若林隆壽(浅草組 西光院)
南無阿弥陀仏。
東京のお盆は主に7月、ご先祖さま、亡き方々に思いを寄せる季節がやってきました。
戦後70年周年という節目を迎えた本年は、改めて戦没者の方々に追悼のまことをささげるとともに、戦後の復興と世界が平和になるよう努力を続けてこられた先人たちに感謝の意を表明するための「第2次世界大戦終戦70周年戦没者追悼法要」が各地で行われています。
私も、去る6月9日、原爆爆心地と長崎市平和会館とで行われた、長崎教区主催(浄土宗並びに総本山知恩院後援)「原爆犠牲者・戦没者70周年慰霊法要・長崎 ~念仏者による恒久平和を願う集い~」に、地域のお仲間と参列し、800人になんなんとする参加者の、満堂に響き渡るお念仏の声に包まれながら、先の大戦への思いを新たにしてまいりました。
第2次世界大戦末期、昭和19年11月以降、東京は実に106回もの空襲を受けました。中でも昭和20年3月10日未明のいわゆる「東京大空襲」によって東京下町は灰燼に帰し、死者10万人以上、罹災者は100万人以上といわれています。私が住職を務める寺のある浅草地区では、過去帳に戦没者の法名・氏名のない寺は一ヶ寺としてなく、寺院もその多くが堂宇を焼かれ、檀信徒を始め、住職・寺族等多くの尊い命が失われました。私の両親は隅田川に掛かる厩橋の欄干のアーチの下に逃げ込み、かろうじて九死に一生を得たのですが、そこで見た「地獄絵図」が、その後の人生観を大きく変えた、とことあるごとに語っていました。
浄土宗では戦後60年を迎えた平成15年に、宗祖法然上人のご命日である、毎月25日を「世界平和念仏の日」と定め、65年目の平成20年には「浄土宗平和アピール」を宣言して、宗として恒久平和を願う姿勢を示してきました。
その拠り所となっているのは、『無量壽経』というお経に説かれている「祝聖文(しゅくしょうもん)」といわれる一節
天下和順(てんげわじゅん)日月清明(にちがっしょうみょう)
風雨以時(ふうういじ)災厲不起(さいれいふき)
国豊民安(こくぶみんなん)兵戈無用(ひょうがむゆう)
崇徳興仁(しゅとくこうにん)務修礼譲(むしゅらいじょう)
世界は平穏無事に、日や月の光は清らかに照らし
風雨はその時節に適し、災害・疫病は起こらず、
国豊かで民はが安らかに暮らせるよう、武器は無用となるよう
善い行いを尊び、思いやりの心を起こし、
礼儀を守り互いに譲り 合う心で務めましょう
です。
昭和36年、法然上人の750年大遠忌に際し、日本全体が、正にゼロ、あるいはマイナスからの復興を余儀なくされるなか、昭和天皇から「祝聖文」を典拠として、「和順大師」の大師号が贈られたことを考えれば、当時の人々がいかにこの「祝聖文」の心を現実として願い、希求していたが理解できます。
奇しくも、第2次世界大戦の終戦から70年の今年、選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が可決、成立しました。全有権者の2%に当たる、240万人の若い人たちの意見が政治に反映される機会が巡ってきたのです。
もはや、戦争を実体験として語れる方は少なくなってきました。お盆を迎え、老若を問わずですが、特に若い方々には、この「祝聖文」の心を肝に銘じて頂きたいと願わずにはいられません。