「平生(ふだん)のお念仏」
榎本雄心(城北組浄心寺)
千年に一度の天災といわれるこの度の東日本大震災は、誰も全く予想だにしなかった「まさか」の事態が、想定外の現実に起きてしまったのです。「まさか」とは「晴天の霹靂」、まさしく突然の大惨事に遭遇してしまったのです。
ボランティアで津波の後始末に参加したのですが、現実に被害を眼前にした途端、いかに大自然の力が物凄いものであるかを、全身で感じたのです。体は硬直し、異様な大気と地の底から上る霊気が全身を通して伝わり、体を震わせながら感じたのです。
今は瓦礫と化した建築物や一切の生活用品など諸々の物が汚泥や砂に埋もれ、一面に散乱している。津波の凄まじさを思い知らされたのです。津波の直前までは、人も動植物も皆ともに生きて、確かにここに存在し、建造物など形があったはずです。
深く重く切ない譬えようのない哀しい思いが、体の底から嗚咽となって込み上げてきて声にならず、ただうなるお念仏をやっとの思いで称え、ご冥福を祈るのが精一杯でした。
諸行無常(常時万物は変化し続ける)は釈尊の教えですが、まさにこの状況は激変する大自然の大変化、「まさか」しかないのです。何故ならこの災害を誰が予想しえたでしょうか。まさに寝耳に水の大災害なのです。
しかし法然上人は、この諸行無常の大激変をすでに私たちにお示しになっています。
『念仏往生要義抄』(以下、意訳)の中で、ある人が法然上人に尋ねた。「阿弥陀仏のお救いくださる光明は、平生(常の、ふだん)ですか、臨終の時ですか、どうでしょうか。」
法然上人は、「平生のときから臨終の時に到るまで、阿弥陀仏は照らしてくださいます。何故かといいますと、常日頃から極楽往生を願って偽りのない心(至誠心)、罪深い自身でさえも救うてくださる阿弥陀仏を深く信じる心(深心)、極楽浄土に往生することを心から切望する心をもってお念仏する(回向発願心)。以上のように三心の具わったお念仏だから必ず往生できるのです。そのように『観無量寿経』は説きます。三心具足(三心を具えた)のお念仏の志をもってお念仏する人を、阿弥陀仏は無量の光明を放ち照らして、常日頃から臨終の時にいたるまで決してお見捨てにならないのです。」とお答えになりました。法然上人はすでにこのとき、常に変化し続けることを、そして時には激変する事を示されておられるのです。
また三心を具えるとは『一枚起請文』に「ただ一向に念仏すべし」であると法然上人はお導きくださるのです。つまり「ただひたすら往生を願ってお念仏する事」と心得ます。
阿弥陀仏を始め、諸仏・諸菩薩・諸天善神は、常日頃から三心が具わったお念仏をただひたすら称え続ける事によって、いずれは来る臨終の最期まで、しっかりと念仏者をご守護してくださるのです。
「まさか」という想定外の如何なる大激変にも、ふだんからしっかりと「お念仏」を称える事によって、如何なる事態にも動ぜずに、毅然と行動でき、ふだんと変わらぬ安らかな心「安心」がいただけるとお導きくださるのです。ここに『一枚起請文』に示される「ただ一向に念仏すべし」のお念仏の法然上人の御心が示されているのです。
哀しい時にも寂しい時にもいかなる時にも、阿弥陀仏をただひたすら頼むお念仏をする。ここに念仏信仰の大安心をいただくのです。
法然上人のご霊徳に感謝し、八百年大遠忌報恩謝徳のお十念を捧げ、東日本大震災物故者一切の諸精霊位に鎮魂の十念を捧げ、ここに心からご冥福をお祈り致すばかりです。
十 念