2013 年 5 月 のアーカイブ

今月の法話(6月)

2013 年 5 月 31 日

okura



 「共に生きよう」

  大蔵健司(八王子組 不断院)




 「一人籠もり居て申されずば、同行と共行して申すべし。共行してもうされずば一人籠もり居て申すべし。」

 6月に入り木々の緑も深くなり、梅雨の便りも聞こえる季節になってまいりました。東京には浄土宗寺院が400ヶ寺以上ありますが、私が住職をしている八王子市には58万人の人口に対して浄土宗の寺院は7ヶ寺しかありません。その八王子市を含めて、日野市、町田市、多摩市、武蔵村山市、青梅市、の地域には合計15ヶ寺の寺院しかありません。
 浄土宗の行政区画では「組」と呼ばれる最小の区画で、この所属する区画を「八王子組」と呼んでいます。お寺同士の交流や連絡は勿論あるのですがなにしろ面積が広く、私が住職をする寺から八王子の中心部である八王子駅までは車でも30分程かかります。また隣の町田市のお寺に行こうと思ったら1時間以上の時間がかかってしまいます。

 浄土宗のお寺では年間を通して様々な法要がありますが、特に大きな法要(行事)に「施餓鬼会」(せがきえ)と言う行事があります。この法要は浄土宗のお寺でも7割以上のお寺で行われている法要ですので参加された方も多いかも知れません。通常お寺の法要は春・秋のお彼岸や夏のお盆など時期が決まっているものが多いのですが、お施餓鬼法要は本来一年中何時おこなってもよい法要です。
 実際に大阪にある「一心寺」さんでは「常施餓鬼」といって一年中施餓鬼法要を行っています。しかしながら東京近郊では春から夏にかけて行われる事が多い行事です。私の所属する「八王子組」のお寺でも「施餓鬼会」を行うのは5月から始まって6月7月8月と四か月にわたります。お寺も広い地域に散らばっていますし、駐車場の数も限られていますので比較的近くの御住職と車を乗り合わせてお互いのお寺にお手伝いに伺います。5月あたりはまだ気候が良く爽やかですがこれから梅雨があけて夏本番となってくると、法要が終わると汗がにじんできます、お盆やお施餓鬼のシーズンになって夏になって来たなと思う季節の行事です。

 最近では通常の御法事の人数も少子高齢化のせいか参加人数が少なくなってきましたが、お寺の「施餓鬼会」は沢山の檀信徒の皆様がお参りになられます。お寺によっては本堂に人が入りきれないので外にテントをはって対応しているお寺もあります。日頃は自宅のお仏壇の前で1人きりで手を合わせてお念仏されている方々もこの日は大勢の人たちと一緒になって餓鬼に施しを与え、そうして一緒に手を合わせてお念仏をお称えします。

 冒頭に書きましたのは法然上人の御言葉で「ひとりこもって称えることができなければ、仲間と共に称えなさい。〔仲間と〕共に称えることが出来なければ、ひとりこもってとなえなさい。」(現代語訳)という御言葉で「この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにしてすごすべき」(現代語訳)という御言葉のなかに出てくる一文です。これは念仏を申す人は、日頃から念仏を第一に考えて、念仏のしやすい環境で生活していきましょうということです。南無阿弥陀佛のお念仏は、誰か他人の為ではなく自分自身の為に阿弥陀様にお願いするお念仏です、ですから自分一人で称えればそれで充分ですが、やはり多くの方々と一緒にお称えできるのは自分一人ではないみんなと一緒に共に生きているのだと励みになります。
 年に一度でも自分と縁のある菩提寺で年齢も性別も立場もちがう人々と一緒にお念仏を称える機会が持てるのは本当に有り難い事です。特に浄土宗では「同称十念」といってご一緒に十遍のお念仏をお称えする御作法がございます。大勢の皆様と声を合わせてお念仏できる素晴らし御作法です。何も難しい事はなく皆さんと共にお念仏生活に生きる事はできるのです。

 今年もあと3ヶ月間普段自分の寺の檀信徒と一緒にお念仏させていだいておりますが私も多摩地区のあちらこちらのお寺さんにお邪魔してそこの檀信徒の皆様と一緒にお念仏をお称えさせて頂きます。

今月の法話(5月)

2013 年 5 月 1 日

simomura



 「遇い難くして
   遇う事を得た命を生きる」

  香念寺(北部組) 下村達郎



 私が自坊住職を拝命してから六年四ヶ月になります。住職であった祖父が亡くなってから十三年、既にその半分の時間を住職として過ごしてきたことを不思議な気持ちで受け止めております。

