてお聞かせください。
11kaji_s 十一ケ寺は、西武池袋線・大江戸線の豊島園駅近くの十一の浄土宗寺院の総称です。関東大震災後、昭和の初めに浅草より移転して来ました。バス通りから参道に入ると、両側に、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、稱名院、受用院、仮宿院、宗周院、快楽院、仁壽院が並んでいます。参道奥は突き当たりで、中央に阿弥陀様をおまつりし、周りが墓地となっています。十一の寺院がありますので、お彼岸、お盆、休日など、相当な人出となります。

 十一ケ寺では、互いの親睦と地域貢献を図ろうと、十一会を組織しています。任期二年二ケ寺ずつ、交代で世話役をつとめます。快楽院御住職と当方が世話役となった平成二十三年一月、墓地に共同で参拝施設を建てようとの声が高まっていました。昭和初期から続いた墓地の花屋さんが引退され、新たな整備が課題となっていたからです。お花やお線香を準備する場所や、トイレも必要と、プロジェクトチームを作り、計画を練りました。

三月十一日、東日本大震災が起こりました。十一ケ寺は、小さな石灯籠が折れたり、墓石が弛んだり、本堂の壁にひびが入るなどの他、特別大きな被害はありませんでした。ido_s しかし、報道で知るだけでも、被災地の状況は誠につらく、日毎に厳しくなる現実に誰もが途方に暮れたのではないでしょうか。三月末、被災地支援から帰ったご住職から「寺が地域の役に立たないでどうする」「水や食料を備蓄する防災倉庫を作ろう」「井戸やトイレが役に立つ」との話もありました。こうした中で、急遽、防災倉庫の検討が始まったのです。墓地では、昔ながらの手押しポンプの井戸が今も現役で、区の防災井戸にも指定されています。

 建築業者と十一会で打合せを繰り返し、防災倉庫のある参拝施設「阿弥陀堂」の建設が決まりました。十一ケ寺の法然上人八百年大遠忌記念事業となりました。完成は平成二十四年五月、東日本大震災から一年二ヵ月後のことです。備蓄は同年秋より始めました。

Q,倉庫の広さや、内装はどのようになっていますか。
souko1_s 阿弥陀堂の一部が倉庫になっており、床面積は12.42㎡です。天井には天窓があり、日中は電灯を使わないで済むようにしています。また自然に換気できるようダクトを設けてあります。棚は、壁に沿って、全長3.6m、奥行き60cmで三段に設けてあります。行事で使用する法具類と、防災備蓄品を入れています。入口は通常施錠してあり、世話役の二ケ寺が鍵を管理しています。

Q,備蓄品の種類、量についてお聞かせください。
souko2_s 現在の備蓄品は下記の通りです。まずは、様々な防災ガイド等を参考に、百人あまりが初期三日間をしのげるであろう、水と食料、簡易寝袋を用意しました。十一ケ寺各寺で、寺族分の備蓄はお願いし、参拝者や、一般の方々に配布できるよう考えました。賞味期限のあるものは、切れる前に各寺院に配布し、倉庫は新たな品に入れ替えます。
・水(1.5ℓ×12本)×22箱 ・水(500ml×48本)×11箱 ・簡易寝袋×100個 ・非常用食料(ビスコ)×110個 ・防災用ヘルメット×50個

Q,今後この倉庫をどのように活用していかれるかを
  お教えください。

 備蓄については、更に検討しながら、救急箱、ランタン、乾電池、カセットコンロ、簡易トイレ、懐炉、アルファ米、即席めん、鍋、トイレットペーパーなどの購入を順次進める予定です。
一方で、いざという時にどう動くか、複数の寺院が集まっているが故の難しさもあろうと思います。防災組織づくりや、防災訓練について今後の課題となっています。

kannon_s ちなみに、十一ケ寺参道の阿弥陀様は、関東大震災の難を逃れて、浅草からこの地に移され、十一ケ寺の守護仏として安置されました。また新たに、東日本大震災物故者追善のために寄贈された慈母観音像もおまつりしました。十一ケ寺の歴史を思うと、大震災のことを考えざるをえません。今後も一層、備災、減災に力を注いで参りたいと存じます。

 以上、練馬十一ケ寺の備災についてお話を伺いました。寺院が連なる特殊な環境を活かして、倉庫を建築し、備蓄を始めるという新しい備災への取組みでした。

東日本大震災復幸支縁 善光寺 出開帳

2013 年 3 月 14 日

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平成25年4月27日(土)
      〜5月19日(日) 
   9時00分~17時00分
    (最終入場16:30)

