浄土宗東京教区・教化団 -今月の法話-
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今月の法話≪東京教区所属の僧侶による法話を連載いたします≫

平成30年6月「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」石井綾月(城南組松光寺)

2018 年 6 月 1 日

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「「瞋恚」の来し方行く先~お江の方の一生から」 

 石井綾月(城南組松光寺)







 初夏らしくない梅雨らしくないと言われる気候の昨今でございます。今回は、大本山増上寺の名所「徳川家御廟」に祀られた「お江の方(1573~1626)」をご紹介させていただきます。
 増上寺は江戸期より長きに渡り徳川将軍家の菩提寺でしたが、二代将軍秀忠公墓所を始め各墓所は空襲にて焼失しました。そのため現在秀忠公の御身柄が収められているのが、正室の「お江の方」の石塔です。

 さて、この「お江の方」、戦国時代ゆえの数奇な運命をたどった方でございました。
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 お江の方の実母は織田信長の妹・お市の方です。絶世の美女と謳われ、近江国の浅井長政に嫁いだものの、長政は実兄の信長に滅ぼされ、次いで再婚した柴田勝家は豊臣秀吉に滅ぼされ、夫と共に自害されました。お江の方の兄は浅井家滅亡時に秀吉に殺され、その秀吉の元に茶々・初・お江の三姉妹は引き取られることになります。姉の茶々は秀吉の側室(淀殿)となり、豊臣秀頼を産みましたが、徳川家康公による大阪城落城の際に秀頼と共に自害したと言われています。

 お江の方自身も、最初の結婚相手とは離縁させられ、次の結婚相手は朝鮮出兵で病死し、22歳の時に3回目の結婚で徳川秀忠公の元へ嫁ぐことになりました。
 母の死の原因となった秀吉に姉が嫁ぐというのも凄まじい話ですが、姉とその子を滅ぼした家康公の息子に嫁ぐことになったお江の方。以降、家光・忠長を始め二男五女を出産されましたが、家光公が三代将軍を継ぐにあたり、跡目争いに敗れた忠長は自刃されています。1626(寛永3)年、秀忠公に先んじて54歳にて死去。
 
 滅ぼさねば滅ぼされる時代とはいえ、両親・継父・兄姉・夫・甥・実子を喪われた彼女の人生の道行きは並大抵のものではなかったでしょう。「大変気の強い方だった」と揶揄される面もありましたが、戦国武将の娘という覚悟があったとしても、気を強く持たねば生きていくことも叶わなかったのではないでしょうか。

とはいえ、現代の日本でも、命まで取られはしないものの、見えない争いがそこかしこで起きています。経済力や見た目や肩書や人気を武器に、現実社会だけでなくインターネット・SNS等の見えない場所で日々戦い、傷ついている方もいらっしゃるでしょう。

 傷を負った心は、これ以上傷を負わないよう鎧を厚くしたり、苦しみや悲しみを怒りに換えたり、その怒りをより弱い立場の人にぶつけることで生き延びようとしがちです。
 
 この「怒り」を仏教では「瞋恚(しんい)」と呼び、三つの煩悩「三毒」の一つに数えています。残りの二つは、「貪欲(むさぼる心)」と「愚痴(仏様のように物の真理を見極められない愚かさ)」です。他人から「毒」を投げつけられるのも堪ったものではありませんが、自分の心の中に「毒」を抱え続けていてもまた、心身が蝕まれて辛い日々となってしまいます。

 増上寺の正門は正式には「三解脱門」と名付けられていますが、門をくぐる際にこれらの「三毒」を一時でも手放し、極楽浄土を模した境内を経てご本尊の阿弥陀様にまみえよう、という祈りがこめられています。

「怒り」の根底にあるのは、本来は苦しみや悲しみです。どんなに身近な立場でも、むしろ近い立場であればこそ、辛さの全てを分かってもらえること、分かってあげることができないというのがこの世のままならぬ部分でもあります。

 しかしながら、そんな私たち一人一人の苦しみ、悲しみといった心の襞の諸々を皆ご存じなのが阿弥陀様という仏様です。自分ではどうにもならない、コントロールできない部分を阿弥陀様に全てお預けする気持ちで南無阿弥陀仏と唱えるとき、阿弥陀様も私たちの言葉にできない苦しみまでも思いやり、力になろうとしてくださっています。

 日頃からお念仏をしていただくことで、怒りに心が染まりそうになった時、怒りをぶつけられて辛い時に、阿弥陀様のお力がより強く皆様の心へ届くことと思います。心に余裕のある日からでもお念仏をお唱え頂ければ幸いです。

 最後に、増上寺にお参りの際には是非「徳川家御廟」にも足をお運びください。「宝物展示室」には在りし日の絢爛たる秀忠公墓所の精緻な1/10模型も展示されております。

 合掌

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