浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成30年1月「救いの手」布村伸哉(城西組専念寺)

2018 年 1 月 1 日

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 新年明けましておめでとうございます。
 寒い日が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

 先日閉幕した運慶展(上野・東京国立博物館)の入場者は60万人を越えました。連日盛況で入場1時間待ちは当たり前、上野公園は長蛇の列でした。史上最も有名な仏師と呼ばれる運慶。彼が作り出した仏像にはそれぞれに、それぞれの人々を引きつけてやまない魅力があるのでしょう。

 平成29年12月3日の朝日新聞に掲載された『男のひといき』という投書欄に、70代男性からの投稿がある。6年前リウマチの手術をして車いす生活になった奥さんが、ようやく杖で少し歩けるようになり、運慶さんの仏様に会いたいと言うので夫婦で運慶展に出かけたという。普通、展覧会の展示は“観る”ものであるが、この奥さんは“会う”と表現する。奥さんの仏像に対する想いが垣間見える。

〈館内は薄暗かった。妻の身を案じて手をつなぎ、たくさんの仏様に魅入った。手を差し出しているような姿の仏様の目を見ているうちに、この手を握りなさい、つなぎなさい、支えになる、と言ってくださっているように思えてきた。庭園に出てベンチに座り。このことを妻に話した。すると「私の手をつないで歩いたのはいつ以来?」と聞かれた。記憶をたどったがあいまい。「多分、あなたが田舎から初めて出て来て、都会の雑踏を歩いた時では」と言うと、「そんな昔」と驚いていた。〉

 長年連れ添い、苦楽を共にしてきたご夫婦であろう。混雑した館内での歩みを心配し、奥さんの手をしっかりと握った旦那さんは、そのいざないにゆだねる掌のぬくもりにシンクロして、薄暗闇に浮かび上がる運慶の仏像に魅入られ、あふれ出す救いの佇まいを確かに受け取っている。

 一方で、何十年かぶりに旦那さんと手をつないだ奥さん。上京したばかりで右も左もわからず、見知らぬ人々が足早に行き交う都会の雑踏。ひとりぼっちの不安で押しつぶされそうなその時に、ぎゅっと手をつないで先を導いてくれた強くふくよかな掌は、彼女にとっての一筋の救いの手だったに違いない。そして今、リハビリを経て、ようやく歩けるようになったものの、まだまだおぼつかない足下を案じて優しく握ってくれた旦那さんの掌もまた温かな救いの手であった。

 阿弥陀仏は「我が名を称えよ。必ず救う。」と、生死輪廻を繰り返し、自身の力では悩みと苦しみ、不安や悲しみの世界から離れ出ることができない我々凡夫(ぼんぶ)に、優しく温かく手をさしのべてくださる。私たちはその救いの慈悲にすがり、阿弥陀仏に有難く見守られ、心満たされ充実した日々を過ごし、命終の後には阿弥陀仏のお迎えにより、極楽浄土に往生させていただくのだ。

 運慶の仏像が放ち、我々が深く感じ入るその情調。このご夫婦が手をつなぐ姿のその先に、私は阿弥陀仏の有難く尊い救いを見る思いがするのだ。私たちは阿弥陀仏の御導きにしっかりと明日を見つめ、慈悲の御心を心の底から信じ任せて、「どうか阿弥陀様、お助けください」とお念仏をお称えして救っていただこう。

 先の投稿は以下の文章で結ばれる。
〈この日の仏様はこれまでの仏様と違って見えたという。より強く、優しく、ふくよかに感じたようだ。「これからも手をつないでね」と妻は言った。〉

 ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすれば、阿弥陀仏は必ず私たちを明るく照らし、支え守っていただけます。御手を差しのべこの身を救ってくださるのです。本年も良い年でありますように。南無阿弥陀仏

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