浄土宗東京教区教化団

平成23年7月「みんな つながっている」布村哲哉(城西組專念寺)

nunomura


「みんな つながっている」

 布村哲哉(城西組 專念寺)






がらがらがらがらーーーどどどーーー
一体 何があったのだろう これはどこなのであろう いままでの光景は何であったのであろう思い出せない 頭は空白 何が起こったのだろうかと唖然 
「二次災害がありますから 足を踏み入れないでください」との声
あんなにお墓が崩れ落ちているのに手がつけられないなんてー

去る3月11日の当寺災害現状である。
それまでは新宿都心のの高層ビルを眺める絶好の展望台であり 戦後は富士山も遥かに見えた 90年近く前の関東大震災にも耐えてきた石垣だったのである それがまさか 息ができない
大正11年にその崖下を走っている当時の市電の写真も残っている 考えもしなかったことである 地面が崩壊するなどとは夢想だにし得ないことであった どうしてーなぜー 人間が如何に無力であることか いままでの姿は何であったのであろう 現実とは何であったのか 存在していたものが無くなる 見えていたものが無くなる 何もかも何処へいってしまったのであろうか
翌日 区役所の職員が来て全面に保護のためのブルーシートをかぶせる いかにも大被害ですとの表示でもあるだろうし それを見る人にとって誰もが思いいたる今回の大地震災害である
ああ今度の地震がこんな所にも出たのか それだったら東北地方の被害はとても想像出来ないことだ
3カ月たった今でもブルーシートを見ると身がちぢむのだ まして現地の人々の思いはいかばかりであろう

この災害を眼の前にして自分は何も出来ない無力感 どうしたらいいのだろう どのようにしたら この苦しみから抜け出ることができるか この困難をどうしたら乗り越えて行けるか 何と弱い人間であろう
何か頼れるものはないだろうか 支えてくれるものはないだろうか しかし生きなければならない
ならばその時 一体何にすがったらいいのだろう 何に助けてもらったらいいのだろう なんとしてでも どうしてでもと頭を下げる 頭が下がる「助け給え」と そして手を合わせる 「ああーー」
そして やっと気づく
そうだ そこにいるのが仏様なのだ そこには縁のあった人も縁の無かった人も皆んないるはずだ 見護ってくれている 生きて欲しい欲しいと願っている
願いの真ん中に自分がいるのに違いない まわりには明るく照らしている暖かい太陽がある 広い空には月があり星があり雲がある いのちを育てる土や水がある 今の私を生かしているものがある
どんな近くにいてもどんなに遠くにいても有り難い縁を思えば人の心は限りなくつながって行く 眼には見えないが空を飛んでつながり結びついているのだ 切ることはできない縁によって育てられている
そこに仏様がいらっしゃる 皆んながいてくれる

みんな仲間 友達 一杯の水 ひとすくいの土 一匹の虫 一枚の葉 それはここに生きている一つ一つの生きものとの共生き 考えてみれば世の中には一つとして離ればなれで独立しているものはない 一人では生きていけないのだから
折角 つながっている皆んなだから どこにいても一緒に生きて行きたい 仏様と一緒にいたい
どうか力を貸してください 良い智慧を与えて下さい 生きる力を与えて下さい
自分で出来るだけのことはいたします
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 合掌