浄土宗東京教区教化団

平成25年9月「手をあわせれば・・」熊井紀秀(江東組龍光院)

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「手をあわせれば・・」

熊井紀秀(江東組 龍光院)
 



 暑さ厳しい8月も終わり、秋の気配深まる9月に入りました。とはいえ、まだまだ暑さの残る9月でもあります。暑い夏はともかく、長い残暑は身体にこたえます。「暑さ寒さも彼岸まで」とよく申しますが、昨今の気候の変動で、お彼岸が季節の節目でなくなってゆくのを感じると、お寺で生まれ育った身としてはなんだか少し寂しい気がいたします。

 春と秋のお彼岸は、お寺の一年の中でも忙しい時期の一つです。このほかにお盆・お施餓鬼などの大きな行事がありますが、浄土宗寺院ならばこれに御忌やお十夜会が加わったりします。さらに、東京下町にある当山には木造の毘沙門天が祀られており、深川七福神のひとつとしてお正月はたいへんな賑わいとなります。

 深川七福神巡りは戦前から行われておりましたが、戦中戦後の中断を経て昭和45年正月に再開されました。同じく昭和45年に生まれた私にとって、お正月は七福神巡りのお手伝いが当たり前でした。当時はお参りもまばらで、朱印所でお手伝いをしているとお参りのおばあちゃんがおこづかいをくれたり、空いているときにはお茶を出して休んでいただいたり。とってものんびりしておりました。年を追うごとにお参りも増え、今では朱印所もてんてこ舞いの大忙し。昔のようなのどかな光景はもう見られません。

 現在の七福神信仰は室町時代後期から江戸時代はじめにおこった民間信仰が原点といわれております。毘沙門天や弁財天のような仏教の守護神、恵比須神のような神道の神さまや寿老神のような中国の神仙など、福を招く神仏が集まっているのですが、七福神というネーミングからか、すべて「神さま」だと思われている方も多いようです。

 そのせいでしょうか、毘沙門天にお参りする際に「二礼二拍手一礼」をされる方を最近よく見かけます。何がおかしいの?と思われた方は要注意。「二礼二拍手一礼」はあくまで神社をお参りするときのお作法、お寺をお参りする際には両手を合わせて合掌するのが基本です。かつて某仏具店のCMに「おててのしわとしわを合わせて、なむ~。」というものがありましたが、まさにこれが仏教式です。

 いうまでもなく、仏教の根幹はお釈迦さまの説かれた教義(おしえ)ですが、この「お作法」もとても大切にしています。宗派によって違いはありますが、僧侶を志すものはみな行を受けます。その中心は仏教の教義を学ぶことと法儀(お経の読み方や動きの作法)を身につけることです。いわば、学問と実践とでも申しましょうか。学問だけを進めても声に出してお経を読まなかったり、お経は上手に読めてもその意味を理解していないのでは不十分です。教義と法儀をともに身につけることで真に仏の弟子となり、初めて僧侶としてのスタートラインに立てるのです。

 これはなにも、僧侶を志す人に限ったことではありません。程度の差こそあれ、お釈迦さまのおしえを学び、お作法を身につけることは、どなたにもできることです。

 学問を究めるには多くの努力と時間が必要です。こちらはゆっくりと培ってゆくしかありません。しかしお作法、ことに浄土宗の一番基本的なお作法は非常にわかりやすく簡単です。胸の前で両手を合わせ、心静かに南無阿弥陀仏とお唱えするだけです。

 声に出してお念仏をとなえ、阿弥陀さまを見つめてください。きっと何か感じることがあると思います。最初はそれが何かわからないかもしれません。しかし、これを繰り返すことによってその感覚は大きくなってゆくでしょう。それは信じる心にほかなりません。小さくとも信じる心が生まれれば、きっと阿弥陀さまを身近に感じることができるでしょう。

 「おててのしわとしわを合わせて、なむあみだぶ~」。まずはここからやってみてはいかがでしょうか?ただし、神社でやってはいけませんよ。