 祖父とのことで一つ思い出すのは、中学生時代、炎天下の都内を半日一緒に歩いたことです。当時は阪神淡路大震災の直後、社会科の自由課題のため「万が一徒歩で帰宅する時に備え、新宿区の学校から葛飾の自宅まで歩いてみる」というテーマを考えておりました。一昨年の大地震の際も「帰宅困難者」となられた方が大勢いましたが、自分自身そうなった場合を想定し、実際に歩いてみることをレポートの内容に決めたのでした。

 私は当初祖父を連れて行くことに反対でした。普段、本堂のしつらえをその時の気分で変えて祖母に注意されたり、会合の際、開始時刻は構わず、わざわざ自分の脚で一時間以上かけて歩いて行ったことを自慢にしたり……。祖父のそうした気ままでいい加減な部分を見ていたため、「一緒に行く方が安全」と言い張る両親に説得され、しぶしぶ提案を受け入れたのでした。

 二人で出発したその日、やはり予定通りにはいきませんでした。思い付きで行動する祖父、あらかじめ決めた道を選ぶ私とは対照的で、何遍も右往左往繰り返す羽目になりました。私自身地図の確認が下手で、出発時刻も十分早くしなかったという落ち度がありました。しかし中学生時分、「役に立つから」と、祖父に同行してもらうことをしきりに勧めた両親を恨む気持ちの方が勝っていました。
 結局まだ半分も進んでいない大塚駅近くで日が暮れてきてしまい、「アイスを食べよう」と祖父からカップのみぞれかき氷を渡されました。課題のため「最低限必要な水の量を知る」という目的で、それまでは水筒の水以外は口にしないで歩いていましたが、この時完全にギブアップ。しぶしぶ氷を受け取りながら、次の日に一人で歩き直すことを決意したのでした。
 本来一日だけで歩き終えるつもりでしたので、帰宅するや否や「祖父のせいでせっかくの夏休みが一日無駄になった」と不満を漏らしたのを覚えております。

 この「東京散歩」の数年後、祖父は二月の寒い時期に風呂場で亡くなりました。そこが私の人生の一つのターニングポイントと申しましょうか、大学受験から帰ってきたら通夜式が始まっていたこと、入学と同時に養成講座に入ることが決まり、着付けも日常勤行もままならないまま黒谷様にてお世話になったことを思い出します。考える時間がないまま僧侶としての道が始まってしまった、ということを当時は思っておりました。
 ただ今になって思い返しますと、寺を継ぐため資格を取らなくてはと力んでいた二十歳前後の頃、私の心の支えとなっていたのは、いい加減で腹立たしく思っていた祖父から渡されたあの夏の日のアイスの味や、さらに遡っては、その祖父が「この子は良いお坊さんになるよ」と、私の幼少期にお檀家様に対して言ってくれた言葉だったことを感じます。

 法然上人は「難値得遇」という御法語におきまして、「多生広劫を経て、生まれ難き人界に生まれて、無量劫を送りて遭い難き仏教に遇えり。(中略) 教法流布の世に遭う事を得たるは、これ悦びなり。」と説かれております。生まれ難いこの世に生を受け、お念仏の御教えに巡り会うことが出来たのは一つの奇跡であります。この法然上人のお言葉を拝読する度にお念仏の御教えに対するご縁の尊さを感じますが、同時に多くのおかげ様により今ここでお念仏をお称えする自分がいるのだということを改めて思います。祖父は私自身気付かぬうちに心の支えとなってくれていたと書きましたが、多くのご先祖様、ご指導くださる皆様がいて、何より安心して心をお預けできる阿弥陀様がいらっしゃるおかげで、未熟ながら自坊住職として日々過ごさせて頂いていることを思い起こすのでございます。

「徒らに明かし暮らして止みなんこそ悲しけれ」、支えられ生きる命と受け止め、お念仏を生活、心の中心に据えて、心新たにその日その日を大切に過ごしていきたいと思います。

合掌

 ※新宿区(新大久保)〜亀有は、実際次の日に歩き直しました。
学校を出発し早稲田へ抜け、その後目白台、白山、千駄木、谷中、日暮里、三ノ輪、千住大橋を渡り足立区に入り、堀切橋を渡って葛飾区へ……。そうした行程を経て、徒歩6時間15分かかりました。

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