「専修念仏」
榊 泰純(城南組興昭院)
法然の仏教は専修念仏と呼ばれている。文字通り、念仏だけをひたすら修することを教えている。法然以前には、すでに念仏は流布していた。法然が発見したのは、念仏の背後にある阿弥陀仏の本願という救済の原理なのである。
昔、阿弥陀仏が仏となる前、法蔵比丘と申した修行者であった時、当時仏であった世自在王のもとで修行していた。法蔵は、自分が仏となった時、すべての仏国土よりすぐれた国土を建設したいと願い、四十八の誓願をおこし、もしこの誓いが実現しないのなら、自分は仏にならないと決意を述べた。長い修行の結果、仏となった。法蔵は仏となり阿弥陀仏と名のり、西方極楽浄土で、現に今説法しているという。
この法蔵の誓いの一つに、もし衆生が、自分の国へ生まれたいと願って、自分の名を呼ぶ者がいれば、どのような人間であっても、自分の国へ迎えて仏としてやろうというのがある。これを本願念仏と申し、この誓いに基づく念仏のことなのである。
この物語を記している『無量寿経』には、わが名を呼ぶ者があればとは明記されていない。
*名を呼ぶのではなく、”十念”という表現である。
『無量寿経』(巻上)第十八願 「もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して、我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く」
これを明記したのは中国の善導であった。
*善導大師は「乃至十念」と「具足十念称南無阿弥陀仏」(『観無量寿経』第十六観)とを結び付けて解釈し、「十念」を南無阿弥陀仏と十回声に出してとなえることと解釈している。
この善導に傾倒していた法然は、専修念仏の教えを開いたのである。
*法然上人は「念声はこれ一つなり」(『選択本願念仏集』)として善導大師の説に基づき、「十念」を十声の念仏としている。
法然が発見した本願念仏とは、阿弥陀仏の誓いを信じてする念仏のことであり、阿弥陀仏の名を称すれば、いかなる者でも浄土に生まれ、仏となることができると信ずる立場なのである。
そこでは念仏以外の、一切の条件、一切の資格は不要であり、念仏以外の行を修めることは、阿弥陀仏の誓いに合致しないということで、かえって浄土往生の妨げの原因となることとし、否定されるにいたったのである。
『徒然草』の著者兼好は、法然浄土教を次のように記している。
「ある人、法然上人に、「念仏の時、睡りにおかされて行を怠り侍る事、いかゞしてこの障りを止め侍らん」と申しければ、「目
の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「後生は一定を思へば一定、不定と思へば不定
なり」と言はれけり。これも尊し。(第三九段)」
兼好は法然上人の言葉として、一つは、弟子が、念仏の最中に眠くなって念仏ができなくなってしまった時、どのようにしたらよいかと、たずねられると、法然は、目がさめている間に念仏すればよい、と答えたこと。もう一つは、念仏する人が、確かに生まれることができると信じているならば、まちがいなく生まれることができるし、もし確信が持てないのならば、生まれることはむつかしい、ということ。兼好はいずれに対しても、心から賛意を表わしている。前者のエピソードは、法然の念仏が、昔からの苦行主義とまったく異なる世界のものであることを示しており、後者は、信がいかに重要であるかを示している。
法然が、眠たいときは無理に念仏することはなく、目が醒めてからすればよいではないかと、簡単にいってのけている。本願念仏を信じる立場に立っているからこそ、可能な発言である。本願念仏においては、念仏することだけがすべてであり、苦行することが救済の条件とはなっていない。阿弥陀仏の誓いに従うことにはなっていない。
(文中の赤字*の部分は編集部で加筆しました。
参考:『浄土宗大事典』)