浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成26年5月「仏跡参拝インドの旅‐釈尊のうしろ姿を見た」島田昭博(豊島組光源寺)

2014 年 5 月 1 日

shimada

 「仏跡参拝インドの旅
 ‐釈尊のうしろ姿を見た」


   島田昭博
   (豊島組 光源寺) 

 インドの仏跡を訪ねる旅に行ってまいりました。今年と二年前、東京教区豊島組の主催で、大正大学名誉教授の佐藤良純師に同行講師をお勤めいただき、釈尊の足跡をたどったのです。
その中でも重要なのは釈尊「生誕の地ルンビニー」、「覚りをひらいたブッダガヤー」、「初めて教えを説いたサールナート」、そして「涅槃の地クシナガラ」の四大聖地です。

 昔の巡礼者は聖地を訪ねて何百キロの道を歩きました。私たちはバスでまわったのですが、だからといって決して楽な旅ではありません。バスはでこぼこ道を爆走し、後部座席では人間がシートごとジャンプさせられます。そんな車窓からの風景には、釈尊在世とそんなに変わっていないように思える部分もあります。「せめて江戸時代の農具があったら能率があがるのに」と思ってしまうような作業の仕方や、土と煉瓦と植物だけで造られた住まいを見ていると、古代インドにタイムスリップしたかのようです。IT産業の最先端を行くインドのもう一つの顔です。

 ルンビニーは、ネパール南部にあります。紀元前3世紀にアショーカ王が建てた石柱により、ここで釈尊が誕生したことがわかりました。母親のマヤ夫人の名前をつけた「マヤ堂」の中には、釈尊が生まれた場所であることを示す「マーカーストーン」があり、お参りすることができます。「ああ、まさにこの場所でお釈迦さまがお生まれになったのだ」と、想いは2500年の昔に飛んでゆきます。佐藤先生によれば、つい最近のマヤ堂内の発掘で木造の祠堂の部材が発見され、釈尊の時代が300年遡るかもしれないそうです。

 ブッダガヤーは、修行をしつくした釈尊が菩提樹の下で瞑想をし、「すべては因と縁によって生じ、この世は移ろいゆくもの。それに目覚めることにより苦しみをなくせる」と覚り、安楽の境地になられた場所です。菩提樹の隣には高さ50メートルの大菩提寺がそびえ、仏教聖地で最も巡礼者が多い場所です。チベット、スリランカ、タイ、ビルマ、西欧人など世界各地からの仏教徒の姿がみられ、「同じ仏教徒の仲間がこんなにたくさん」と、つながっているんだなあという気持ちがわいてくるところです。

 サールナートは、釈尊が初めて法(教え)を説いたところです。インドでもっとも有名な聖地ベナレス(バラナシともいう)の近くにあります。ダメーク・ストゥーパと呼ばれる巨大な仏塔のまわりを、五体投地しながらお参りするチベットからの巡礼者からは、信仰に対する真剣な姿勢が伝わってきます。考古博物館には初転法輪像などすばらしいお像が展示されています。

 クシナガラは釈尊が涅槃に入られた地で、6メートルの涅槃像をまつった寺院が建てられており、各国からの参拝者がお像に袈裟のように布をかけて供養していました。釈尊を火葬したところには荼毘塔があり(私が手に持っているのがその写真です)、舎利つまりご遺骨は各地に分けられ、ストゥーパ(半球形の塔)が築かれました。私は、荼毘塔の土を一つまみ持って帰りました。いずれ供養塔を建てる時、納めたいと思っています。

 仏跡を巡る旅は、仏教史跡を探訪する旅ではなく、「ダルマヤトラ」つまり釈尊の教えに近づくための巡礼の旅です。
 旅のさなか、釈尊がほんのしばらく前に滞在された地を訪ねたような、ひょっとすると釈尊のうしろ姿を見たのかもしれないような気持ちになりました。

 インドには現在も残酷な差別や、価値観を根本から問われる事象があり、訪れた人は答えようのない問いかけを投げかけられます。そんな世界にあってこそ、心を清浄に保つ道を示して下さった釈尊の存在に、あらためて帰依の心が湧いてくるのでした。
 皆さまもご縁がありましたら「ダルマヤトラ」のご経験を持たれることをお勧めいたします。

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