浄土宗東京教区教化団

平成29年6月「つながり」鈴木英憲(城南組寶蔵寺)

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願わくは我が身きよきこと香炉の如く
願わくは我がこころ智慧の火の如く
念念に戒定の香をたきまつりて
十方三世の佛に供養したてまつる

 これは、日々のお勤めやお檀家様の年回法要の時に、最初にお唱えする「香偈」といわれるお経の書き下し文です。お焼香をし、身も心も清め、すべての佛様に心からの供養をする。お経として聞いたことはあっても、なかなかその意味まで知っている人は多くないでしょう。こうやってもともと漢文のものを、平仮名交じりで書き記されたもので読めば意味も捉えやすく、意味を知っていれば普段お唱えしたり耳にするお経も、また違った様に聞こえるかもしれません。

さて今回は、少し仏教とは違う話をしたいと思います。

皆さんは、日本の文化と言われたら何を想像するでしょうか?相撲、歌舞伎、空手や柔道という方もいるでしょう。蕎麦やうどん、食文化という方もいるでしょうし、若い方の中にはアニメや漫画のキャラクターを模したお弁当、いわゆる「キャラ弁」と答える人もいるかもしれません。漢字・ひらがな・カタカナという三種類の文字を使う日本語こそがという人もいることでしょう。そんな中でも今回は、数ある文化の中でも「浮世絵」のお話をしたいと思います。

今はあまり馴染みのない浮世絵と言われて、皆さんは何を想像するでしょうか?浮世絵と言われて思い描くのは、葛飾北斎の残した「赤富士」や「富嶽三十六景」であったり、喜多川歌麿の美人画であったり。馴染みのない人は、町の銭湯の壁に描かれている富士山であったり、テレビ番組、笑点のオープニングのような絵といえば解りやすいでしょう。

そもそも浮世絵とは、16世紀後半に京都の庶民生活を描いた絵が始まりだと言われています。江戸時代、長く辛い戦乱の世が終わり、人々の心も晴れ、人々が躍るような姿や美人や人気歌舞伎役者、心に染みる景色の絵などが中心に描かれています。その後、歌麿や北斎といった浮世絵師達によって浮世絵は芸術性を持ち、人々に広く知れ渡っていきました。

その後、長かった鎖国の時代も終わり、浮世絵は世界にも広まっていきました。一説には、19世紀末頃に、包装紙として使われていた浮世絵がヨーロッパの画家達の目にとまり、その表情豊かな線や簡潔な色使い、自由な発想の図柄など日本独特の表現方法に強い衝撃を受けたといわれています。それまでの、写実的な技法を重視してきた西洋の人々には思いもよらなかった技法だったのでしょう。

19世紀に活躍した画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホもその一人です。7点に上る「ひまわり」という作品で知られるゴッホは、画商が大量に仕入れた日本の浮世絵を目にして、その絵画に魅せられました。情報のない時代、浮世絵から想像する日本に思いを馳せ、その姿を求めて南仏アルルに移住した彼は、遥か遠い日本から見る黄金の様な太陽を夢見て「ひまわり」を残しました。

現代にも、そしてこれからも残り続けるであろう「ひまわり」という素晴らしい作品を残した経緯には、日本の浮世絵が深く関係していたのです。もちろん、日本の浮世絵師達はそんなことを知る由もないでしょうが。

風が吹けば桶屋が儲かる。たとえそれがどんなに小さなことであっても、それは、思いもよらぬ誰かに影響を与えることがあるものです。

香偈をお唱えしながら焚いた香は、道具につき、衣につき、人につきます。人から人へ。

東京ではお施餓鬼の時季です。どうぞご家族やご親族とともにお寺にいらっしゃってください。あなたのお念仏する姿を見た人々にもまた、お念仏が受け継がれていくことでしょう。法然上人が残したお念仏の教えは、そうやって今の世まで続いてきたのですから。