浄土宗東京教区教化団

平成25年4月「唯我独尊」大河内秀人(豊島組見樹院)

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  「唯我独尊」

  大河内秀人(豊島組見樹院)



 4月7日は浄土宗祖法然上人のお誕生日。そして4月8日は仏教の開祖・お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」です。お釈迦様は、今から2500年前、現在のインド・ネパール国境近くのルンビニーの花園で、出産のため実家に向かう途中の母親マヤ夫人の右の脇の下からお生まれになり、そのまま7歩歩いて、天と地を指差し、「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」とおっしゃいました。

 荒唐無稽なおとぎ話のようですが、これには意味があります。「右の脇の下」というのはインドのカースト制度での身分を示し、「7歩歩いた」のは、6つの世界(六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を輪廻(りんね)する迷いから解脱(げだつ)してさとりを開く人だということを表しています。

 そして「唯我独尊」という言葉は、一般的に独善的な悪い意味で使われてしまいますが、本来、限りない過去から未来への時間の中でも、限りなく広い世界・宇宙の中においても、たった一つのかけがえのない命の尊さを訴えているのです。そしてお釈迦様は厳しい身分制度の社会にあって「人は《生まれ》によってではなく、《行い》によって貴くもなり賤しくもなる」と教えています。本質的な苦しみ、差別やあらゆる支配から解放され、天地宇宙の道理の中に本当の幸せを見出した人。つまりお釈迦様誕生の逸話は、仏教の原点として、人間の尊厳と平等、そして可能性を伝えています。今で言えばまさに「人権宣言」です。

 これを「念仏」という生き方の形にされたのが法然上人です。どんなに愚かでも罪深くても、「南無阿弥陀仏」ととなえれば、阿弥陀如来がすべての人を分け隔てなく極楽へ救ってくださると説かれました。
 地方役人だった法然上人の父親は領地争いの敵に殺され、お釈迦様の父が王位にあったシャカ族も隣国に滅ぼされ、時代も国も違うとは言え、共に暴力の渦巻く戦乱の世に生涯を過ごされました。そのお二人の思想に大きな位置を占めるのは平和に対する思いです。法然上人は、「仇を討てばその恨みが際限なく繰り返されるだけだ。武士の子として仇討ちをするのではなく、すべての人が救われる生き方を求めてほしい」という父の遺言により出家をされ、浄土宗を開かれました。お釈迦様は「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」(法句経)と説きます。

 平和という観点から考えると、「唯我独尊」は、何者にも不当に支配されない確固たる自分であることという意味で重要です。暴力に走るとき、戦争に駆り立てられるとき、私たちは欲望や怨みや無知に支配されています。その支配をはねのけ、深い慈悲と智慧をもって物事をありのままに正しく見て、正しく考え、本質を見極める冷静さが必要です。私たちの食べ物やエネルギーが、環境を破壊し、人権を抑圧し、戦争の原因をつくっている現実があります。それは私たちが経済優先の消費システムに支配されているからです。経済を大きくしてそれを分配しようという発想は、多少の人々の苦しみや自然破壊という犠牲を軽視します。その一つ一つの命の尊厳に目を向けてこなかった結果、自分自身で問題を考えることをしなかった結果、私たちは未曾有の不安の中に生きることになったのではないでしょうか。

 生まれや国籍、性別、宗教、文化、障がいの有無などに関係なく、すべての人の命は尊いということは、1948年、国連の「世界人権宣言」によって、世界のルールになりました。お釈迦様や法然上人の時代から随分時間がかかりましたが、「唯我独尊」の願いが社会の中で前進してきたことに間違いはありません。阿弥陀如来の48の誓願が叶えられた、差別も貧困も暴力もない平安な世界に向かって、わずかずつでも近づいています。今月は、お釈迦様、そして法然上人のご誕生とご生涯を受け止め、私たち自らの一歩を大切に歩んで行きたいものです。