浄土宗東京教区教化団

平成29年1月「等身大のすばらしさ」伊藤顕翁(江東組安楽寺)

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 仕事柄ご遺族の方々のお話を伺う機会が多くあります。
 特に東日本大震災やいろんな事情でかけがえのない家族とお別れをする。その中には親ばかりではなく、パートナーを更には大切な子供とお別れをしなければならなかった親御さんもおられます。言葉にできない程のつらさの中で苦しんでおられる。そんなお話を伺うと、こちらもとても胸が詰まる思いになります。

 特に子供に先立たれた親御さんにとっては生きる意味もなくなり、一つも楽しい事もやって来ない。ましてや日本中で「おめでとう」というこのお正月の時期は、元気な時にしていた「何気ない日常の時間」を思い出し、その事との対比でより苦しみが増し、日本中でのお祝いの言葉や楽しむ雰囲気に押しつぶされそうになる時期だと思います。

 多くの親御さんが長い時間お話しされてから仰る「会いたい。どんな姿でも良いからまた、抱きしめたい、触れ合いたい。」というその悲痛な叫びのような言葉が胸に刺さる事が多いのです。私はその時に、私自身も浄土宗の教えにとても助けられています。阿弥陀様が仰って下さった「お念仏を申される方には、必ず再会させよう」というそのお約束は、とてもありがたいと感じます。ただどうしても時間がかかります。どうか必ず再会できるという事をお信じになって、この世でたくさんのお土産のお話を作って、どっさりとそのような贈り物をお持ちになれる準備を長年かけてでもして欲しいと思うのです。

 先立たれた方もきっとそのお姿を見守られながら、楽しみにしているはずです。いずれまた多くのお土産をお持ちになって会いに来てくれるというその祈りの言葉は先立たれた方にとっては何にも代えがたい励みの言葉ではないかと信じています。
 
 さて、そんなお話を伺っていると、親というのはいくつになっても親なのだと当たり前の事に気づかされます。ですから親は必ず子供より大きい存在なのです。心配なのです。生きている我々の方もその事を十分に認識する必要があります。自分は親よりもどんな事があっても小さいのだという事を。なぜなら親から命を頂いたのですから。そしてその親も祖父母よりは小さい。親よりも小さいという事実を認識する事が「等身大の自分」の原点です。

 「等身大」で生きるというのは効率よく一番楽に生きられると聞いたことがあります。それにはたまに思い出す、認識すれば良いのです。たまに思い出す良い場所があります。それはお墓です。親でなくてもその上のご先祖がおられます。その方々へ命をつないでくれた感謝を申し上げるのはご自身の幸せの為にも重要ではないかと思います。どうかそれを次世代にもつないで下さい。お一人ではなく、なるべく多くの方で今年からはお参りできます事を願っております。

 そしていろんな所へ初詣をされるのは構いません。同時にご先祖の所へも、菩提寺のご本尊様にも新年のご挨拶をしたいものです。なぜならその時はいつやって来るのか誰にもわかりません。震災の被災者の方々も地震が起きるまではありふれた幸せの時間が流れていたのです。一瞬でそれは変わるのです。だからこそ普段からの準備が大切なのです。