「おかげさま」
吉水裕光(北部組 光照院)
俳聖松尾芭蕉は「秋深き隣は何をする人ぞ」と、秋の深まりゆく風情を詠んでいます。その一生は旅から旅への俳句に捧げた人生でした。日光街道を北に向かった「奥の細道」はあまりにも有名ですが、東へ西へと旅は続き、晩年には長崎に向けて江戸を出立しました。しかし、その途中大阪で病に倒れ、元禄七年十月十二日多勢の門人達に見送られ、不朽の名句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と辞世の句を残し、五十一才の俳諧人生を閉じました。
実りの秋とは言うものの何かもの悲しい心地になるのが晩秋なのでしょう。
人生の晩秋と申せば死を思わずにはおられません。私達日本人は大切な人が亡くなった日を忌日や命日などと呼び大切にいたします。一年に一度その日が訪れると、祥月命日や、年忌、年回と申し、故人を偲び、供養を重ねます。
芭蕉の命日も翁忌、桃青忌、時雨忌と呼ばれ供養が営まれます。すなわちご法事が執り行われるわけです。法事とは亡き人を想う家族や知人、そして弟子たちによって営まれ、その人達の心の癒やしとなるもの、それが追善供養なのです。
供養とはインドに起こった仏教の教えで、三宝を敬い財物を供える事でした。三宝と言うのは、仏・法・僧を指し、釈尊を敬い、釈尊のみ教えを心の糧とし、僧伽(サンガ)に布施することなのです。
ここで、サンガについて説明いたしますと、サンガとは出家した修行僧の集団のことで、僧たちは一切の生産活動に携わらず、在家信者からの施しを受けて生きています。釈尊のみ教えを信じ規律正しい生活の中で、互いに切磋琢磨しながら心の闇、心の中に巣食う三毒(貪・瞋・痴)すなわち貪りの心、怒りの心、愚かな心を打ち払い聖者の道に近づこうと修行を続けます。
一方、在家信者は、聖者の道を志す修行者に供養をする事で、自分自身の功徳につながると考えていたのです。すなわちサンガに供養する事が自らの心を浄め、仏の道に近付く手段であると施食等に精を出していたのです。
日本に仏教が入って来る時、神道における先祖崇拝とからみ合い、ご先祖や霊に物を供養する事が盛んになってきました。又、釈尊やそのみ教え、そして修行者達への供養が、ご先祖や僧侶への供養と変わっていったのです。しかもその供養は物や金品だけの布施では足りず、生前に供養が十分でなかった先祖や、沢山の罪を作ってしまった縁者の代わりに、生きている私達が代って行を積み、善を追うことが追善供養と呼ばれるようになってきたのです。自分の積んだ善行を縁者に振り向けると言う感覚は現代では残念ながら失われつつあるのかもしれません。しかし、自分が今ここにあるのも、祖先や縁者が功徳を積んで下さったお陰であると言う考えが仏教にはあります。あらゆるいのちのつながり(ご縁)によって私達は生かされているのです。同様に、今私達が積む功徳は、仏様の有難いおはからいにより、大切な子孫や縁者に善い循環をもたらすかもしれません。
幸いな事に法然様は私達に、いつでもどこでも、誰でも出来る善行としてお念仏の実践をおすすめ下さっています。少しでも多くのお念仏を唱え、ご先祖や縁者に振り向ける追善供養の時をお過ごし下さい。
〝いけらば念仏の功つもり
しなば浄土へまいりなん
とてもかくても此の身には
思いわづらふ事ぞなき”