佐藤成順(城南組 願行寺)
電子機器の普及によってその副産物として新しい形の犯罪が生まれた。インターネットを悪用した行為は、すでに30年以上前から現れ社会的な問題になってきた。加賀乙彦「急伸するコンピュ―ター犯罪」(昭和56年11月13日『朝日新聞夕刊』)がこの風潮の危険なことを警告した。しかし、それがさらに複雑になり、年齢層が下がり子供にまで及ぶようになった。
最近、「実感なく超す一線 電子万引き未成年も」(「日本経済新聞」2013年8月19日朝刊)という記事を読んだ。某大手書店が運営するサイトから3万6千冊、2170万円相当の電子書籍が不正にダウンロードされていた。電子万引きに当たる行為として、警視庁が今年6月に強制捜査に乗り出した。小学生をも含む未成年者が多く、去年1年間で検挙された未成年者は32人で、今年もすでに9人になるという。これは、「電子万引き、電子計算機使用詐欺罪に当たる行為だが、実際に手を触れるのはマウスやキーボードだけで、現実感がないまま一線を越えるケースが目に付く」と警視庁幹部ではいう。
従来の犯罪は、犯罪者が自分の体で何かを行うのであって、そこでは努力の意識とともに罪の意識がともなう。ところ、ネット犯罪の特徴は、実行するのは機械であって、人間はそれを指先で操作するだけある。今迄の犯罪のように犯人が体をはって、不安にかられながら罪を犯す心の重圧は少ない。それで罪の意識も希薄になるのだ。
この種の犯罪では人間臭さが薄い。人間の知能が造り出した機械に首座を奪われ、機械の中に人間性が埋没してしまい。一個の人格としての己の存在を忘れてしまう。
最新の機械文明は人間の生活において必要不可欠である。しかし、人間の生活を便利に快適にするために人間が造り出した機器に、人間の尊厳を奪われては、最新の機器を造りだした意味はない。人間が主役であることを忘れてはならない。人間としての自覚がなくなると罪を犯したという意識も希薄になる。
仏教は、人を殺すこと、他人の物を盗むこと、人をだますことなど、他人を傷つけ不幸にする悪い行為ははやめるべきだと強く戒める。これを何千年にわたり繰り返し訓戒してきているが、世の中の悪い行為はなくならない。悪いと知りながら、悪いことをしてしまう。これは人間の弱さであり性(さが)である。
この弱い人間性を深く見抜いて、自分が行った悪い行為を深く自覚し反省し悔い改めよ、と強く訓戒したのは中国で浄土信仰を大成した善導大師である。大師は、繰り返し、「人は己が積んできた罪業を懺悔せよ」と訓戒する。この自分が犯した罪の自覚と懺悔、これが浄土教の原点である。そして、心の底から湧き起こる懺悔の気持ちが反射的に阿弥陀仏に救いを求める念仏の声になるのである(念念称名常懺悔『般舟讃』)。
罪の意識の希薄化は人間性の尊厳の消失である。この風潮がとめどもなく増殖するとどういう社会になるのだろうか、考えると不安である。政治・宗教・教育・家庭など色々な部門からこの誤った方向を抑止しなければならない。罪の意識の自覚を原点とする浄土教の立場から、この現代社会が直面する問題に真剣に対応する必要がある。