浄土宗東京教区教化団

平成29年3月「一人飯で仏教レッスン」小川有閑(玉川組蓮宝寺)

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 私の寺は境内もなく、お堂らしいお堂もなく、鐘楼もありません。知らない人はお寺と分からずに通り過ぎてしまうくらいの建物です。ですから、除夜の鐘で賑わうことはなく、初詣に来られる人も数軒の檀家さんのみ。毎年、年末年始は同業者には申し訳ないくらいにのんびり過ごさせてもらっています。

 今年の正月ものんびりとしたもの。昨年中に終えられなかった仕事は山積みではあるものの正月気分というやつで、テレビを見ながらごろ寝をしていました。私が観ていたのは
「孤独のグルメ」という番組の総集編。7時間くらいでしょうか、まとめて一気に放送をしていました。

 人気番組ですのでご存知の方も多いとは思いますが、どういう番組かご説明しますと、主人公は松重豊さん扮する井之頭五郎という独身男性。個人で貿易会社を営んでいる五郎さん。商談等で見知らぬ町に出かけ、一人美味しいランチを食べるのが大の楽しみ。30分番組の半分は五郎さんがただご飯を食べています。一緒に食べる人はいません。いつも一人。そして、五郎さんの心の声がナレーションとなります。「うん、うまい肉だ。いかにも肉って肉だ」「ちょっと早いが腹もペコちゃんだし、飯にするか。」「いいぞいいぞ、ニンニクいいぞ」などなど。

 なぜ、私が見入ってしまったのか。もちろんドラマとして面白いというのは大きな理由です。ただ、見ているうちにこう気付いたのです。

 「これは仏教だ!」

 五郎さんはご飯を食べながら、テレビを観ません。新聞も広げません。携帯電話もいじりません。ただただ、ご飯を食べています。次の予定を考えることもしませんし、さっきの商談を振り返ることも一切しません。ただただ、目の前のご飯のことだけを考えています。言わばご飯と向き合い集中して食べているのです。

 では、皆さんはご飯を食べるとき、どうしているでしょうか。テレビに気を取られていないでしょうか。携帯ニュースに目が行ったり、LINEのやり取りに夢中になったりしてはいないでしょうか。ご飯の一品一品、自分の一噛み一噛み、そこから伝わってくる味わいに、しっかり思いをいたしているでしょうか。

 仏教では「即今・当処・自己」という言葉があります。現代語にするなら「今・ここ・私」となりますが、今という時間・ここという場所に集中して、自分がなすべきことをなしなさいという意味と思ってください。ご飯を食べながらも他のことに気を取られ、食事自体がなおざりになることは「今」「ここ」に「私」がいないということです。その点、五郎さんのランチは、まさに、「即今・当処・自己」と言えるでしょう。

 私たちは食事一つとっても、なかなか目の前のことに集中ができません。常に意識はあっちに行き、こっちに行きをしています。正月早々、五郎さんの食べっぷりに仏教の神髄を教えられた気がしました。皆さんも一人で食事をする時には、仏教のレッスンだと思って少し五郎さんごっこをしてみてはいかがでしょうか。