浄土宗東京教区教化団

平成24年5月「思いやり」小野静法(豊島組善光寺)

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「思いやり」


小野静法 (豊島組善光寺)





 

 私は普段、寺の副住職として寺に居ますが、この他に何ヶ所かで心の悩みの相談員をしています。 自死(自殺)をしようと考える方や、自死をしてしまった方のご遺族、別のところでは不登校、ひきこもりの当事者やそのご家族と身近な人、自坊でも客間を相談室にして色々な心の悩みの相談を受け付けています。 東日本大震災後は、昨年の4月から避難所に寝泊まりしながら、被災者の心のケアを一番の目的とし色々なお手伝いをさせていただきました。 今でも仲間たちと仮設住宅にお伺いしたりもしています。
 その活動の中で「思いやり」ということについて感じたことを書かせていただきます。

 心の悩みにも数多くの分野があります。 どの分野でもとは言えませんが、少なくとも私が携わっている自死、不登校、ひきこもり、ではご本人がそうせざるを得ないところまで追い込まれた末の結果だということを感じました。 精神的に弱いからとか怠けているとか逃げているだけとおっしゃる方もいらっしゃいますが、私にはそうは思えませんでした。 
 相談者の方からお話を聴いていると、そこまで追い込まれた状況に居たら私も自死を考えたり、不登校やひきこもりになったりしてしまうかもしれないと思う話ばかりでした。

 ある時、相談を聴きながら良い方向に向かっていく相談者には共通点があることに気づきました。 それは、身近な人が理解を示してくれて、思いやりを持って接してくれている方の存在でした。 身近な方というのは、相談者によってさまざまですが、家族、友人、知人、同僚、近所の方、といったような方で一人でも、思いやりを持って接してくれて、相談者の気持ちに寄り添ってくれる方の存在があったのです。
 例えば、仕事がうまくいかず、自死を考えてしまうほど追い込まれていた方が、家族に心配をかけまいと、ひた隠しにしていたその思いを私が家族に話し、そこまで追い込まれていることを知った家族が話し合いをして、家庭の中ではなるべく負担がかからないように思いやることから、少しずつ余裕が出てきて仕事も良い方向に向かっていけるようになる。ということがありました。(本人に了解を得て書いています)

 人は支えあって生きている。とはよく言いますが、私はそこに少し付け加えて「人はお互い思いやりながら支えあって生きている」と付け加えたいです。 相手の方の気持ちを思いやりながら支えあっている。 ということが社会全体に定着したらこんなに沢山の方が自死をしたり不登校やひきこもりになったりしなくてもよくなるのではないでしょうか。

 そして、今も多くの方が一人で悩み苦しんでいらっしゃいます。 悩んでいらっしゃる方がそのことを隠していて気づかないことも多いのも現実によくあることですが、もし気づいた時には、この方は今どういうお気持ちなのだろうか、どうしたのだろうとか、と思いやりを持って接していただけたらと思います。
 昨年の震災以降各地で掲げられている「絆」という言葉も、被害を受けられた方々を思いやっての事なのではないでしょうか。 被災地の復興のためにはとても大切なことです。 こういう大変な時だからこそ、身近な方への「思いやり」を改めて考えてみても良いかと思います。   合掌