浄土宗東京教区教化団

平成21年10月「月影」稲岡春瑛(城北組林宗院)

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 「月影」 

 稲岡春瑛(城北組林宗院)

 

 

 

  もう、何年も前の話になりますが、私が住職を勤めております林宗院というお寺で、墓地の擁壁工事を行ないました。秋のお彼岸が終わって、お参りが少ない時期。ちょうど今頃だったと思います。工事の期間中墓地への立ち入りは禁止となっておりました。
 そんな日の夕方、もう日も暮れてとっぷりと暗くなった頃、お寺のインターホンがなりました。
 日が落ちてからのお寺への参詣者は珍しく、一体どなただろうと玄関へ向かいますと、そこには若いご夫婦がお花とお線香を持って立っておられたのです。
「商売をしているので、早い時間にお参りが出来ず、こんな時間になってしまった。お墓参りに来たのに墓地への立ち入りが禁止になっていて途方にくれた」と言うことでした。
 墓地の工事期間中お墓参りの方には本堂でお参りいただいている旨お伝えすると
「実は、親父が亡くなった後お袋が体調を崩し入退院を繰り返している。やっと良くなったかと思ったら今度は脳内出血で倒れて今入院している。友達にこのことを話したら、それは亡くなった親父さんがお母さんをあの世に呼んでるんだから、親父さんの墓参りに行って、お袋を連れて行くなって言って来い。と言われた」と言う事でした。

 お話を伺いながら、ご夫婦がお墓参りに来てそれが果たせず、めったに上がることの無かった本堂にお参りすることになったのはお父様に導かれたのだと感じた私は、『お父様は、お母様をあの世に呼んでなんかいらっしゃいません。むしろ逆です。体の弱いお母様の病状を少しでも軽くすむように見守っていて下さっています。お父様は現在阿弥陀様のみ国におられてご修行の身です。何の為のご修行か、すべて家族を守りたいが為のご修行なのです。助けて下さることはあっても、たたったり呪ったりなさるようなことは決してありません。せっかくお墓参りに来てくださったのだから、お父様に「お袋を困らせるな」と文句を言うのではなく、いつも見守ってくれてありがとうと感謝の気持ちで南無阿弥陀仏と手を合わせて頂けませんか。』とお願い致しました。するとご夫婦はパッと明るい顔になって「そうなんですか!親父はお袋を呼びに来たんじゃなくて、守っていてくれたんですか。だから脳内出血も手当てが早くて、命に係わることはなかったんですね。そうですか!親父は守っていてくれたんだ。」いらしたときの暗い表情から、喜びに満ちた明るい笑顔になって帰られました。

 年が変わり春のお彼岸になって、参拝者の中にあの晩尋ねてこられたご夫婦と、その間に毛糸の帽子を深くかぶったご婦人が座っておられました。「その節はありがとうございました。帰ってすぐに、お袋!親父がいつもそばで守ってくれているんだって。心配すんな!って言ってやったんです。そしたら、うれしいって喜んで、リハビリも一生懸命頑張ったんです。今日はもう歩けるようになったんで、一緒に親父の墓参りをしたくて連れてきました。」と満面の笑みを見せて下さいました。

 月影の至らぬ里はなけれども、
     ながむる人のこころにぞすむ

 浄土宗をお開き下さった法然上人のお歌です。月の光は、遍くすべてのところを照らして場所を選んだり、人を選んだりしません。しかしながら、その月の光をどう頂くかは、受け手の私たちの心しだいという意味のお歌でございます。水瓶の蓋をとれば月影が映るように、茂った葦を払えば水面に月の光が射すように・・・。
 亡き人の思いも、時も場所も選ばず常に私たちを見守っていてくださいます。其の事に気がつき、感謝の気持ちを持って生活できるかどうかは、私たちの心の問題なのです。