浄土宗東京教区教化団

平成29年9月「介護でこころが折れないために」戸松義晴(芝組心光院)

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なぜ、どうして…
 お浄土へ旅立つ日までは、いつまでも元気で過ごしたいと思うのは、私も含めて皆様の正直な願いであると思います。しかし、現実はなかなか厳しく、まだまだ元気だぞと気持ちでは思っていても、高齢になることで身体が思うように動かなくなってきて、介助や介護が必要になってきます。

 自分の思いどおりに身体が動かないと、「ああ、なぜこんなこともできなくなったのだろう」と悔しく思ったり、「まだまだ自分でできるのに、みんなおせっかいばかりだ」とうっとうしく思う方もいらっしゃるかもしれません。家族の心からの介護を「迷惑をかけてしまって申しわけない」と心苦しく思う方もおられると思います。

 一方、高齢の親が日常生活に支障をきたす様子をみては、「どうして、こんなこともできなくなってしまったのか」という焦りと寂しさを感じたり、親の介護を一生懸命しているのに、「どうしてわかってくれないのだろう」と思ってつい口調が強くなってしまったりする方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 介護には人間の「老い」という問題が大きく関わっています。体が老化するのはあらがうことの出来ない自然現象です。仏教でも人生の4つの苦しみとして「生老病死」を挙げています。生を受けた以上、老いて、病んで、死んでいくことは誰も逃れられない事実です。ただ現実は変えられなくとも、その受け止め方を変えることはできます。そのために何をすればいいのでしょうか。法然上人の教えをもとに考えてみたいと思います。

ありのまま、あなたらしく
 私たち浄土宗では、人間は「凡夫」であると捉えています。凡夫とは、迷いや不安から逃れられない存在のこと。介護をしていると、どうして自分ばかりこんな目にあうのかという不満、いつまで続くのか先が見えない不安があります。そんな中で、ふと「もうそろそろお迎えが来てほしい」という思いが湧くこともあるかもしれません。そしてそんなことを考えてしまう自分への自責の念も出てくる。人間ですから、辛いときに気持ちが揺れ動くのは当然。誰だってそんな気持ちになります。そういう自分と正直に向き合い受け入れていくことは大切なことだと思います。法然上人は、「お念仏を称えることで阿弥陀様はそんな私たちのありのままの姿を受け入れてくださる」と説かれています。

 仏教では「行」、つまり実際に体を動かして実践することを重んじます。行動によって自分の体とこころが変化するから、ものの見方も変わるのです。お念仏は頭で理解するだけでなく、ぜひ実行してみてください。そうすれば何かしら必ず変化を感じられると思います。

つながりの中に生きる
 介護の後には必ずお別れがやってきます。送る側も寂しいですが、一番辛いのは家族や友人とお別れするご本人なのかもしれません。私たちが死に直面した時に何を思うかを考えてみてください。自分の事だけでなくこの世に残していく大事な家族や友人のことを思いながら旅立っていくのではないでしょうか。

 介護をしていると辛いこともあります。そのようなときには、同じ境遇にいる人々や、ケアマネージャーといった専門家に話を聴いてもらうのもいいでしょう。また、辛いことや人生の苦難に直面したとき、努力してもどうしようもないこともあります。そんなときは、できるだけ気持ちを包み隠さず誰かに伝えることが大切です。「誰か」とは、どんな気持でも受け止めてくれる家族や友人。また菩提寺の住職や奥様にもこっそりお話ししてください。(しっかり胸にしまっておきます。)お寺の者もお話や愚痴を伺うことができると思います。もちろん、誰にも言えない辛さ、悩みは阿弥陀様、いつでも皆さまを見守ってくれている大事なご先祖の仏さまにお話しを聴いていただくのがいちばん良いかもしれません。

「お念仏を称えること」「祈ること」「亡き人に語りかけること」は目に見えない神仏やご先祖の仏さまとつながりを体感できる営みです。一心にお念仏を称えれば、あなたを大事に思っていてくださる仏さまや亡き人に見守れている感覚を得て、感謝する気持ちもが得られます。

 お念仏の声の中に皆さまの安らかな、そしていきいきとした人生がありますように。