浄土宗東京教区教化団

平成26年6月「「医」は「慈悲」」務台廣雪(八王子組稱讃寺)

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「「医」は「慈悲」」

 務台廣雪
(八王子組 稱讃寺) 




 稱讃寺の務台と申します。突然ですが私、うつ病になりました。昨年中頃より何となく体調が優れず日頃の不摂生が溜まっているのだろうと安易に考えておりました。
 今年の春彼岸を過ぎて児童養護施設の理事会に出席のため中央高速道を運転中、急に目まい、息苦しさ、体のひきつけをおこし命からがら調布インターで下り、近くのコンビニの駐車場で2時間ほど休息、何とか回復し帰宅、翌朝掛かり付けの診療所へ(普段は高血圧と痛風の薬を処方)。
 どうせ飲みすぎのせいだろうと、血液・尿検査の結果、内臓に異常なし。
 主治医の先生曰く「務台さん、うつ病ですよ」あれ!元来能天気な自分には対極の病のはず「そこに10項目書いてあります、どれが当てはまりますか」

*食欲がない *睡眠がとれない *疲れやすい 等々

「先生、性欲がない以外は全部です」「典型的なうつ病ですよ、車でいえばアクセル全開状態、手足が冷たいでしょ、体も心もパニックを起こしているんです。だから交感神経がわざと具合悪くさせてその状態を止めさせようとしているんです。ちゃんとオフの時間作って休んでくださいね」

 そう言われれば坊主の宿命。365日24時間体制です。
「でも先生、今日これからお通夜なんです」「それじゃあだめだね」今は安定剤と睡眠薬で何とかしのいでいます。
拙僧のつまらない話は終わりです。

 ここからが本題。主治医のS先生、実は中々の御仁です。私は家内を48歳の時に癌で亡くし先日7回忌を終えました。S先生は妻の主治医でもあり防衛医大を卒業の後、地域医療に力を注がれています。妻の最期は自宅でと思っておりましたので先生に相談し日々往診して頂き、診察の最後に必ず脈を採ります。
 診療の一環と思っておりましたが、ある時、何気ない会話で「薬師如来の結印は天と繋がっていますからね。古いお寺の境内には必ず薬草が植えてありますしね。」
 何だこの人は、「先生、何でそんな事知ってるんですか」と尋ねれば「奥様の脈を採っているのは“アーユルヴェーダ”なんです」アーユス(生命)・ヴェーダ(科学)の2つのサンスクリットの複合で生命の科学とよばれているそうです。

 インドに5000年前から伝承されているヴェーダの一つで、近年インドをはじめとし各国で形骸化し、単に病気を治す、あるいは予防するという「医術」の側面だけになってしまい、本質である「智」を失っていると先生は嘆かれます。
 例えば人は無理をすると風邪をひく。医者は解熱剤や抗生物質を処方する。やがて回復に向かうが、それは薬が風邪を治しているのではなく人が本来もっている自然治癒力が癒している。私たちの生命そのものであり、それが「智」であると。

 S先生の師匠は脈診だけで患者の何処がわるいのかピタリと解るそうです。この術がもっと広まれば高額な検査機器など必要なくなるとも仰います。
 家内の末期には相当に痛みを伴っていたはずですが先生の脈診でぐっすりと毎日眠りにつきました。
 臨終のときは実家の母、二人の妹、拙僧と発願文を称え送りました。

 先生に看取りに来て頂き御礼を申し上げれば、「医者はこれで終わりじゃないんです。この後、残された御家族のケアーが大切なんです」と。
 その後、先生に『往生要集』を紹介させていただきました。診療所の今年の新年会で先生は職員たちに、患者さんと接するときは「愛とか正義じゃないですよ、慈悲なんですよ」と訓示されたそうです。
 坊主なのに頭が下がります。私の心の病がもう少し良くなったら、先生に続きをご教授願いたいと思っています。