浄土宗東京教区教化団

平成23年8月「東日本大震災から4ヶ月を経過して想うこと」加藤昌康(玉川組森巖寺)

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「東日本大震災から

 4ヶ月を経過して想うこと」

 加藤昌康(玉川組森巖寺)



 私のお寺でも震災で家族を亡くされたお檀家様の新盆の供養をさせて頂きました。位牌に刻まれた3月11日の文字を見ると、改めて震災直後に救援物資を届けに行った気仙沼の町の様子が思いうかびました。

 千年に一度と言われる大地震、それによる10メートル超の大津波、さらにその直撃を受けた福島第一原発の崩壊による放射能の大放出で、発生から4ヶ月を経過した今も10万を越す人々が避難生活を余儀なくされており、まさに有史以来の大震災と言わざるを得ない状況にあり、次々と予期しない事態が発生しています。

 しかしながら第二次世界大戦直後の状況は、もっと悲惨なものだったのでしょう。広島・長崎には原爆が投下され、多数の死傷者と高濃度の放射能に汚染されていました。その他の多くの都市もB29の無差別爆撃で壊滅状態となりました。多くの兵士は戦死や捕虜となり、国民は食料も衣類も配給制で最低限の生活を余儀なくされて、子どもたちもやせ細っていました。米軍の統治下で、憲法は改正され、永久に戦力をもたない平和日本が再生しました。茫然自失の中で少しずつ美しき日本を取り戻す動きが胎動していたことは否めません。

 やがて朝鮮戦争という特需、続いてベトナム戦争特需で、日本は労せずして世界第二の経済大国へとのし上がる結果となりました。夢のない富は人間を堕落させることは間違いない事実です。敗戦から60年以上たった今、世界は大きく変わりつつあります。しかし今、私達は、日本の周辺で起きている多くの問題に全く無関心だったのではないでしょうか。北方四島・竹島や尖閣諸島問題に本気で取り組んでいるとは全く思えません。国際社会においても、日本の先行きは真っ暗だと言えないでしょうか。このような状態の中で起きた今回の大震災も、別個に考えるべきではないと思います。

 人間はこういう状況になったときどうするのでしょう。あるものは、茫然自失して廃人のようになり、目的が見えないままただ時を過ごす場合もあります。しかしみんながみんなそうなってしまわないのが人間だと私は思います。
「諸行無常」とは、世の中は常に同じという事はない。むしろ流転を繰り返すのが世の常です。いま一歩踏み込めば、現世はあるがままであり、なるようにしかならないのです。これは人間にとって不安そのものです。そこで「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることによって、仏さまに縋る事が出来ます。この境地に達したとき、力強い精神力を持ち、敢然と困難に立ち向かうことができます。私は、それがお念仏の力=人間力ではないかと思っています。

 今回の大震災で日本の政治家や経済界のリ-ダ-が自分の事しか考えていないのが、よくわかりました。しかし、民間の人々が被災された方々に物心両面で支えている姿、ボランティアの方々が被災地で危険をかえりみず汗水流して、救援、復興に努力されている姿を目の当たりにすることができました。

 地元の企業者の中にも、少しずつ立ち上がるものが出てきました。地元の産品を東京に運んで被災地の活力をアピールした報道もありました。大きな災害を乗り越えて不屈の力を出し合うことが今一番求められています。大震災による最大の危機は、貧しくなった日本人の心を取り戻すまたとないチャンスなのではないでしょうか。