2011 年 9 月 のアーカイブ

平成23年度「仏教成人大学」教養講座

2011 年 9 月 16 日

仏教への理解を高め、お念仏の信仰を深めるために、
浄土宗東京教区教化団が開く教養講座です。


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(各回共通)
時間:13:00~15:45
場所:大本山増上寺三縁ホール
受講料:各回とも1000円
お問合せ・申し込み:
東京教区教務所まで


(↑「申込書」 詳細はこちらをクリックして下さい。拡大します)

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sasaki
第1回 9月16日(金)
「大乗の仏と菩薩」
花園大学教授
佐々木 閑先生


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kumagai
第2回 10月20日(木)
「法然上人と熊谷直実」
熊谷直実31代末裔
ミュージカルプロデュ-サー
熊谷かおり先生

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第3回 11月18日(金)
ウクライナの歌姫
ナターシャ・グジー コンサート
~水晶の歌声と
バンドゥーラの可憐な響き~

(撮影:広河隆一)

今月の法話(9月)

2011 年 9 月 1 日

araki

「縁・感激と感謝」

荒木昌善(江東組 金蔵寺)


私は愛知県濃尾平野の農家に出生。六人兄弟の次男でした。小学校を卒業するとすぐ親に申し入れました。家を出て小僧になりたい、と。両親は困惑し、遠縁にあたる尼僧に相談しました。そこで昭和9年4月20日、今の稲沢市片原一色の善應寺角田俊善師への弟子入りが決まりました。その頃、村の尋常高等小学校に通学していました。小僧に行くことがきまって登校途中、ふり返ったら我家が見えました。とっさに両眼から涙があふれ落ち、手で払っても払っても出てきました。翌日、又次の日も。あんなに家を出たいと思ったのに。この時私は生れ変りました。

江戸時代に「間引き」がありました。次男か三男が、「お宅の子どこへ行きました。」「あの子は遠くへ遊びに行きました。」それで間引いた返事です。又、明治以降も「口減らし」があって、寺の小僧に出されました。私の場合は自らの意志であります。善應寺では、善導大師のご遠忌の時で大勢の参拝でごった返しでした。縁を結ばさせていただき感謝です。一年間はどこにも行かず、寺でお経・掃除・寺務全般を四人の弟子で修行しました。

中学に入り、佛教専門学校(現在の佛教大学)に入学し、昭和17年9月21日卒業。10月1日岐阜の歩兵部隊に入隊。18年12月30日、豊橋予備士官学校卒業。直ちに成増飛行場に転属しました。19年2月、陸軍で海軍の雷撃部隊に行き海軍の雷撃隊の訓練を受けました。鹿児島の鹿屋航空隊です。私は航法偵察を習いました。
同じ頃訓練していた海軍は、7月サイパン島に行き、全滅しました。我が隊は10月30日、台湾沖海戦に出撃しました。無事帰還したのは一機のみ。沢山の戦死者を出しました。私は貧血病にかかり鹿児島陸軍病院に入院し、退院して1ケ月位で体力的に無理で参加しませんでした。部隊は再編成され、次の機会を待ちました。
遂に20年5月20日、沖縄湾岸に集結している軍艦攻撃の命令が下りました。三機で行動するこの計画。私は中隊長機の偵察員として同乗しました。夕刻、宮崎飛行場を離陸し、開聞岳上空を基点として沖縄に伺いました。西から東へ、湾には沢山の軍艦が集結していました。長機は照明を落し、二番機・三番機は魚雷を発射します。私は照明弾を落し、軍艦を確認し、針路二百七十度と告げました。十分飛び針路0度と言いました。飛行機は急降下し、海面すれすれに飛行し戦斗機の攻撃を避けました。戦斗機は帰りました。九州への進路をしらべ、九州への進路を定めました。旭日が見えかくれし、予定通り開聞岳の上空につきました。そして宮崎飛行場に無事帰りました。二番機・三番機はどこでどうなったのか帰りませんでした。

平素、中隊長は、「同乗の七人は俺が入院しても他の飛行機に乗ってはいけない」と言い、「貴様は坊主だ。死ぬときは一緒に死のう」と言っていました。私は坊さんになってよかった。無事に帰り生きる縁をいただきました。
8月15日終戦。これで戦死はなくなりました。将校は隊を出て近くの農家に寄り、タバコを吸い、「このタバコ恩賜タバコです。私、もういりません。」と言って出て数分後にピストルで自殺しました。私は戦時の勇者だ、平時に貢献しようと決意し、新しく生れました。

師僧は私が岐阜にいる時、遷化されました。寺へは帰れません。実家に帰り、2・3日後京都へ行き知恩院にお参りし、報告しました。1ケ月位して、兄弟子の紹介で江東組の金蔵寺に縁をいただきました。江東組では、大先輩のご指導をいただきました。圓通寺の後藤眞雄上人から、「私が若かったら、あなたを立派な布教師に育てられたのに。毎日法然上人の語法語を読み、上人の真意を身につけなさい。」と御指導を受けました。増上寺執事長になられた廣本徹隆上人からは、平素の御指導と増上寺布教師会加入の推薦をいただきました。今九十歳。法然上人八百年の御遠忌の年に生きて、その恩徳の広大なることを実感し、歓喜・報恩の気持で一杯です。

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