浄土宗東京教区教化団

平成28年11月「藕糸(ぐうし)の縁」生野善應(城南組光福寺)

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 「藕糸(ぐうし)の縁」

 生野善應(城南組光福寺)





  藕糸の縁とは、人の複雑な繋がりを浮き彫りにした、仏教の基本思想を表現する相応しいことばです。
 周知のように、人は、ほんらい非力な存在です。食べ物、住む家、着る衣服、どれを取り上げても、数え切れないほど多くの人々が関係して作り出されたものを手に入れて活用しているに過ぎません。
 人と人との繋がりがあってこそ、人は生きていかれることを考えたとき、人間関係はだれにとっても、かけがえのない宝物であることが分かります。家族、親族、近所の人やお友達との関わりありはありがたいと改めて認識したとき、こうした縁に包まれ支えられている自分がとても幸せに思われてきます。
 自分の現在に状況を取り巻く複雑な人間関係のぬくもりは、人が歳を重ねるにつれて自然と体験できていくといっても過言ではないでしょう。
 ところで、現時点における様々な人間関係いわば「空間的」なヨコの縁とは別に、「時間的」なタテの縁を取り上げなければなりません。
 人は、それぞれに父母がおり、さらに祖父母がいて、自分の身体的・精神的特長が構成されています。また指導してくださった諸先生や先輩、親しく付き合った友人、読書を通じて知識と教養を培って下さった諸学者の恩恵も忘れられません。

 自分を取り巻くタテとヨコの人のつながりは仏教の基本思想ですが、これをたとえて話すとき、藕糸の縁は最適です。
 藕糸とはハスの根のこと。ハスは池の底に根を張り巡らして複雑に絡み合っています。その一本を取り出してみると、一方の端は細く干からびて土に帰しており、他の一端は細かいけれども瑞々しくこれから伸びようとする勢いがあります。中間部分は太くたくましく水面に真っすぐに茎をのばして、先端に美しいハスの花を咲かせています。この一本の根をファミリーに当てはめてみると、細く干からびて土に帰した部分は老化した人や亡くなった方を指し、細かいけれども瑞々しく勢いのある部分は健康で社会の第一線で仕事に学業に励み充実している人々を指すといわれます。

 ハスが何本も折り重なっているのは、ファミリーが相互に関係をもって安定した社会を創造しているのに喩えられるろ考えられます。
 すべては縁すなわち相関関係で成り立っているとの仏教の基本思想は、藕糸の縁によって美しくまた身近に感じられます。