浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成23年10月「『関係性』について想う」宮坂直樹(城南組龍源寺)

2011 年 10 月 1 日

miyasaka




「『関係性』について想う」

宮坂直樹(城南組龍源寺)



「あー、早く独立したいなー。」わたくしが講師として通う高校で3年生が先日こぼした言葉です。成人にはまだ至っていないものの、18歳に届く年齢となった生徒たちがこの言葉を発するのを耳にすることは、十数年教壇に立っていると頻繁、とまではいかずとも、間々あります。
 ではあるのですが、今年は「思い立って」130人ほどにアンケートを取ってみることにしました。内容はそのもの「親から独立するとは?」。「学校を卒業したらどうしたいか?」という文脈でのこの質問に対して、9割以上の回答は「親の世話にならずに一人で生活していくこと」「自分の自由にできること」の2つに区分できるものでした。

 なるほど辞書にもそういった解釈が載っていますし、わたしたちも普段こうした意味でこのことばを使っているのも事実だと思います。
子どもが独り立ちすることは親の願いでもあることは事実ですが、生徒たちの言う「独立する」とは「自分の好きなようにやりたい」と同義、つまり「関係性を絶つ」に近い意味だということがアンケートの結果、改めて明らかになったのです。予想はしていましたが…。

 さきほど私は「今年は思い立ってアンケートを取ってみることにした」と書きましたが、なぜこれまでにも聞きなれていた発言に対して、今年はアンケートを取るまでにいたったのか。それは「関係性」という点で、阿弥陀仏と私とは3種の縁で結ばれている、という三縁(親縁・近縁・増上縁の3つの縁)、その中でも親縁のことが頭をよぎったからなのです。

 「衆生ほとけを礼すれば 仏これを見給ふ 衆生仏をとなふれば 仏これをきヽ給ふ 衆生ほとけを念ずれば 仏も衆生を念じ給ふ かるがゆへに 阿弥陀仏の三業と行者の三業と かれこれひとつになりて 仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに 親縁となづくと候」『往生浄土用心』(『拾遺和語燈録』巻下所収)

 阿弥陀様は、私たちが阿弥陀様のことを慕い敬う姿を見ていて下さり、その名を呼んだならば聞いて下さり、そして念じたならば阿弥陀様もまた私たちのことを念じて下さる。身と口と心の三業(さんごう)を合わせたならば、その想いは私たち凡夫から阿弥陀様への一方通行のものではなく、私たちと仏様の間に「関係性」が生まれるのです。この関係性は同時に、極楽浄土への「往生人」である先立った私たちの大切な方々と、私たちの間にも生まれる関係性なのです。
 
 さて冒頭の話。
 この親縁のお話から思い浮かんだこと。それは、果たして生徒たちが「親から独立する」ということを「関係性を絶つ」ことと同義であるかのような解釈をし、それを実行していったならばどうなるのだろうか。親縁において「おもいにこたえる」という実践を示されているにも関わらず、親に対してそれが行われないとするならば…。「仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに」ということばの中にそんなことを思い浮かべたのでした。

 さて、生徒たちには「独立する」とは「ひとりで勝手にやっていく」ことではなく、「これまで親御さんから面倒を見ていただいていたが、今度は逆に相談をされたり、手助けをしたり、相互依存の関係になっていくことなのではないか?」「その必要条件として“独立”があるのではないか?」という問題提起から様々な議論をしたのですが…その投げかけたことばの意味を本当に身にしみて感じるのは、ひょっとすると彼ら自身が親になってからなのかもしれません。
お念仏の生活の中、自らも周囲の方々との「関係性」について改めて思いをいたす。そのことがまた仏様に手を合わせることにつながっていく。清秋の日々、みなさまにもそんなお時間をお持ちいただけたらと思っております。
南無阿弥陀仏

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