「お念仏に支えられて
ーお念仏の声は家庭からー」
平岡仁成(豊島組 徳性寺)
亡き人の供養をすることによって、予期せぬ功徳を受けることがございます。私の寺のお檀家のことで、恐縮ですが、そのことを書かせていただきます。今年の夏の猛暑の最中、七月に亡くなられた奥さんの百ヶ日のときのことです。おばあさんが墓参にこられ、「仏壇を買ってよかった。家の中が明るくなった」というのです。
五七日忌の時、新しく仏壇を買ったので、開眼供養をお願いしたいとの依頼を受けました。読経開眼のあと、私は亡くなられたお母さんの御供養を御主人だけにお任せしてはいけません。みんなで御供養するようにと、お話しいたしました。
その家は、残された御主人とおばあさん、それから社会に出た娘さんと高校生の息子さんの四人暮らしです。私はおばあさんの話が意外だったものですから、そのいきさつを尋ねました。
和尚さんがいわれたように朝きまった時間に全員でおまいりをするようにいたしました。娘が仏壇にあげるお膳をつくり、息子が水を取り替え、お茶をあげる。お父さんはローソクに火をつけ、お線香をあげる。おばあさんはお念仏を唱えおまいりをする。それぞれ違う仕事ではありますが、すべて亡くなったお母さんの御供養になるという思いから、みんな真剣、おばあさんは、みんなを激励しながらの毎日でした。みんなが、仏さまへのお給仕を自分の仕事にすることによって、お互いに励まし、励まされるようになったのです。
ですから、誰かが寝坊して、その所が滞ると、まだお膳があがってないよ、お茶があがってないよ、といわれます。馴れてくると、だんだん皆んなが自分の仕事を、他人にいわれなくとも、自分の責任と思ってこなすようになってまいりました。別の言葉でいえば、供養をみんなでするんだという役割分担がはっきりしてきたのです。そうしますと、みんなが同じ時間に起きるようになったし、おまいりは勿論、食事までが、一緒にするようになりました。そこに家族としての会話が生まれてきたのです。お父さんは会社の話、息子さんも学校の話、そこから秋の学園祭の話がでて、今度はお父さんが見にいくよと約束したり、おばあさんのお習字の展示会の話も出て皆んなでいってみようかということにもなったのです。
いままでは、ただ食べるだけという食事で、食事の時間もバラバラでした、それこそ自分たちの都合のいい時間に、好きなものを好きなだけ食べるという、いまいわれている孤食の摂り方でした。ですから、顔を会わし、話す時間もありませんでした。そこに仏壇を買い、お母さんの供養をすることによって大きな変化が起こったのです。
会話の乏しかった家族の生活が明るく、変わってきたことは確かでした。いまは食事の時間のむだもなく、味噌汁なども温めなおすこともなく、冷めないうちに食べられるようになりました。これは単に仏壇が新しくなったという話ではありません。そこには、仏壇を中心にした生活をすることによって、仏にお守りをいただくのだという、おばあちゃんの話を喜びのうちに聞くことができました。予期しない家庭の団欒が戻ってきたのです。
仏壇の縁によって、お念仏の力がみんなの心を一つにし、亡くなったお母さんのお守りをいただいた一家の話として、書かせていただきました。
法然上人八百年の大遠忌を迎える心の準備はできたでしょうか。浄土宗二十一世紀の劈頭宣言の中に、家庭にみ仏の光を(あたたかい家庭を築こう)という目標が、こんな形で、身近な所から、力を発揮されたことは、すばらしいことです。まさにお念仏の力だと思います。