2015 年 4 月 のアーカイブ

被災地支援:法問寺(北部組葛飾部)

2015 年 4 月 23 日

「想い、持ち続けて・・・」
                    法問寺寺庭
                          鈴木裕子

 2011年、東日本大震災から、もう、4年以上が経ちました。
 住職は、あの年の春の彼岸が明けてからは、ボランティアとして登録している、赤十字の医療班のサポートなどで、東北三県に何度か行っておりました。福島に行っている時などは、放射能の数値を毎日のニュースで確認して気をもんだりしたものでした。
 それで、私には何ができるのだろうか?と考えましたが、二人して出てしまうわけにもいかず、後方支援としてできることを探すことにしました。

houmonji1_s

 後方支援で、まず思いつくのは、物資やお金などの支援でした。自分個人としてそれをすることが第一行動、そして、第二行動として……自分ひとりで終わらずに、周りの人たちと気持ちを合わせて何かしていこうと思いました。そこで、法問寺に咲く花の写真でポストカードを作って、その売り上げを寄付にしたらどうか…?と、5枚1組の蓮のカードを作りました。

 私はカードを作って皆さんに呼びかける、皆さんはカードを買ってくださって後方支援に参加してくださる、という形です。そして、この「ポストカード支援」は、この年の夏までに数百組を売ることができ、まずは災害遺児たちへの募金として15万円を贈ることができました。たった15万という方もあるでしょうが、500円ずつの皆さんの気持ちが集まったお金ですから!という思いでした。
 この後も現在に至るまで、このポストカード支援は細々ではありますが続けており、その都度、被災地向けの物資支援の資金となりました。

houmonji2_s
houmonji3_s
         
 

 その物資支援は、初めは主に福島や岩手にある遠野ネットさんなどの、その時々のニーズを新聞・ネットなどで探して送るようにしておりました。その都度、お礼のはがきをくださる団体もあり、全国からたくさん届くであろう物資に細かな対応をなさっていらっしゃるので、かえって恐縮いたしました。

 住職の東北行きのおり、知り合った岩手の私設避難所となっていた神社さんにも、この避難所が閉設になるまでの間、物資などの後方支援をさせて頂きました。こちらでは、多い時には150人を超える方々が暮されており、避難所長となられた宮司さんの精神的な負担はとても大きく、お顔も存じ上げない間柄でしたが(それがよかったのかも・・・?)よく長電話でお話を伺いました。2011年8月に最後のご家族が出られて避難所を閉じられるまで、被災直後から日を経ていくにつれの大変なご苦労を思うと、本当に頭が下がります。
 後日、こちらに初めてお尋ねしたおり、私は奇しくも声が出なくなっておりましたが(笑)、宮司さんとかたい握手をかわし、宮司さんも私も目頭を熱くしました。

 併せて、我が家に犬の家族がいるので、動物家族のことが気になり、こちらもわずかな後方支援ですが、ポストカード支援をして物資を動物の避難所宛に送っておりました。

houmonji4_s

 しかし、私はその間一度も被災地には立ったことがないまま1年が過ぎ、2012年春に初めて岩手を訪れ、その1年、自分なりに「どんなに微力でも何かしないと!?」と思っていたはずの気持ちは大きく揺らぎました。

 私が訪れた時は、それはいいお天気に恵まれ、海はどこまでも穏やかで、あのテレビの画面でも十二分すぎる恐ろしい脅威はみじんも感じられない……。しかし、振り返るとそこには……確かに以前にはそこに街があり、たくさんの人々の暮らしがあったはずの地が無残にむき出しのままどこまでも広がっている……。 車で走っているだけで、そこここどこからも、そこに暮らしていらしたであろう方々の気持ちなのか、そののどかな陽気と景色とは裏腹な何かが、私にはとてもとても重くのしかかってきました。

 ちょうど新聞に、宗派は忘れましたが若いお坊さんの記事がありました。やはり、あまりに膨大な被害のこの大災害を前にして、何をしても仕方ない、という無力感・虚無感からどう脱していいのかわからずにいる・・・というような内容の記事でした。読みながら、私もそれまで自分が自分なりにと、やってきたことはいったいどうなんだろう……と考えさせられました。

