2014 年 12 月 のアーカイブ

東北念仏行脚・慰霊法要

2014 年 12 月 9 日

 去る10月5日・6日の一泊二日で、教化団としては5月以来3回目となる東北被災地を訪問し、念仏行脚並びに慰霊法要を行ってまいりました。折しも台風18号が日本列島を縦断している最中で、新幹線が運行するかどうかという荒天の中、教化団長はじめ教化団理事他総勢8名で岩手に降り立ちました。

 気仙沼市経由で陸前高田市に向け陸路出発しましたが、激しい風と雨は一向に収まらず、初日の予定していた念仏行脚は断念せざるを得ませんでした。
 最初に訪れた浄土寺(陸前高田市)様では、同じく東北を訪問されていた浄土一洗会の諸上人と合流し、土屋教化団長導師のもと、合同で東日本大震災の物故者慰霊法要をお勤めいたしました。

t1

 法要後御住職より震災当日の様子、多くの檀信徒の方が犠牲になった事、復興の経過や今後の展望などをお話していただきました。

t2 

 御本堂から町を見渡すと、空中には土砂を運ぶベルトコンベアーが張り巡らされ、かさ上げ工事が急ピッチで進められている様子がわかりました。また近くの復興住宅では、入居の為の引っ越しのトラックが止まっているのが見え、そういったことからも少しずつ町が,そして生活が変化していることがうかがえました。

t3

  その後、今回の震災で浄土宗では唯一住職として御遷化された三宮上人の住持されていた荘厳寺(陸前高田市)様を訪問し、墓前にて御回向させていただきました。そして5月に続き3度目となる大船渡市の永沢仮設住宅に向かいました。
 前回の訪問では、仮設住宅に泊まらせていただき、夜は住民の方との茶話会をさせていただきましたが、今回は都合により初日は宿泊のみとなりました。その仮設住宅の部屋は思ったより広い印象でしたが、それは生活品が置いていないためだと気づきました。実際に生活をしている方の部屋にお邪魔させていただきましたが、やはり手狭な印象でした。また当日は、雨や風が強かったこともあり、それらの音が気になるといった遮音性の問題、そしてこれからの雪のシーズンは密閉性の問題など様々な課題があることも気づかされました。仮設暮らしが長期化していることもあり、早急に課題を解決する必要があると感じました。

t4

t5

 そして翌日は、仮設住宅の集会所にて住民の方も多数参加していただき、慰霊法要をお勤めさせていただきました。

t6

 永沢仮設住宅は、高台にある大船渡中学校の校庭に建てられており、窓からは港や海が見えます。やはりそういうなかで、当日のことを思い出す方も多かったようです。亡くなった家族や友人への思い、そういったものが合掌・念仏を通じて伝わってくるような気がしました。

t7

 3年という月日がたった今でも住民の皆様は様々な問題を抱え、そして新たな問題も出てきているようで、法要後の教化団理事との茶話会では、熱心に質問されている方もいらっしゃいました。

t8

 また帰るときは車が出発するまでお見送りをしていただき、感謝と共にまた再訪させていただければとの思いを新たにいたしました。
 
 仮設住宅を後にし、その後釜石経由で大念寺(大槌町)様を訪れました。そこでは再び「浄土一洗会」の諸上人と合流し、御本堂にて慰霊法要をお勤めさせていただきました。

t9

 また法要後には御住職より震災当日の様子や、被害状況、復興の経過などをお話しいただきました。

t10

 陸前高田市同様、被害の凄まじさに改めて驚かされました。
 そして天候ももどり、町の中を念仏行脚を行いました。

t11

 海沿いにしばらく歩みを進めましたが、本当に穏やかな海で、津波など想像できません。しかし釜石の遊覧船「はまゆり」が屋根に乗った民宿の残骸や

t12

 津波到着時の時間で時が止まっていた大槌町役場の建物の惨状など

t13

 陸に目を向けると津波の恐ろしさがわかります。こちらでも土地のかさ上げなど急ピッチで工事が行われていますが、復興にはまだまだ時間がかかるという事を身をもって感じてきました。
 今回2日間という短い期間の訪問でしたが、住民の方との触れ合いやまた復興の現状などを身近で感じることが出来ました。今後も継続的に訪問させていただければと思っています。

(文:城北組 快楽院 小池章弘、撮影:浅草組 西光院 若林隆壽)

今月の法話(12月)

2014 年 12 月 1 日



「あいさつ」


青木照憲(芝組 酉蓮社)


 犬の散歩で通る中学校のフェンスに大きな字で「あいさつをしよう」と掲示してある。
 そこを通るたびに良い言葉だなと何気なく眺めながら通り過ぎていた。
 しかし、うがった見方をするとあいさつがなされてないのかなと思うようになった。

 朝起きたら妻に向かって「おはよう」と声を掛ける。出かけるときに「行ってきます」帰ってきたら「ただいま」と声を掛ける。
 団塊の世代の小住の小学校の頃あるいは中学の頃は教室に入るときに大きな声で「おはよう」と言いながら入ったように記憶している。昨今では議会などで会議室にいるときも大きな声で「こんにちは、ご苦労様です」と声を掛ける。
 当たり前のことだと思ってることが今は廃れてきているのかも知れない。

 確かに自坊の前の道を小学校に通う子供達に「おはようと」と声を掛けると、黙ってうつむく子、振り返って怪訝そうな顔をする子、小さな声で答える子、と様々であり、きちんとあいさつが出来る子供は少ないようである。
 そうであるからこそ、あれほどまでに大きな字で喚起する必要があるのだろう。

 話は変わるが、自坊でも二年前に納骨堂を新設した。厳かな雰囲気ではなく、とても明るくして特製の納骨箱に移骨して永代のお預かりをしている。いわば綺麗な感じにしたのである。納骨堂の中には入らないで外からお参りする事にしていた。それでも希望があれば中に入ることも良しとした。お参りに来られた方が納骨箱に手を添えて、「〇〇ちゃんお参りにきたよ元気」と声を掛けている。つまりあいさつをしているのである。これは新鮮な発見であり、心温まる光景であった。

 通夜の法話でも故人は極楽浄土から皆様を見守っておられますよ。でも皆様と別れて寂しい思いをされてますから日々声を掛けてあげてくださいね。と亡き人にも声を掛けることを勧めている。
 江戸仕草の中に「会釈のまなざし」というのがある。声を掛けなくても通りすがりの人にその仕草をすると、相手も笑みを返してくる。
 ある本によれば「あいさつ」は「人間関係を円満にする基本動作」とあり、あいさつという行為は、少なくとも敵意を持っていないことから始まって、好意を持っていること、尊敬の念を持っていることなどを相手に伝える動作であると書いてある。
 
もっともっとあいさつが気軽に交わせる社会になれば無味乾燥な人間関係も改善されるのでは無いだろうか。
 大人が率先してあいさつし合う世の中になりたいものである。

ページ上部に戻る