2011 年 6 月 のアーカイブ

第2回『浄土宗平和賞』東京教区 山田智之上人・森下慎一上人が共同受賞

2011 年 6 月 8 日

jusho去る6月8日 大本山増上寺に於いて、「浄土宗平和協会」平成22年度総会の席上、第2回浄土宗平和賞の授賞式が行われました。
今回の受賞者は各地より推薦を受けた11のエントリーの中から、東京教区城南組魚籃寺の山田智之上人が主宰する「おさかなの家」と、浅草組了源寺 森下慎一上人が主宰する「ぞうさんのおうち」が共同受賞され、浄土宗平和協会副総裁、大本山光明寺宮林昭彦台下より、それぞれ賞状・額装彫金レリーフ並びに活動資金として副賞が手渡されました。 両者共にNPO法人「ファミリーハウス」と連携し、難病を抱える子供、そしてその家族に宿泊施設を提供し、東京の大学病院などでの高度先進医療の治療を余儀なくされている患者やその家族を支援する活動をされています。
医療費はもとよりこうした患者を抱える家族にとって交通費や宿泊費は大きな経済的負担となります。経済問題から家族が崩壊するケースも間々あるようです。利用者は数日から長期では数カ月に及ぶ場合もあり、施設に宿泊しながら家族が病院の看護に通うこともあれば、患者ともどもこの施設に泊まって治療や検査に向かう事もあるようですが、難病患者を抱える家族の経済的負担軽減に大いに貢献しています。
また、複数の利用者が施設での生活をする中で、同じ悩みを持つ者どうしが励まし合い、いたわり合うといった家族間の交流の場としても大きな役割をはたしているようです。両上人共に利用者の患者家族をそっと見守るといったスタンスで、時には相談を受け、死について、仏教についてお話をすることもあるようですが、あまり宗教色を前面に押し出す事は控えていらっしゃるようです。
受賞スピーチの中で、山田上人は「たまたま知ったファミリーハウスの活動と自坊の所有する門前の家作が返還されたことが契機になった」、森下上人も「山田上人の活動に賛同するうち自坊の所有の貸し店舗兼住宅が返還されることとなり、この活動に参加することになった」とお二人とも“ご縁に導かれて”の活動であることを強調されておいででした。まさにご縁を頂くなかに、そっと寄り添い見守ってさし上げること、地味ですが患者家族にとって何よりの励ましとなっていると想像しました。

◆浄土宗平和賞とは ー浄土宗平和協会
昨今、改めて「社会参加する仏教」という言葉が提唱されています。本来、宗教的救済すなわち教化と、社会事業的実践は不可分であるといえましょう。 時代の急激な変化が大きな社会矛盾を抱え込むこととなった明治期、貧困の救済をテーマに各宗派・各教団が積極的に慈善事業に取り組み、足尾銅山鉱毒事件や東北地方の大飢饉の災害救済活動にも宗派を挙げての活動が成果を挙げました。
また我が宗に於いては児童擁護施設の建設や児童教育のほか渡辺海旭師の主導のもと各種の貧困対策事業が開始されています。これらは後に大きく発展する浄土宗の社会福祉事業の礎となりました。
現代に目を移すと、戦後の高度成長時代を経て日本の社会は大きく変化を遂げ、共同体や家族の崩壊は数々の社会問題を引き起こしています。このような状況において地縁・血縁を基とした伝統的寺院のあり方に加え、地域コミュニティの再構築、共同体の回復の核となる役割も期待されています。かつては貧困の救済が主なテーマであった各社会事業も、現代においてはグローバル化や社会問題の複雑化に伴い多岐にわたる対応が求められています。
浄土宗平和協会では、共生の理念を基に、一切の生きとし生けるものの安穏と平和を願う仏教者として「社会参加する仏教」を推進しています。この度の「浄土宗平和賞」の創設は各地で積極的に社会活動をなさっているご寺院・教師・寺族等の方々を顕彰すると共に、その活動内容等を広く会員にご紹介することによって、公益に資する未来の寺院のあり方のモデルとなり、格好のケーススタディと成り得ると考えています。

今月の法話(6月)

2011 年 6 月 1 日

sugiura

 

  「法爾・・・あるがままに」

 

   杉浦靖俊(八王子組 大昌寺)
   

 
 
 3月11日の東日本大震災より早二ヶ月半、被災された方々の支援が遅々として進まない様子にいらだちを覚えます。また福島の原子力発電所の事故も政府や東京電力の発表とは違い、当初から一部で懸念されていた冷却水喪失によるメルトダウンであったことが判ってきました。3月15日には水素爆発が起き多量の放射性物質が福島県はもとより南東北から関東平野一円に飛散し、これからも汚染は続いていくようです。

 そんな騒然とした翌日の16日、法然上人800年遠忌にちなみ、上人の遺徳をたたえ宮内庁より『法爾』という八つ目の大師号を頂戴しました。本来なれば一宗を上げてお祝いをすべき慶事が一転、津波による被害の大きさが判明するとともにその悲惨さに心を痛め、放射能被曝への不安も相まってお祝い気分はかき消され、遠忌法要も順延することになってしまいました。

 さて、今回贈られた大師号『法爾』とは「あるがまま」若しくは「運命がそのように定まっている事」を表す言葉で、法然上人のお名前の由来でもある「自然(じねん)法(ほう)爾(に)」にちなむものです。比叡山の権力争いから逃れ黒谷の地に出離遁世した叡空上人から法爾自然として門下に入らんとこの地に赴いた若き上人に「法然房」という号と最初の師の源光と叡空からの一字を合わせ「源空」というお名前を授かったと伝えられています。

 法爾も自然も共に「法のおのずからしからしむる事」「本来あるがままの自然のすがた」を表す言葉です。善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、あるがままに念仏を称えることこそ阿弥陀仏の救済に預かる唯一の道であると説かれた法然上人にふさわしい諡(おくりな)と思います。

 一刻も早く被災地域の復興が緒につき、原発の事故処理の方策にも目処が付いて、改めて遠忌にあたり法然上人の遺徳を偲び、晴れて大師号奉戴を心からお祝いできますことを願っています。

 ところで、先日参議院の委員会に参考人として出席した、専門家として長年にわたり反原発を唱えてきた京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生が、持論を述べた締めくくりにマハトマ・ガンジーの言葉を用いて、東電、国政、そして自身を含め原子力に関連してきた科学者を鮮やかに批判していました。それはガンジーの墓石に刻まれたもので、鳩山前首相も現職当時インドを訪問した折この言葉に感動して国会演説の中で引用していた記憶がありますが、今回の事故を踏まえた小出先生のものは重みが違います。

『7つの社会的罪』
1. 理念なき政治
2. 労働なき富
3. 良心なき快楽
4. 人格なき学識
5. 道徳なき商業
6. 人間性なき科学
7. 献身なき崇拝(信仰)

 最後の『献身なき崇拝(信仰)』とは色々な受け止め方があると思いますが、自己犠牲・自己否定、若しくは自己超越なしに真の信仰や宗教はありえないということなのでしょう。

 お念仏の教えに引き当てれば、凡夫の自覚のもとにありのままの姿で彌陀の名を称え、大いなる力に身をゆだねる中に必ずや救いがあるという法然上人の教えを思い起こさせてくれました。

 ガンジーの言葉にはこんなものもありましたね。
 『善きことは、カタツムリの速度で動く』

 体内被曝に注意は必要ですが、お念仏の中に焦らず希望を持ち、免疫力を高め、日々自身の与えられた務めに淡々と励んで行きましょう。

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