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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

今月の法話 平成26年8月

2014 年 8 月 1 日

iwaya

「嘘も方便?」

 巖谷勝正(玉川組 祐天寺)






 愚衲は昭和34年の生まれですが、子どもの頃にはまだ「嘘をついたらお閻魔さまに舌を抜かれる」とか「嘘は泥棒の始まり」と言われ、厳しく戒められていました。時は平成に至って、あるコンピュータを使った犯罪で犯人が平気で嘘を言う姿が取り上げられ、NHKが街頭インタビューを報道しました。「嘘をつくのは仕方が無い」「人を待っていて、その人が来たときに『私も今来たところなんだ』と答えるのも嘘」などと嘘を肯定する意見が多く取り上げられていました。このニュースを見て、「あれ、嘘って何だっけ?」と一瞬わからなくなってしまいました。人間はある程度嘘をつかなければ周囲との関係を良く保つことはできないのでしょうか。人を傷つけず、逆に思いやる言葉は嘘と言うのでしょうか。

 改めて、日本語大辞典を引いてみました。「本当でないことを、相手が信じるように伝えることば。事実に反する事柄。正しくないこと」などの説明が並びます。しかし、この説明ですと、確かに人を待っているとき「ずいぶん待ったよ」と正直に答えるのと「いえ、ぜんぜん待ってないよ」と嘘を答えるのとどちらが良いのかわからなくなってしまいます。嘘は一概に悪いものではないと今の人たちが考えるのもうなずけます。

 さて、それではお釈迦さまは嘘をどう捉えていたのでしょうか。仏教では、十悪という概念があります。人は心と体と口で十の悪いことを犯しているという言葉です。その内、口で犯している悪いことが嘘に相当することだと愚見しました。

 口でする悪い行いは4つあります。「妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ)」です(以下『望月仏教大辞典』を参照)。

「妄語」とは、本当のことでないことを言うことで、見ていないことを見たと言い、見たことを見ていないと言い、聞いていないことを聞いたと言い、聞いたことを聞いていないと言い、知っていることを知らないと言い、知らないことを知っていると言い、自分のため、人のため、あるいは財産のためにこれらのことを言って、執着することを言います。

「綺語」とは、よこしまな心を持って正しくないことを言うことで、たとえ、本当のことであっても言うべき時でないときは綺語となり、益がない場合でも綺語となり、その言葉に本末がなく義理に欠けるときも綺語となります。また荒っぽい言葉、怒りを伴った言葉、正しくない考えに基づく言葉、聞くものよりも勝っていると過信して言う言葉なども綺語になります。

「悪口」とは、人を傷つけ、悩ませる言葉を言います。

「両舌」とは、2人の間に入って、それぞれに相手の陰口を言い、両者を仲違いさせ喧嘩させることを喜ぶことを言います。

 たとえば、狼が来ていないのに狼が来たと言って村人を混乱させるのは「妄語」となり、人を褒めようと思って正しい言葉を考えたとしても、大勢の人のいる前で話してしまい逆に恥をかかせてしまうなど、不適切な時と場所では「綺語」になってしまいます。

 あまり良い例が浮かびませんが、仏教では単に嘘という言葉でひとくくりには考えていないことがわかるでしょう。あるいは、嘘ということを仏教で考えるときは、上の4つの言葉を指すと考えるべきでしょう。そうするとやはり嘘をついてはいけないということがすっきり理解できると思います。

 1度の人生やはり正直に、言葉を適切に使って明るく正しく仲よく過ごしていきたいものです。でも人間ですから「綺語」を発してしまうことはしょっちゅうです。そういうときこそ最善の言葉である「南無阿弥陀仏」を称えて、綺語を帳消しにしていただきつつ、人生を一歩一歩歩んでいきましょう。

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