2009 年 10 月 のアーカイブ

弁栄上人遺墨画展

2009 年 10 月 18 日

10月18日(日)10:00~16:30
会場:大本山増上寺光摂殿大広間
bennei-ten主催:弁栄上人讃仰会
出展:財団法人 光明修養会、谷氏(東京)、観智院、大願寺(九州)
 この機会を逃しては、以後ご覧になれない作品ばかりです。どうぞご参集下さいませ。
*同日13:00~15:00 弁栄上人九十回忌追恩法要が大本山増上寺三階道場にて厳修されます。

お問合わせ:観智院 (芝組) 港区芝公園2-2-13 
電話: 03-3431-1450  FAX:03-3431-7807
E-mail masamichi@t.email.ne.jp

弁栄上人九十回忌追恩法要

2009 年 10 月 18 日

10月18日(日)13:00~15:00 
11:00より道場にてお念仏できます。昼食は各自。
会場:大本山増上寺三階道場 
主催:弁栄上人讃仰会
受付:増上寺光摂殿大広間前
会費:御志納 
導師:土屋光道上人
服装:僧侶の方は黒衣如法衣、在家の方は自由。ただし法要に相応しい服装。輪袈裟・念珠を持参下さい。
懇親会:17:00~メルパルクにて 懇親会費5000円
*同日10:00~16:30 光摂殿大広間にて弁栄上人遺墨展が開催されます。
お問合せ:観智院 (芝組)港区芝公園2-2-13
電話:03-3431-1450  FAX:03-3431-7807
E-mail masamichi@t.email.ne.jp

今月の法話 平成21年9月

2009 年 10 月 15 日

hasegawa

 

 
 「観音さま」


 長谷川岱潤(城南組 戒法寺)

  

  浄土宗の御本尊は中心が阿弥陀如来です。そして向かって右側に観音菩薩、左に勢至菩薩をお祀りいたします。このように仏様は一仏、二菩薩という形でお祀りすることが多くあります。
 たとえば中心がお釈迦様、釈迦如来であった場合は、右側が普賢菩薩、左側が文殊菩薩となります。また、中心が薬師如来であれば、右側が日光菩薩、左側が月光菩薩となります。

 それぞれ菩薩様のお名前も違いますが、菩薩様の役目、お働きは同じです。向かって右側の菩薩様は慈悲をつかさどる菩薩。左側は智慧をつかさどる菩薩です。慈悲では観音様が一番人気ですね。慈悲の観音は代名詞になるほどです。しかし残念ながら智慧で勢至様は今一つ知られていません。こちらは文殊の知恵に完全に負けてしまっているようです。

 さて知名度はともかく、観音様と勢至様のいわれと言われるお話をします。昔々のお話です。ある海に面した街に早離と速離という二人の兄弟が住んでいました。二人は早くして母親に死に別れ、継母に育てられていました。そんなことで二人は小さいときからさまざまなつらいこと、悲しい経験をしてきました。その年その地域は干ばつがおき、父親は家を出たまま帰ってきませんでした。継母はどんどん無くなる食料を見ていて、この二人がいなければと考えるようになりました。ある日継母は二人を呼び、向こうの島に父親がいるというから探しに行こうと誘い、ボートに二人を乗せ、島に着くと二人を島の奥に追いやって自分は帰ってしまいました。草一本生えていない石ころだらけの島でした。二人はここで自分たちの命が終わることを悟ります。

 兄の早離の胸に抱かれながら弟の速離は、鬼のような顔になって訴えます。「自分たちは今までつらい目、苦しい目、悲しい目に何度も会ってきた。そして最後に一番信用していた母親にまで裏切られてしまた。この恨みはどうしても晴らさなければならない。今度生まれ変わったら、自分たちをつらい目、苦しい目、悲しい目に会わせた人間、そして裏切った人間みんなに仕返しをしてやるんだ」と、興奮しながらまくし立てました。
 兄の早離は弟が落ち着くのを待って話しました。「でもどうだろう、私たちが経験してきたつらい目、苦しい目、悲しい目は私たちにとって大きな勲章じゃないか、この勲章を財産にして今度生まれ変わった時は、私たちと同じようにつらい目、苦しい目、悲しい目に会っている人々のところに行って、その人たちのためにできることをしてあげよう。僕たちはその人たちの気持ちが一番わかるのだから」と、弟はすぐにその意味がわかり、うなづいて仏の顔に変わって息を引き取り、兄も安心して息を引き取りました。
 兄の早離は観音菩薩に、弟の即離は勢至菩薩になりました。こういうお話です。

