浄土宗東京教区教化団

平成27年3月「私たちをつなぐもの」阿川正貫(城西組浄土寺)

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「私たちをつなぐもの」

阿川正貫(城西組 浄土寺)






かみなりをまねて腹掛けよっとさせ

 まだかみなりの季節ではありませんが、そんな古川柳があります。初めてこの句を知った若いころは、ただ字面を追って、まあそうだろうなあ、と思うだけでしたが、わたくしごとながら遅くに子に恵まれ、その子がこういう年頃に育ってきたとき、この句が不意に懐かしく思い起こされてきました。江戸の長屋か商家か、その昔の親子の情景・心情がありありと我がものとなり、大げさに言えば「古典を読む喜び」を味わうことができました。

 それほどの名句ではないでしょう。別に私が文学鑑賞に目覚めたのではなく、子供のとの時間・経験を通じて、私の心が変わったのです。これも大げさに言えば、子供のおかげで、私は別の人格になった、わけです。いや、それは言い過ぎですね。子供に親が成長させてもらった、少なくとも変化させられた、ということです。

 考えてみれば当たり前のことではあります。子供のおかげで分かったこと、発見したことはたくさんあります。とはいえ、普通には親が子を育てる、親の保護や影響のもとで、子供は人となる。だからこそ、皆さん、子供のことを考え、熱心に教育なさいます。その中でこの当たり前のことが、ややもすれば忘れられがちなのではないでしょうか。

 小さく弱い、何も知らない子供が親に影響を与える。親と子は影響を与えあい、お互いの人格を作ってゆく。

 それはもちろん、親と子に限りません。上司と部下。先生と生徒。先輩と後輩。上下関係とは別に、お互いがお互いの原因となり、影響を与えあっています。友人・知人、ご夫婦ならなおさらです。目の前の親友に影響を与えた見知らぬ誰か。その人が親友を通して私に影響を与えてきます。

 さらに言えば、人間だけではない、生きとし生けるものが、だけではない、山や川が、あるいは人間の作ったいろいろな「もの」が、あるいは世の中の状況が、宇宙のあれこれが、身の回りにかかわってきて、私をかたち作っています。私自身もまた、誰かの、何かの原因となっています。私たちは互いに互いの原因となりあって、この世界を成り立たせているのです。

「すべては縁によって起こる、すべてのことには原因がある」

 お釈迦様が見出したこの世の真理、「縁起」の教えです。もちろん原因は一つだけではありません。それほど単純なわけではないので、大きい原因、小さい原因、知っている原因、知らない原因、うれしい原因、うれしくない原因、取り除ける原因、取り除けない原因。いろいろなものの絡みあいです。
 さらには同じ原因でも、受け止め方によって結果が変わってきます。そのあたりを見据えて、現状にどういう対処してしてゆくか。それが生きてゆく上でのひとつひとつの知恵でもありましょう。また、「皆様を成り立たせている故人とのご縁、生き死にを隔てても変わることのないご縁をどうぞお大切に、皆様同士のご縁もあらためてお大切に」などとお話しすることもございます。

 私たちすべてをつなげているもの。わたしたちすべてにつながっているもの。そこに私は、ほとけさまのお心、ほとけさまのお力を感じます。この世を貫く真実の中には、ほとけさまがいらっしゃるでしょうから。

 親バカな書き出しから始めて、どうやらここまでお話を進めてまいりました。親子の、夫婦の、それぞれの暮らしのあちこちにほとけはおわします。自然に手が合わさり、「なむあみだぶつ」が出てくる私でありたいものです。