「観音さま」
長谷川岱潤(城南組戒法寺)
浄土宗の御本尊は中心が阿弥陀如来です。そして向かって右側に観音菩薩、左に勢至菩薩をお祀りいたします。このように仏様は一仏、二菩薩という形でお祀りすることが多くあります。
たとえば中心がお釈迦様、釈迦如来であった場合は、右側が普賢菩薩、左側が文殊菩薩となります。また、中心が薬師如来であれば、右側が日光菩薩、左側が月光菩薩となります。
それぞれ菩薩様のお名前も違いますが、菩薩様の役目、お働きは同じです。向かって右側の菩薩様は慈悲をつかさどる菩薩。左側は智慧をつかさどる菩薩です。慈悲では観音様が一番人気ですね。慈悲の観音は代名詞になるほどです。しかし残念ながら智慧で勢至様は今一つ知られていません。こちらは文殊の知恵に完全に負けてしまっているようです。
さて知名度はともかく、観音様と勢至様のいわれと言われるお話をします。昔々のお話です。ある海に面した街に早離と速離という二人の兄弟が住んでいました。二人は早くして母親に死に別れ、継母に育てられていました。そんなことで二人は小さいときからさまざまなつらいこと、悲しい経験をしてきました。その年その地域は干ばつがおき、父親は家を出たまま帰ってきませんでした。継母はどんどん無くなる食料を見ていて、この二人がいなければと考えるようになりました。ある日継母は二人を呼び、向こうの島に父親がいるというから探しに行こうと誘い、ボートに二人を乗せ、島に着くと二人を島の奥に追いやって自分は帰ってしまいました。草一本生えていない石ころだらけの島でした。二人はここで自分たちの命が終わることを悟ります。
兄の早離の胸に抱かれながら弟の速離は、鬼のような顔になって訴えます。「自分たちは今までつらい目、苦しい目、悲しい目に何度も会ってきた。そして最後に一番信用していた母親にまで裏切られてしまた。この恨みはどうしても晴らさなければならない。今度生まれ変わったら、自分たちをつらい目、苦しい目、悲しい目に会わせた人間、そして裏切った人間みんなに仕返しをしてやるんだ」と、興奮しながらまくし立てました。
兄の早離は弟が落ち着くのを待って話しました。「でもどうだろう、私たちが経験してきたつらい目、苦しい目、悲しい目は私たちにとって大きな勲章じゃないか、この勲章を財産にして今度生まれ変わった時は、私たちと同じようにつらい目、苦しい目、悲しい目に会っている人々のところに行って、その人たちのためにできることをしてあげよう。僕たちはその人たちの気持ちが一番わかるのだから」と、弟はすぐにその意味がわかり、うなづいて仏の顔に変わって息を引き取り、兄も安心して息を引き取りました。
兄の早離は観音菩薩に、弟の即離は勢至菩薩になりました。こういうお話です。
観音経には私たちが助けてくれとお願いすると、観音様が飛んできてくれると書かれています。それはどんな姿でかというと、大人の男女、子供の男女でと書かれています。つまり普通の人の姿ということです。もしかすると隣の人が観音様かもしれません。そして隣の隣は自分だからご自身が観音様かもしれません。法然さんのお弟子の親鸞さんは奥さんのことをずっと観音様だと言っていたようですし、奥さんも娘にあてた日記に、あなたの父親は観音さまだったと書いています。
さて、観音様と鬼の違いはどこでしょう。さっきのお話です。誰でもつらい目、悲しい目にあっています。その経験を怒りに変えれば鬼、財産とすれば観音様になるのです。観音様はどこにいましたか、阿弥陀様のお隣ですね。お念仏は観音様を呼ぶ声でもあります。また観音様になる力でもあるのです。