 観音経には私たちが助けてくれとお願いすると、観音様が飛んできてくれると書かれています。それはどんな姿でかというと、大人の男女、子供の男女でと書かれています。つまり普通の人の姿ということです。もしかすると隣の人が観音様かもしれません。そして隣の隣は自分だからご自身が観音様かもしれません。法然さんのお弟子の親鸞さんは奥さんのことをずっと観音様だと言っていたようですし、奥さんも娘にあてた日記に、あなたの父親は観音さまだったと書いています。
 さて、観音様と鬼の違いはどこでしょう。さっきのお話です。誰でもつらい目、悲しい目にあっています。その経験を怒りに変えれば鬼、財産とすれば観音様になるのです。観音様はどこにいましたか、阿弥陀様のお隣ですね。お念仏は観音様を呼ぶ声でもあります。また観音様になる力でもあるのです。

今月の法話 平成21年10月

2009 年 10 月 1 日

inaoka

 
 
 「月影」 

 稲岡春瑛(城北組 林宗院)

 

 

 

  もう、何年も前の話になりますが、私が住職を勤めております林宗院というお寺で、墓地の擁壁工事を行ないました。秋のお彼岸が終わって、お参りが少ない時期。ちょうど今頃だったと思います。工事の期間中墓地への立ち入りは禁止となっておりました。
 そんな日の夕方、もう日も暮れてとっぷりと暗くなった頃、お寺のインターホンがなりました。
 日が落ちてからのお寺への参詣者は珍しく、一体どなただろうと玄関へ向かいますと、そこには若いご夫婦がお花とお線香を持って立っておられたのです。
「商売をしているので、早い時間にお参りが出来ず、こんな時間になってしまった。お墓参りに来たのに墓地への立ち入りが禁止になっていて途方にくれた」と言うことでした。
 墓地の工事期間中お墓参りの方には本堂でお参りいただいている旨お伝えすると
「実は、親父が亡くなった後お袋が体調を崩し入退院を繰り返している。やっと良くなったかと思ったら今度は脳内出血で倒れて今入院している。友達にこのことを話したら、それは亡くなった親父さんがお母さんをあの世に呼んでるんだから、親父さんの墓参りに行って、お袋を連れて行くなって言って来い。と言われた」と言う事でした。

 お話を伺いながら、ご夫婦がお墓参りに来てそれが果たせず、めったに上がることの無かった本堂にお参りすることになったのはお父様に導かれたのだと感じた私は、『お父様は、お母様をあの世に呼んでなんかいらっしゃいません。むしろ逆です。体の弱いお母様の病状を少しでも軽くすむように見守っていて下さっています。お父様は現在阿弥陀様のみ国におられてご修行の身です。何の為のご修行か、すべて家族を守りたいが為のご修行なのです。助けて下さることはあっても、たたったり呪ったりなさるようなことは決してありません。せっかくお墓参りに来てくださったのだから、お父様に「お袋を困らせるな」と文句を言うのではなく、いつも見守ってくれてありがとうと感謝の気持ちで南無阿弥陀仏と手を合わせて頂けませんか。』とお願い致しました。するとご夫婦はパッと明るい顔になって「そうなんですか!親父はお袋を呼びに来たんじゃなくて、守っていてくれたんですか。だから脳内出血も手当てが早くて、命に係わることはなかったんですね。そうですか!親父は守っていてくれたんだ。」いらしたときの暗い表情から、喜びに満ちた明るい笑顔になって帰られました。

 年が変わり春のお彼岸になって、参拝者の中にあの晩尋ねてこられたご夫婦と、その間に毛糸の帽子を深くかぶったご婦人が座っておられました。「その節はありがとうございました。帰ってすぐに、お袋!親父がいつもそばで守ってくれているんだって。心配すんな!って言ってやったんです。そしたら、うれしいって喜んで、リハビリも一生懸命頑張ったんです。今日はもう歩けるようになったんで、一緒に親父の墓参りをしたくて連れてきました。」と満面の笑みを見せて下さいました。

 月影の至らぬ里はなけれども、
     ながむる人のこころにぞすむ

 浄土宗をお開き下さった法然上人のお歌です。月の光は、遍くすべてのところを照らして場所を選んだり、人を選んだりしません。しかしながら、その月の光をどう頂くかは、受け手の私たちの心しだいという意味のお歌でございます。水瓶の蓋をとれば月影が映るように、茂った葦を払えば水面に月の光が射すように・・・。
 亡き人の思いも、時も場所も選ばず常に私たちを見守っていてくださいます。其の事に気がつき、感謝の気持ちを持って生活できるかどうかは、私たちの心の問題なのです。

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