浄土宗東京教区教化団

平成22年1月「一生は一日一日の積み重ね」若林隆壽(浅草組西光院)

 

 

 「一生は一日一日の積み重ね」

 若林隆壽(浅草組西光院)

 

 あけましておめでとうございます。

 Nさんは下町で十一代続く、老舗の海産物問屋の御上(おかみ)さんです。春秋のお彼岸やご主人のご命日はもちろんのこと、毎年正月二日のお寺参りは、この六十年欠かしたことがありません。
 午前10時、まずご本堂の阿弥陀様の前で掌を合わせ、大きな声で「南無阿弥陀仏」を十遍、それから、冷たい水もなんのその、小一時間かけて親戚中の墓石をきれいに磨き上げ、ようやくお線香とお花を上げてお墓参りが終わると11時。

 腰を下ろし、湯飲みを額のところに戴いて、お茶を一服。
 「デイサービスで『うちの嫁がね……』って、話し始めると、あんまり私のこと知らない人たちはさ、『さぁ、どんな愚痴をこぼすんだろう』って身を乗り出してくるでしょ。そこで『昨日の晩に作った料理が』とくると、もう待ちきれなくて、『口に合わなかったでしょう?』とか『味が濃かったの?』とか、口々に……」
 「はぁ」
 「その時『それがねー、美味しかったのよー』って言った途端、『なーんだ』って、ガッカリするのよ。ところが、昔からの仲間は『よかったわねー』って、一緒に喜んでくれるわけ」
 「いいですねー」
 「私が先代の御上さんから教わったのは、『よそで家内の悪口を言わぬこと。褒めれば育つが、おだてりゃ驕ると心得よ。それが暖簾(のれん)を護る道』ってね。言葉にすると簡単なようだけど、これが何とも難しい。どうにかできるようになったのは、不思議と息子が結婚して、二世帯同居になってからだわ。褒めるためには相手のことよく見とかなきゃならないしね。それも結果だけ褒めてもダメなの。どうしてうまくいったのかって、そこを見てなきゃ。途中を見てないと、ついついおだてることになっちゃうのよ」

 実際に長年店を切り盛りしてこられた方の、はきはきとした語り口を伺っていると、「えいっ!」と喝を入れられた気がしてくる。
 そう言えば、お嫁さんについての愚痴を聞いたことはなかったなと思いながら、帰り際に「元気の秘訣は?」と尋ねたら、
 「今日一日を一所懸命に過ごすことかしら。だって一週間も、一月も、一年も、もっと言えば一生も、毎日毎日の積み重ねでしょ」と実に明解な答え。

 さて、宗祖法然上人は『念仏往生要義抄』の中で、「臨終のお念仏と、日常のお念仏と、どちらがすぐれているのですか」という問に対して、「ただ同じことです。どうしてかと言えば、日常のお念仏、臨終のお念仏といって何の境目があるというのでしょう。日常のお念仏をお唱えしているときに亡くなれば、それは臨終のお念仏となるでしょう。逆に、これが臨終のお念仏だとお唱えしても、命永らえれば、それは日常のお念仏となるでしょう」とお答えになってなっておられます。

 なるほど、新年を迎え歳を重ねるということは、昨日から今日、今日から明日への、途切れることのない連続です。
 さぁ、今年はどんな一日一日を重ねることになるのでしょうか。
 まずは皆さまの今年一年のご多幸をお祈り申し上げます。
 南無阿弥陀仏。