浄土宗東京教区教化団

平成24年4月「東日本大震災、一周年を迎えて」野村盛彦(江東組浄心寺)



 「東日本大震災、一周年を迎えて」


 野村盛彦 (江東組浄心寺)

 
 昨年の三月十一日、東日本大震災が起きてから、すでに一周年を迎えました。
 私はその時、銀座で開かれていた浄土宗芸術家協会の展覧会を見学中でした。あれ地震かなと思っている内に、かなりの揺れがきて会場に飾ってある絵や書が、まがったり、落ちたり、照明が消えたりして騒騒しい事になりました。
 私は警備員の御注意に依って、歩いて階段を降り銀座通りへ出たら、かなりの人が通りに出て、大体揺れがおさまった中を各自が歩いていて、電話ボックスは大勢並んで順番待ちをしております。私も家(寺)が心配なので連絡しようとしましたが、中々あかなくて、或るスーパーに入って「電話を」とお願いしましたが、店員の方が出て来て親切に、外の比較的すいている電話ボックスを教えてくれました。暫く待って電話したところ、若住職とお手伝いさんが、たまたま参道の大玄関の横に居た所、灯籠がひっくりかえり、玄関の横の棟の瓦がずり落ちたそうです。

 すぐ帰るからと電話をきって東京駅へと急いで歩いていきました。大勢の人々が右往左往していますが、真相が中々わかりません。駅に着いたら改札口で車掌が中に入れてくれません。JRを始めすべての交通機関が止まっているとの事です。
 駅前に出てタクシーを待ったが中々乗れません。止むを得ず昭和通りに出て、暫く待っていて漸くタクシーに乗り「亀戸へ」と告げ、ほっとしました。しかし渋滞して中々スムーズに走りません。両国橋を漸く渡り、京葉道路は混み合っているので蔵前橋通りへと、何とか道を変えて、ゆっくりゆっくり進み、もう夕方近くなり、亀戸天神を越したところでタクシーを降り、歩いて浄心寺にたどり着きました。
 書院から本堂への渡り廊下の一角がくずれ、内に入ると位牌が倒れ、内陣、外陣の瓔珞がところどころ落ちて、近年にない災害でした。岩手、宮城、福島を中心とした大地震と大津波、それに依って起こった福島の東京電力原子力発電所の事故であった事は、寺に帰りついて間もなく判明しました。

 その年は(平成二十三年)、浄土宗元祖法然上人が建暦二年正月二十三日、最期に私共に遺された教え「一枚起請文」を書かれた二日後に御遷化されてから八百年にあたりました。全国の浄土宗寺院が、元祖様を顕賞して御追喜を申し上げる「御忌」法要が営まれる予定でしたが、直前にひきおこされた大災害によって秋に延期されたり、次年(平成二十四年)に繰り延べして執行しております。
 「唯一向に念仏すべし」の御心をもって、檀信徒を教化し、大勢の犠牲者の霊を大念仏会をもって御追善申し上げて居ります。
 各々の貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の煩悩を減らして、その中で「善因善果、悪因悪果」のお釈迦様の基本の教えを受けとっていただく様おつとめ下さい。万人が救われる「易行道の教え」を得て、平安無事な家庭が生まれるものと確信いたします。
 最後に檀信徒の皆様の御協力で当寺も無事元通りに復興いたしました。  合掌
 南無阿弥陀仏