浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成26年7月「まことには飲むべくもなけれども・・・」原口弘之(城西組清岸寺)

2014 年 7 月 1 日

haraguchi

「まことには飲むべくもなけれども・・・」

 原口弘之(城西組 清岸寺)




 今年もあっという間に半分が過ぎ、もう七月です。厳しい暑さが続き、冷たい発泡性を有する飲み物が欲しくなる季節ではないでしょうか?
 ところで、お酒のことを仏教の隠語で般若湯(はんにゃとう、般若は智慧のこと)と呼ぶことはよく知られていますが、誰がいつ言い出したかビールのことを麦般若(むぎはんにゃ)や泡般若(あわはんにゃ)ということがあるようです。なお、最近の若い女性の間ではお酒で泡と言ったらシャンパンかスパークリングワインのことを指すようです。

 仏教徒が守るべき「五戒」と呼ばれる基本的戒律には、酒などの酔わせるものを飲むなかれという「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」がありますが、殺すなかれという「不殺生戒(ふせっしょうかい)」、与えられないものを取るなかれという「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」、よこしまな性的関係を結ぶなかれという「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」、うそをつくなかれという「不妄語戒(ふもうごかい)」の四つの戒が先にあり、その後にお酒で仏教者が平常心を失い昏迷に至ることのないように付加されたようです。つまり、不飲酒戒とは、身体と精神を健全に保つことを教えていると言えます。ちなみに密教経典の『大日経』では、五戒の最後にある不飲酒戒の代わりに、誤った見解を持つなかれという「不邪見戒(ふじゃけんかい)」を当てていることもあります。

 禅宗のお寺の山門前に「不許葷酒入山門(ふこくんしゅにゅうさんもん)」などと刻まれている石柱を見ることがあります。「葷酒(くんしゅ)山門(さんもん)に入(い)るを許さず」と読みます。葷酒とは、味が辛くて臭気の強い野菜とお酒のことで、病気の時以外は仏教で禁じられている五辛(ごしん)とお酒を意味します。葷は広い意味では肉類も含むようです。五辛(五葷)とは、葱(ねぎ)、薤(らっきょう)、蒜(にんにく)、韮(にら)、薑(はじかみ、しょうが)の五種で、臭気で他人に迷惑をかけたり、精力を高める野菜を指し、酒と共に修行道場へ持ち込むことを制止しています。

 この「不許葷酒入山門」と記された戒壇石(禁牌石、葷酒牌)の読み方に関して次のような話があります。ある人が「葷酒山門に入るを許さず」と読むのは、漢文の読み方を知らない人で、「葷は許さず、酒は山門に入れ」と読まなければならないと言ったそうです。そうしたら別の人が言ったそうです。まだ甘い、「許さざれども、葷酒山門に入る」と。

 浄土宗の宗祖である法然上人は、ある人からの「お酒を飲むのは罪になるか」という質問に対して「本来は飲むべきではありませんが、この世のならいです」とお答えになっています。続けて、「魚や鳥、動物の肉などを食べることはどうか」という質問に対しても「これも(お酒を飲むことと)同じです」とお答えになっておられます。

 別のご法語では、人々が来世のことについて、ある人は「魚を食べない者こそ往生できる」と言い、またある人は「魚を食べる者こそ往生できる」と言い合っているのを法然上人がお聞きになって、「魚を食べる者が往生するのであれば、鳥の鵜(う)こそが往生することになる。魚を食べない者が往生するのであれば、猿こそが往生することになる。魚を食べる、食べないに関係なく、ただお念仏をお称えする者が往生できると私は存じております」とおっしゃっています。

 このことから、お酒を飲む、飲まないにかかわらず、阿弥陀様の極楽浄土に往生するには心から浄土を願ってお念仏をお称えする以外にはありません。

 しっかりとお念仏の功徳を積んで、お酒に飲まれないように気を付けながら、いつ消えるかも知れない泡のようにはかないこの世を過ごしていただきたいと思います。合掌

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