 しかし今思うと、この初めての東北行で、仮設住宅などそこで暮らされている方々と触れ合うこともできました。そして、この時に会えた方々から「どんな微力でも何もしないより、何かできることを探してやり続ける!」ということを続けていこう……と思えるパワーを頂いていた気がします。
 これを機会に、微力な後方支援は御縁でつながった仮設の方たちのお手伝いをできたら・・・という方向になりました。

 
houmonji5_s
houmonji6_s
houmonji7_s

 東京に戻り、夏に向けてポストカードだけでなく「うちわde支援!」と銘打って、白い団扇に色づけをして言葉を書いて、その団扇も、支援グッズに加えました。 
 檀家の皆さんをはじめ私の周りの方々のご協力を得て、おかげさまで200本以上の団扇を書き、皆さんに買っていただきました。この時の売り上げは、仮設住宅の夏祭りの子供たちのお菓子やら花火などにすることができました。

houmonji8
houmonji9 
houmonji10_s
houmonji11_s

 季節ごとの花のポストカードや、法問寺に咲いた蓮の実を入れた腕輪念珠なども支援グッズに加えました。また、「支援グッズにしてください」と、手作りの袋物やらブローチなどを持ち寄ってくださる方もでました。
 福島の青年会の方たちの「浜○カフェ」のお手伝いに加えていただいたり、岩手では仮設住宅に泊めて頂き、皆さんからたくさんのパワーを頂き、支援しているというよりこちらが頂いているほうが多いように思います。

houmonji12_shoumonji13_s また、協力頂いた方々には逐次とはいかなくても、なるべく具体的にどのように皆さんの気持ちが使われたかを報告するように努めました。そして、現在進行形で「まだ、続いている」ということを皆さんに伝え続けなければ、という気持ちもありました。

 近年特に、あちらこちらで災害が増えています。そのどこにも支援は必要ですが、超!微力なお手伝いしかできないので、今も東日本向けの支援を続けています。
 今年4年目を迎え、仮設の窓口になってくださっているHさんからは「忘れないでいてくれること、それで十分。いつでも、また来てください!?」と言われました。何回かしかお邪魔していないのに、うちの犬が病気になったことを人伝てに聞いたという仮設の方々から、応援のメッセージを頂いたりもしました。2回ほど一緒に連れて行ったとき、それは愛おしそうに抱っこしてくださった方たちもいらっしゃったのを思い出します。
 本当に、不思議な御縁です………

houmonji14_s
houmonji15_s







 徐々に災害復興住宅もでき、仮設住宅からぽつりぽつりと人が減っていき、また、せっかくつながりが出来ていたご近所さんたちも散り散りになってしまったりしているようです。そうした新たな出発に伴う色々な問題点などは、こちらにいるとなかなかわからないことです。
 だからこそ、これからも何ができるかわからないけれど、あちらとつながって、こちらでもできることを探しながら、周りの皆さんに周知して頂くお手伝いができれば……と、思っています。

今月の法話(4月)

2015 年 4 月 1 日

nanba_s



「教化から共感へ」


難波大昭(北部組 法受寺)




 教化についての一文の依頼をお受け致しましたが、もとより器ではございません。そこで私が感じたなりの事を託してお役目にかえさせていただきます。
 當山は足立区の最北にあり、一帯は住宅地でお寺が十三ヶ寺あり「伊興寺町」として、土曜・日曜には散策の方でにぎわいます。
 たとえば、林家三平さんの常福寺、三遊亭円楽さんの易行院、塩原太郎の東陽寺、安藤広重の東岳寺、怪談牡丹灯籠の法受寺、ならびにこの土地は縄文時代の遺跡としても有名な古墳があり、大変貴重なところでもあります。

