浄土宗東京教区教化団

平成26年2月「人の心を聴くということ」嘉藤哲也(浅草組英信寺)

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「人の心を聴くということ」


  嘉藤哲也
  (浅草組 英信寺)
 



 南無阿弥陀仏 こんにちは。
 最近ある講習を受けまして、内容というと一般の人からいろんな相談を受けるための心構えや知識などなんですが、全10回の内すべてに「傾 聴」(けいちょう)という言葉が出て来ました。

 聞き慣れない言葉かもしれませんが、相談してくる相手の心に寄り添い、耳を傾けひたすらに相手の話しを聴くことなんですね。相手の話しをさえぎっちゃいけない。とにかく相談を受ける人はこの「傾聴」に徹するんだと。

 初めてこの言葉の意味を知った時は軽いショックを受けましたね。だってお坊さんはお説教や法話をしたりアドバイスをしたり、時には叱っちゃいますし。小僧の頃からとにかく一生懸命に話しまくることを教わってきたわけですから。とにかく「聴け」ですから、そんなおしゃべりなお坊さんにとっては苦行ですよ。

 しかしですね、そうした「傾聴」から大事な何かが導き出されることがあるんです。相談をしてきた人も自分が自分のことを一生懸命しゃべることによって、自分自身で答えを導き出すことが出来るんです。相談されるこちら側も相手のことがだんだんわかるようになるんです。これは大切なことですよね。おたがいの心が寄り添いあえるわけです。

 仏さまのさまざまな教えを私たちに説いてくださったお釈迦さまも一方的なお説法ばかりでなく、相談してくる相手が自分自身で答えを出せるように導いたという説話がたくさんあります。私自身はお檀家さんや電話などで一般の人の相談を受けているわけですが、自分自身に疑問がわきました。「おい!私!君は家庭内でも傾聴してるか?」そうです、大切な足元を固めることが出来ていません!家族一人一人に傾聴が出来ていませんでした。反省です。でも「傾聴」する努力はしています。

 お坊さんに限らず、みなさんにもこの「傾聴」は出来ます。どうぞ、家庭の中から「傾聴」をして「心に寄り添って」みてください。出来たり出来なかったり、行ったり来たりすることがあるかもしれません。そんな時は、「こんな、いたらない私ですが、阿弥陀さまおたすけください。なむあみだぶつ」

 いつも阿弥陀さまは私たちを「傾聴」してくれています。