会  所:両国 回向院 (江東組)
 大人(高校生以上)1000円
 小人(小・中学生)  500円
    ※未就学児無料
別途「お戒壇巡り券」大人500円/小人300円/未就学児は大人の同伴があれば無料


(↑「申込書」 詳細は画像をクリックして下さい。拡大します)

第2回『浄土宗平和賞』東京教区 山田智之上人・森下慎一上人が共同受賞

2011 年 6 月 8 日

jusho去る6月8日 大本山増上寺に於いて、「浄土宗平和協会」平成22年度総会の席上、第2回浄土宗平和賞の授賞式が行われました。
今回の受賞者は各地より推薦を受けた11のエントリーの中から、東京教区城南組魚籃寺の山田智之上人が主宰する「おさかなの家」と、浅草組了源寺 森下慎一上人が主宰する「ぞうさんのおうち」が共同受賞され、浄土宗平和協会副総裁、大本山光明寺宮林昭彦台下より、それぞれ賞状・額装彫金レリーフ並びに活動資金として副賞が手渡されました。 両者共にNPO法人「ファミリーハウス」と連携し、難病を抱える子供、そしてその家族に宿泊施設を提供し、東京の大学病院などでの高度先進医療の治療を余儀なくされている患者やその家族を支援する活動をされています。
医療費はもとよりこうした患者を抱える家族にとって交通費や宿泊費は大きな経済的負担となります。経済問題から家族が崩壊するケースも間々あるようです。利用者は数日から長期では数カ月に及ぶ場合もあり、施設に宿泊しながら家族が病院の看護に通うこともあれば、患者ともどもこの施設に泊まって治療や検査に向かう事もあるようですが、難病患者を抱える家族の経済的負担軽減に大いに貢献しています。
また、複数の利用者が施設での生活をする中で、同じ悩みを持つ者どうしが励まし合い、いたわり合うといった家族間の交流の場としても大きな役割をはたしているようです。両上人共に利用者の患者家族をそっと見守るといったスタンスで、時には相談を受け、死について、仏教についてお話をすることもあるようですが、あまり宗教色を前面に押し出す事は控えていらっしゃるようです。
受賞スピーチの中で、山田上人は「たまたま知ったファミリーハウスの活動と自坊の所有する門前の家作が返還されたことが契機になった」、森下上人も「山田上人の活動に賛同するうち自坊の所有の貸し店舗兼住宅が返還されることとなり、この活動に参加することになった」とお二人とも“ご縁に導かれて”の活動であることを強調されておいででした。まさにご縁を頂くなかに、そっと寄り添い見守ってさし上げること、地味ですが患者家族にとって何よりの励ましとなっていると想像しました。

◆浄土宗平和賞とは ー浄土宗平和協会
昨今、改めて「社会参加する仏教」という言葉が提唱されています。本来、宗教的救済すなわち教化と、社会事業的実践は不可分であるといえましょう。 時代の急激な変化が大きな社会矛盾を抱え込むこととなった明治期、貧困の救済をテーマに各宗派・各教団が積極的に慈善事業に取り組み、足尾銅山鉱毒事件や東北地方の大飢饉の災害救済活動にも宗派を挙げての活動が成果を挙げました。
また我が宗に於いては児童擁護施設の建設や児童教育のほか渡辺海旭師の主導のもと各種の貧困対策事業が開始されています。これらは後に大きく発展する浄土宗の社会福祉事業の礎となりました。
現代に目を移すと、戦後の高度成長時代を経て日本の社会は大きく変化を遂げ、共同体や家族の崩壊は数々の社会問題を引き起こしています。このような状況において地縁・血縁を基とした伝統的寺院のあり方に加え、地域コミュニティの再構築、共同体の回復の核となる役割も期待されています。かつては貧困の救済が主なテーマであった各社会事業も、現代においてはグローバル化や社会問題の複雑化に伴い多岐にわたる対応が求められています。
浄土宗平和協会では、共生の理念を基に、一切の生きとし生けるものの安穏と平和を願う仏教者として「社会参加する仏教」を推進しています。この度の「浄土宗平和賞」の創設は各地で積極的に社会活動をなさっているご寺院・教師・寺族等の方々を顕彰すると共に、その活動内容等を広く会員にご紹介することによって、公益に資する未来の寺院のあり方のモデルとなり、格好のケーススタディと成り得ると考えています。

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