浄土宗東京教区教化団

平成24年7月「還暦からの挑戦」三浦泰信(城西組安養寺)

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「還暦からの挑戦」


 三浦泰信 (城西組安養寺)





 

 五十代半ばに突然、胸を突くような動悸と息苦しさを感じた。すぐに治るであろうと高を括っていたら、日に日にひどくなる一方。念の為と思い、病院で検査をしたところ、なんと三百回以上の不整脈が出ており、心室性期外収縮と診断された。医師曰く、「この種の不整脈は生死に関わるものではなく、過激な運動さえしなければ日常生活には何の問題もない。しかし、この病気は完治が難しく、気長にこの症状と付き合っていくしかない」とのこと。それからというものの、常に動悸や息苦しさに悩まされ、憂鬱な気持ちを抱きながら毎日を過ごすことが多くなった。

 そんなある時、テレビで目の見えない若者たちがサッカーを楽しんでいる様子を目にした。ボールの中の鈴の音だけを頼りに、研ぎ澄まされた聴覚で位置を判断し、敏捷な動きでボールを奪い合っている姿は、まるで目が見えているかのようであった。本当に信じ難い光景で、このようにサッカーが楽しめるようになるまでには、障がいと向き合い、受け入れるだけでなく、毎日厳しい鍛錬と努力が必要だったに違いないと思い、不整脈でただただ落ち込んでいる私が愚かしく思えた。そしてこの時、「私も何か始めよう」とふと思い立った。しかしこの「何か」の答えはすぐには見つからず、結局、一年もの時間がかかってしまった。

 きっかけはラジオから流れる、豊かで繊細なハーモニカの音色だった。それが私の琴線に触れ、非常に心地が良かった。その瞬間、「そうだ、私もハーモニカを吹いてみよう」と思った。思えば若い頃“ポケットの中のオーケストラ”といわれるハーモニカの音色に魅せられ、いつの日か吹いてみたいと思っていたのだが、年を重ねるうちに諦めてしまっていたことに気付いた。ただ一方、脳裏には「不整脈持ちがハーモニカを吹いても大丈夫なのか、更に悪化してしまうのではないか」という不安がよぎった。そこですぐに医師に相談をしたところ、無理をしなければ大丈夫との助言もあり、善は急げ、ということでさっそく音楽学校に申し込んだ。

 はじめは音階からの基本練習で、吹いてみると想像以上に難しく、イメージしていたものと全く違った。しばらくは同じような基本練習ばかりだったが、この先いろいろな曲を吹けると思うと辛さはなく、楽しいという感情しかなかった。徐々に練習時間も長くなり、家族も不整脈について心配してくれていたが、特段、不整脈にも何の変化もなく、精神的にもだいぶ楽になっていた。ようやく二年半を過ぎた頃から課題曲や自分の好きな曲を吹けるようになった。ただ私の場合、年をとって音感が鈍くなったのか、もともと鈍いのか、一曲をマスターするのに一ヶ月半~二カ月もの時間がかかってしまう。しかし、費やした時間が長ければ長いほど、苦しければ苦しいほど、一曲を吹き終えた時の喜びは格別だった。

 今年の六月で丸三年が経ち、今では様々なジャンルの曲を吹けるようになった。何よりも良かったことは、ハーモニカで心臓が鍛えられたのか、悩みの種だった不整脈のことなど全く気にならなくなり、毎日が楽しく過ぎていくようになったことだ。

 私は幸運にもハーモニカと出会い、ハーモニカによって体と心の不調いずれをも助けられることとなった。これも阿弥陀様の「毎日を楽しく」という声なき声だったのかもしれない。これからも私を支えてくれた皆に感謝しながら、古希に向かってハーモニカを楽しく吹き続けていきたいと思う。また、この文章を読んでくださっている方も、気が滅入ることがあっても、障がいにぶつかっても、毎日を楽しく過ごす「何か」を是非見つけて、没頭してみて欲しい。新しいことであってもチャレンジするタイミングに手遅れはきっとない。心を豊かにし、毎日の生活に潤いを与え、仕事にも良い影響を与え、活力にあふれた毎日を送ることがきっとできるに違いない。合掌