浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成25年5月「遇い難くして遇う事を得た命を生きる」下村達郎(北部組香念寺)

2013 年 5 月 1 日

simomura



 「遇い難くして
   遇う事を得た命を生きる」

  下村達郎(北部組香念寺) 



 私が自坊住職を拝命してから六年四ヶ月になります。住職であった祖父が亡くなってから十三年、既にその半分の時間を住職として過ごしてきたことを不思議な気持ちで受け止めております。

 祖父とのことで一つ思い出すのは、中学生時代、炎天下の都内を半日一緒に歩いたことです。当時は阪神淡路大震災の直後、社会科の自由課題のため「万が一徒歩で帰宅する時に備え、新宿区の学校から葛飾の自宅まで歩いてみる」というテーマを考えておりました。一昨年の大地震の際も「帰宅困難者」となられた方が大勢いましたが、自分自身そうなった場合を想定し、実際に歩いてみることをレポートの内容に決めたのでした。

 私は当初祖父を連れて行くことに反対でした。普段、本堂のしつらえをその時の気分で変えて祖母に注意されたり、会合の際、開始時刻は構わず、わざわざ自分の脚で一時間以上かけて歩いて行ったことを自慢にしたり……。祖父のそうした気ままでいい加減な部分を見ていたため、「一緒に行く方が安全」と言い張る両親に説得され、しぶしぶ提案を受け入れたのでした。

 二人で出発したその日、やはり予定通りにはいきませんでした。思い付きで行動する祖父、あらかじめ決めた道を選ぶ私とは対照的で、何遍も右往左往繰り返す羽目になりました。私自身地図の確認が下手で、出発時刻も十分早くしなかったという落ち度がありました。しかし中学生時分、「役に立つから」と、祖父に同行してもらうことをしきりに勧めた両親を恨む気持ちの方が勝っていました。
 結局まだ半分も進んでいない大塚駅近くで日が暮れてきてしまい、「アイスを食べよう」と祖父からカップのみぞれかき氷を渡されました。課題のため「最低限必要な水の量を知る」という目的で、それまでは水筒の水以外は口にしないで歩いていましたが、この時完全にギブアップ。しぶしぶ氷を受け取りながら、次の日に一人で歩き直すことを決意したのでした。
 本来一日だけで歩き終えるつもりでしたので、帰宅するや否や「祖父のせいでせっかくの夏休みが一日無駄になった」と不満を漏らしたのを覚えております。

 この「東京散歩」の数年後、祖父は二月の寒い時期に風呂場で亡くなりました。そこが私の人生の一つのターニングポイントと申しましょうか、大学受験から帰ってきたら通夜式が始まっていたこと、入学と同時に養成講座に入ることが決まり、着付けも日常勤行もままならないまま黒谷様にてお世話になったことを思い出します。考える時間がないまま僧侶としての道が始まってしまった、ということを当時は思っておりました。
 ただ今になって思い返しますと、寺を継ぐため資格を取らなくてはと力んでいた二十歳前後の頃、私の心の支えとなっていたのは、いい加減で腹立たしく思っていた祖父から渡されたあの夏の日のアイスの味や、さらに遡っては、その祖父が「この子は良いお坊さんになるよ」と、私の幼少期にお檀家様に対して言ってくれた言葉だったことを感じます。

 法然上人は「難値得遇」という御法語におきまして、「多生広劫を経て、生まれ難き人界に生まれて、無量劫を送りて遭い難き仏教に遇えり。(中略) 教法流布の世に遭う事を得たるは、これ悦びなり。」と説かれております。生まれ難いこの世に生を受け、お念仏の御教えに巡り会うことが出来たのは一つの奇跡であります。この法然上人のお言葉を拝読する度にお念仏の御教えに対するご縁の尊さを感じますが、同時に多くのおかげ様により今ここでお念仏をお称えする自分がいるのだということを改めて思います。祖父は私自身気付かぬうちに心の支えとなってくれていたと書きましたが、多くのご先祖様、ご指導くださる皆様がいて、何より安心して心をお預けできる阿弥陀様がいらっしゃるおかげで、未熟ながら自坊住職として日々過ごさせて頂いていることを思い起こすのでございます。

「徒らに明かし暮らして止みなんこそ悲しけれ」、支えられ生きる命と受け止め、お念仏を生活、心の中心に据えて、心新たにその日その日を大切に過ごしていきたいと思います。

合掌

 ※新宿区(新大久保)〜亀有は、実際次の日に歩き直しました。
学校を出発し早稲田へ抜け、その後目白台、白山、千駄木、谷中、日暮里、三ノ輪、千住大橋を渡り足立区に入り、堀切橋を渡って葛飾区へ……。そうした行程を経て、徒歩6時間15分かかりました。

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