浄土宗東京教区教化団

平成24年10月「~ともにいきる~」小池章弘(城北組快楽院)

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「~ともにいきる~」



小池章弘(城北組快楽院)

 昨年は東日本大震災、今年に入ってからも全国各地で竜巻や水害などの自然災害に私たちは見舞われています。こうした「未曽有」な困難にどう立ち向かっていけばよいのでしょうか。

 私ども浄土宗を開いた法然上人は1212年、80歳でお亡くなりになり、ちょうど今年が没後800年にあたります。その法然上人の時代も天災が多く、そしてそこからくる飢饉により人々は苦しみ、また一方争いは絶えず人々が殺しあう、そんな殺伐とした世の中でした。そんなひどい時代、救いがない時代、人々が絶望していたそんな時に、南無阿弥陀仏とお唱えすれば誰もが救われるとお説きになって、人々に希望を与えたのが法然上人だったのです。

 その時代と今を単純に比較はできませんが、自分の周りを見渡せば、先ほど申し上げた天災から始まり、年間3万人以上が自殺をし、うつ病などの心の病を抱える人が増加しています。また大人ばかりでなく、最近ニュースにもよく取り上げられるいじめや不登校など子供たちの心も荒廃の一途をたどっています。そういった状況を考えてみると、あながち法然上人の時代と違うとは言えないような気がするのです。

 共生という言葉が言われて久しくなります。どんなに困難な時でも自分だけで状況を打開するというのではなく、自分が大変な時は他の人に助けられながら、支えられながら生きていく。そして他の人が大変な時は、今度は助け、支えてあげる。そんなともに生きる姿勢がこれからの時代改めて強く求められているのではないでしょうか。そして今を生きている人たちのつながり、それを横のつながりだとすれば、それプラス御先祖様がいて今の自分が存在し、そしてそれが子や孫という未来へとつながっていく縦のつながり、この両方のつながりを大切にしていく、それがまさに浄土宗のいう「ともいき」なのです。どうぞこれからの困難な時代に立ち向かうために、この「ともいき」というキーワードを心に留めて日々の生活をお過ごしいただければと思います。 合掌

追記 本文中「未曽有」という言葉が出てきますが、俳人の高野ムツオさんが9月14日付け読売新聞でも指摘されているように、「未曽有」という言葉は本来災害などの凶事に用いた言葉ではなく、この世が救済されるような希有の出来事が生じた場合を指す言葉。吉凶両方の意味で使われるようになったのは鎌倉時代あたりからだそうで、何かそんなところからも法然上人の時代とのつながりを感じてしまうのです。