浄土宗東京教区教化団

平成27年4月「教化から共感へ」難波大昭(北部組法受寺)

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「教化から共感へ」


難波大昭(北部組 法受寺)




 教化についての一文の依頼をお受け致しましたが、もとより器ではございません。そこで私が感じたなりの事を託してお役目にかえさせていただきます。
 當山は足立区の最北にあり、一帯は住宅地でお寺が十三ヶ寺あり「伊興寺町」として、土曜・日曜には散策の方でにぎわいます。
 たとえば、林家三平さんの常福寺、三遊亭円楽さんの易行院、塩原太郎の東陽寺、安藤広重の東岳寺、怪談牡丹灯籠の法受寺、ならびにこの土地は縄文時代の遺跡としても有名な古墳があり、大変貴重なところでもあります。

 なぜ、この土地がお寺の街かといえば歴史は浅く、浅草・築地・谷中にあった名刹が関東大震災で被災し、昭和の初めに移ってきたのです。
 そのような環境の中におかれた上に、世の中が戦争への道を歩む中で、当時の御住職は寺の維持・経営はもとより、教化においてはさぞご苦労されたことでしょう。
 いわば足立の地においての「都会の寺(端的にいえば檀家と寺との関係は強くても、檀家同士のつながりはいかがだったのでしょうか)が、足立区に越してきたわけです。

 私が若い時、七月・八月ともなると、地方の寺々のお施餓鬼会のお手伝いに伺います。昼頃ともなると三々五々近郊近在から、普段着のままおみえになり、お寺の役員さん心づくしのお昼をにぎやかにめしあがり、ご本堂に座を移しても、お隣り同士が話に花が咲き、法要がはじまっても途切れることはありません。
 ご住職やご随喜のお寺さんが読経しているのに!! ご住職も、それを注意する様子もありません。あそこではお米の出来具合、ここでは嫁や孫のこと、そこでは昨日の酒の話等、まったくめちゃくちゃです。法要後、ご住職に聞いてみました。事のすべてを。
 ご住職いわく「お寺は村のコミュニケーションの場だから、それで良いのだ。私もお檀家さんも双方にわかっている。お寺が村の中心で心のよりどころとしているのだと。ですから、お寺から話題を出せば、檀家さんはすぐ理解し「共感」してくれます。」とのご返事でした。
 普段の教化はもとより「檀家と住職との共感」。私はハタとひざを打ちました。

「都会の寺」として、法受寺の「共感」とは何か。その初めはお線香つけでした。ご参詣の方にお線香に火がつく約二分間、お天気のこと、ご家族の健康のこと、お寺の近況等、それはそれはたわいのない話題ですが、これが私にとって「共感」のもととなりました。
 ピンポンとなれば、平日は5~10回、日曜や彼岸ともなれば20~30回、居間から玄関への往復です。「共感」への「行」となりました。
 このようにして約50年間、時の経過の中に、お檀家さまの喜びや悩み、子や孫の成長、あるいは祖父・祖母・父・母の思い出を次代に託す等の「たて糸」と寺の行事を通して育まれた寺友・墓友の「よこ糸」で「共感模様の布」(全檀家の家族・親戚の方々の顔と名前及びご様子等を熟知することにより、個人情報を前提にして、当意即妙に、心の相談等の対応)を織りつつあります。

法受寺の「共感」行事

○日々のおつとめ 午前6:30朝勤行(本堂)・午後6:00夕べの鐘(鐘楼堂)
○ご詠歌とお経のつどい(第一水曜日)20名
○ヨーガ教室(第二火曜日)30名
○お写経会(第三土曜日)30~40名
○法然上人遺跡めぐり(年一回、19年)25~30名
○伊興寺町寄席(町おこし落語会・年二回、19年)100名
○つぼみ会(檀信徒懇親)(お花見・暑気払い・忘年会、15年)40名
○宿坊体験(年一回・増上寺・5年)10~15名
○いきいき健康塾(お檀家・生活習慣病予防検診・葛飾検診センター担当、会場:本堂・境内)40~50名
○24時間・こころの相談室(03-3899-1620)
○更生保護施設研修(年一回、6年)20~25名
○除夜の鐘・伊興七福神めぐり
○知恩院・おてつぎ運動参加(年一回、3年)10~15名

法受寺の「共感」行事

[全檀家へ送付]
○『浄土宗新聞』
○浄土一洗会『日めくり』
○知恩院おてつぎ『華頂』

「共感」への理念
○お寺は、「お寺屋」さんでありたい。
○住職は、「職人」でありたい
○お寺は、「お・も・て・な・し」でありたい。
○お寺は、24時間、地域の「心のよりどころ」でありたい。
○お寺は、「開かれた・生きている場」でありたい。

そして、これらを理解してささえてくれるのは、寺族の「お・か・げ・さ・ま」に常に感謝しています。南無阿弥陀佛