浄土宗東京教区教化団

平成22年8月「努力精進の人・法然上人」吉田一心(島嶼部行行寺)

yoshida

 

  「努力精進の人・法然上人」

 

   吉田一心(島嶼部行行寺) 

 
 「智慧第一の法然房」

 800年前の法然さまの時代から今も、「法然さま」というと、「智慧第一」と、返ってきます。

 24歳の青年僧法然さまは、師僧の許可をいただき比叡の山を下り、嵯峨・清凉寺から奈良の各お寺をお歩きになりました。その目的は、すべての人が救われる教えを求めての旅でした。
 しかし、求める教えは得られず、重い足取りで再び山にお帰りになりました。
 師僧に帰山の挨拶をし、すぐにそのまま報恩蔵(経蔵)へ入り、お経の勉強にとりかかりました。

 以来、十八年。
 
 この間、上人の伝記は、真っ白です。なにも書かれていません。ただひたすらの学文、すなわちお経を拝読し、今まで行じてきた念仏を始め諸々の行を積む、そのような十八年間であられたのでしょう。
 智慧第一と尊称された法然さまの必死の勉学と修行が続きます。

  ・・・この書物にヒントがありそうだ。

 本棚から机の上に取り置き、読まれたのが唐の時代の善導大師の著作『観経の疏』です。

「とりわき見ること三遍、前後合わせて八遍なり」

 法然上人は『観経の疏』を読むこと八回。その八回目で、ついに見出されたのです。すべての人が救われる教えを。

 ただひたすら心から阿弥陀さまの名号を称え続けることを正定の業となづけます。なぜなら、それは阿弥陀さまの第十八念仏往生の願にかなった行であるからです。

 法然さまは、このご文に目と心がとどまり、善導大師の教えの真意を知ることができました。

 「そうだ、私のような無智の者はこのご文に従い、この教えを頼み、わが名を称えるものは一人も捨てないぞ、との阿弥陀仏の本願の力を頼み、称名念仏を称えて往生を願おう。それがいいのだ」

 こう悟られた法然さまは、

「だれも聞く人はいないのに声に出して念仏を称え、その法悦は骨の髄まで染みわたり、流れる涙は止まりませんでした。時は、承安五年(1175)の春、43歳になっていた私は、たちどころに他の行を投げ捨て、ただひたすら、念仏を称える教えに帰依しました。以来、一日に六万遍の念仏行を行ずるようになりました」

と、晩年述懐されています。

 この念仏による浄土往生のみ教えが、850年後の今日まで脈々と続いてきているのです。
 来年は、法然上人ご遷化800回の遠忌を迎えます。私たち僧侶は、次の100年を目指して、上人の教えの布教を続けなければいけません。檀信徒の皆さまは、子々孫々まで、財産とともに念仏も相続できますようにお勤め願います。そのためには、念仏を続ける後姿が必要ではないでしょうか。

 法然上人のご努力に感謝を捧げ・・・同称十念