 なぜ、この土地がお寺の街かといえば歴史は浅く、浅草・築地・谷中にあった名刹が関東大震災で被災し、昭和の初めに移ってきたのです。
 そのような環境の中におかれた上に、世の中が戦争への道を歩む中で、当時の御住職は寺の維持・経営はもとより、教化においてはさぞご苦労されたことでしょう。
 いわば足立の地においての「都会の寺(端的にいえば檀家と寺との関係は強くても、檀家同士のつながりはいかがだったのでしょうか)が、足立区に越してきたわけです。

 私が若い時、七月・八月ともなると、地方の寺々のお施餓鬼会のお手伝いに伺います。昼頃ともなると三々五々近郊近在から、普段着のままおみえになり、お寺の役員さん心づくしのお昼をにぎやかにめしあがり、ご本堂に座を移しても、お隣り同士が話に花が咲き、法要がはじまっても途切れることはありません。
 ご住職やご随喜のお寺さんが読経しているのに!! ご住職も、それを注意する様子もありません。あそこではお米の出来具合、ここでは嫁や孫のこと、そこでは昨日の酒の話等、まったくめちゃくちゃです。法要後、ご住職に聞いてみました。事のすべてを。
 ご住職いわく「お寺は村のコミュニケーションの場だから、それで良いのだ。私もお檀家さんも双方にわかっている。お寺が村の中心で心のよりどころとしているのだと。ですから、お寺から話題を出せば、檀家さんはすぐ理解し「共感」してくれます。」とのご返事でした。
 普段の教化はもとより「檀家と住職との共感」。私はハタとひざを打ちました。

「都会の寺」として、法受寺の「共感」とは何か。その初めはお線香つけでした。ご参詣の方にお線香に火がつく約二分間、お天気のこと、ご家族の健康のこと、お寺の近況等、それはそれはたわいのない話題ですが、これが私にとって「共感」のもととなりました。
 ピンポンとなれば、平日は5~10回、日曜や彼岸ともなれば20~30回、居間から玄関への往復です。「共感」への「行」となりました。
 このようにして約50年間、時の経過の中に、お檀家さまの喜びや悩み、子や孫の成長、あるいは祖父・祖母・父・母の思い出を次代に託す等の「たて糸」と寺の行事を通して育まれた寺友・墓友の「よこ糸」で「共感模様の布」(全檀家の家族・親戚の方々の顔と名前及びご様子等を熟知することにより、個人情報を前提にして、当意即妙に、心の相談等の対応)を織りつつあります。

法受寺の「共感」行事

○日々のおつとめ 午前6:30朝勤行(本堂)・午後6:00夕べの鐘(鐘楼堂)
○ご詠歌とお経のつどい(第一水曜日)20名
○ヨーガ教室(第二火曜日)30名
○お写経会(第三土曜日)30~40名
○法然上人遺跡めぐり(年一回、19年)25~30名
○伊興寺町寄席(町おこし落語会・年二回、19年)100名
○つぼみ会(檀信徒懇親)(お花見・暑気払い・忘年会、15年)40名
○宿坊体験(年一回・増上寺・5年)10~15名
○いきいき健康塾(お檀家・生活習慣病予防検診・葛飾検診センター担当、会場:本堂・境内)40~50名
○24時間・こころの相談室(03-3899-1620)
○更生保護施設研修(年一回、6年)20~25名
○除夜の鐘・伊興七福神めぐり
○知恩院・おてつぎ運動参加(年一回、3年)10~15名

法受寺の「共感」行事

[全檀家へ送付]
○『浄土宗新聞』
○浄土一洗会『日めくり』
○知恩院おてつぎ『華頂』

「共感」への理念
○お寺は、「お寺屋」さんでありたい。
○住職は、「職人」でありたい
○お寺は、「お・も・て・な・し」でありたい。
○お寺は、24時間、地域の「心のよりどころ」でありたい。
○お寺は、「開かれた・生きている場」でありたい。

そして、これらを理解してささえてくれるのは、寺族の「お・か・げ・さ・ま」に常に感謝しています。南無阿弥陀佛

ページ上部に戻る