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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成30年5月「認めたくないですが。私が変われば息子が変わる。」鍵小野和敬(八王子組養運寺)

2018 年 5 月 1 日

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「認めたくないですが。私が変われば息子が変わる。」

 子供達の春休みの一日、江ノ島水族館へ行ってまいりました。暖かい日で、久々の親子でのお出かけに、最近荒れ気味の長男との平和な一日となる事を祈るような思いで出かけました。
 この春小学2年生になる長男は、なかなかの気難しいタイプで、幼稚園の頃から癇癪も酷く、悩んだ末に病院で診てもらったほどの、育児書などで表現されるところのいわゆる「育てにくい子」です。
 春休みがはじまり、長男と私がぶつかる時間も増え、お互いに疲れていた頃でしたが、この日は法務もなく、いざ休日を楽しもうと江ノ島まで繰り出しました。

 楽しみにしていたイルカショーを見ていたのですが、何故だかどうしてか泣けてくるのです。イルカとトリーターさん(調教師さん)の信頼関係が羨ましくてたまらなくなってきたのです。
 最初は「イルカすごいな。イルカの方がうちの子より言うこと聞くな…。いいなあ。」という思いだったのですが、みているうちに、イルカとトリーターさんが一緒に楽しんでショーをやる様子と、トリーターさんのイルカへ向ける笑顔と愛情表現を見て、「ああ あんなに笑顔で子供に向き合ってこなかったな…,」という自責の念が楽しいショーを見ながら込み上げてきました。「悪かったよ息子。もっと笑顔でいてあげればよかったよ。もっと褒めてあげればよかったよ。」と。そして、極め付けはとびきり元気な声で「イルカの目をじっと見て お互いの心を通じあわせるのです!」というアナウンスにとどめを刺されたようにがっくりしてしまうのでありました。

 そんな情け無い母である私、子育てがうまくいかず、毎日イライラしたり落ち込んだりの暗黒期真っ只中におりまして、藁をもすがる気持ちで、とある子育て講座を受講いたしました。
 この講座では、子供の躾やコントロールの仕方を学ぶのではなく、子どもの声を聴く、子どもに訊く、自分の声を聴くこと「他者受容」と「自己受容」を学びます。

「他者受容」は、自分と他人の思考の違いの傾向を知ること、また、子供に「お母さんは僕の話を聞いてくれている」という安心感を持たせてあげる話の聞き方等を学びます。子供の話を聞いていると、ついつい「でも」や、「いいから 〜しなさい」と話を遮って親の言い分を通そうとしてしまっていた事に気付きました。
 また「自己受容」は、怒ってしまう自分について。自分の中の「~すべき」のルールが破られた時に人は怒るという「怒りのルーツ」を学びます。おかしなもので、他の受講者の「~すべき」が、自分にとっては、そんなことで怒らんでもよいでしょう、というようなものだったりするのです。

 講座では若くて可愛い講師の先生が「相手を変えるのは大変だからお母さんが変わっちゃいましょう〜」「ギャーギャー言ってるお子さんをそのまま受け入れます!」と、お釈迦様の説かれた真理の法則のような事を拍子抜けしてしまうほど軽快に明るくおっしゃるので、出家までした私は何をしてきたのか・・・と情けなくなるのですが、できないことは認めねばなりません。なにしろ藁をもすがる暗黒期なのです。まさに法然上人の御遺訓にある「智者の振る舞いをせずしてただ一向に念仏すべし」の状況です。

 なんとか、息子が世の中で渡っていけるようにとの思いで言ってしまう事も、所詮は自分の軸で言っているだけのことかもしれません。ふんふんと目を見て話を聞いていれば、冷静に話してくれることもあり、まさに「自分が変われば相手が変わる」を実感して反省するのでありました。

 暗黒期の我々親子と阿弥陀様と凡夫の関係を照らし合わせて、ふと、阿弥陀さまは煩悩や迷いに溺れている私達をどんな思いで見ていらっしゃるのだろうかと考えました。ついつい 口を出したくなったり、怒鳴りつけたい気持ちでいらっしゃるのだろうか。私のように、話半ばで「もう知らん!」と怒鳴って扉を閉めたりはしないだろう。そう思うと「ダメな子」「凡夫」である私達をそのままの身で引き受けてくださる阿弥陀様のありがたさたるや計り知れません。

 これからありのままの息子をどれだけ認めて受け入れてあげられるだろうか。
イルカの失敗も笑いながら受け入れているトリーターさんの様に。ありのままの私たちを受け入れてくださる阿弥陀様の様に。

 みなさんも自分軸に縛られて、怒りや煩わしさ、疲れに囲まれていないでしょうか?自分が変われば、周りも変わる。 自分を自分の怒り軸から解放するのが近道なのかもしれません。できない自分も受け入れて、愚者の自覚をもって至心懺悔 南無阿弥陀。

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