浄土宗東京教区教化団

平成30年10月「月と寺参り」大島俊映(北部組全學寺)

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夏の盛りのある夜、等々力陸上競技場は沸いていました。グラウンドで展開される川崎フロンターレの美しいサッカーと、それを声で後押しする私を含む2万人以上のサポーター。熱気の匂い。そして、見上げれば、スタジアムの照明のはるか上に、半分に欠けた月。月はもちろん、選手たちや観客だけではなく、私たちが先ほどまでいたフロンパークの後片付けをするスタッフも照らします。

フロンパークは、等々力陸上競技場の隣にある広場です。ホームチームのフロンターレが、試合前の多種多様なイベントを行うのに活用しています。私が所属している北部組教化分団はフロンターレと縁があって、その日は部内の若手の僧侶12人で「発酵美話(はっこうびトーク)」というブースを設けました。

―お坊さんに話を聞いてもらって心の中からキレイになろう―というのが「発酵美話」のコンセプトでしたが、猛暑にも関わらず、ブースには多くの方が来てくれました。年輩の奥様が「兄弟と折り合いが悪くて」と相談されていたり、熱心なサポーターの男性が「もっとフロンターレの力になるためにはどうすればいいか」と目を輝かせていたり、中学生の女の子が「親友の彼氏に恋愛相談をしていたらその人を好きになってしまった」と沈んでいたり…。もちろん、ただただ世間話に来た方も多くいました。みなさまに共通していたのは、この地域に住んでいて、フロンターレを応援していて、誰かに自分の話を聞いてほしかったことです。

フロンターレの試合が終わって落ち着いてから、私は「発酵美話」に来てくれた方たちのことを想いました。少しでも前向きになれてくれていたら、願わくは、フロンターレの勝利をスタジアムで見届けた後に、夜空の中に浮かぶ美しい弦月に気付くぐらいには。

読者のみなさまは、法然上人が歌われた浄土宗の宗歌をご存知でしょうか。月にまつわる、次のような歌です。

月かげの いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ

月の光は全てのものを照らして里山にくまなく降り注いでいるけれど月を眺める人以外はその月の美しさはわからない、という意味で、阿弥陀仏の慈悲の心を月にかけて歌われています。今、浄土宗の僧侶に求められているのは、みなさまに念仏を称える心持ちになってもらうこと、すなわち、月を眺めるような余裕を持ってもらうことだと考えています。

そのような考えのもと、地域の方たちの話を聞く機会を増やしたい思いもあって、私は自分のお寺で「みんなの全學寺プロジェクト」を立ち上げました。『陽気なボウズが地域を回す』というフリーペーパーをほぼ毎月発行し、妻がバリスタとしてスペシャリティコーヒーを無料で提供する「ゼンガクジ・フリー・コーヒースタンド」を土日にオープンしています。全學寺フリーペーパーはこちら

また、毎月第3土曜日には「てらのひ」と題して、手芸や講座と共に、若手の僧侶にお願いしてお参りイベントを開催しています。試合前のフロンパークほどの賑わいではもちろんありませんが、心穏やかに念仏をお唱えしています。

このホームページをご覧のみなさまに1番お伝えしたいのは、「墓参り」でなくとも、「寺参り」をしてほしいということです。みなさまの想像よりも多くのお寺がイベントやふれあいを企画しています。自分の菩提寺や地域のお寺に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。そして、そのお寺で僧侶と話したら、夜は月を眺めながら法然上人が歌った宗歌を思い出して、阿弥陀仏の慈悲の心に思いを馳せてほしいと思います。

この『今月の法話』を最後まで読まれた方も、今日の夜空を見上げていただけたら幸いです。新月ではありませんように。
南無阿弥陀仏。