人に伝える方法は、言葉で伝えるほかに、文字を用いて人に伝える方法があります。
父である住職がお寺を守っているなかで、「副住職のわたしでも、お寺に対してなにかできないだろうか」と思い、継続して取り組んでいることがあります。
「今月の言葉」と題し、お寺の境内にある掲示板に心に響く句や詩、文章の一部を筆で書き、毎月掲示していることです。2年間で約20枚の掲示をしてきました。
こちらは参詣者に好評で、メモにとる方や写真を撮られる方もいらっしゃいます。そういうお姿を拝見いたしますと、俄然気合いが入ります。「共感する言葉」や「いま、旬な言葉」。ただきれいに文字を並べるのではなく、強調するところを力強く表現したり、文字の配置、書体など工夫して飽きないように、「来月はどんな言葉が掲示されているかな」と期待していただけるように、毎月模索しながら作成しています。
なにも偉人だけが、素晴らしい言葉を残しているとは限りません。難しい言葉よりむしろ、簡単でわかりやすい方がスーッと心に入ってくることが多く、どんな方にも伝わりやすいのです。
例えばマンガやアニメのキャラクターのセリフが
心に響くこともあり、「今月の言葉はこれで決まり!」と即採用することもしばしばです。
また、季節に合わせて掲示するように心掛けています。今年の4月、ちょうど桜が見ごろの時に掲示しました、わたしが一番気に入っている言葉を紹介します。
「咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
この言葉にわたしが出会ったきっかけは、叔父の法話です。浄土宗総本山知恩院でのこと、旧知の布教師が、叔父の持っていた扇子に筆で書いてくださった言葉だそうです。叔父もよほど印象深かったのでしょう。何度もお説教で話されていました。
「咲いた花見て喜ぶならば」
土の養分や水分をたくさん取って、葉からは太陽の光をしっかり集めて、ようやく咲くことのできる花の尊さがあり、純粋に花を愛する大切さを読み取ることができます。
「咲かせた根元の恩を知れ」
咲いた花に感動するのであれば、咲かせるまでに至った「根」などの見えないところの働きにも感謝しなさい。といった思いが、最後の「知れ」で一層強く込められているように感じ取れます。
わたしたちに置き換えてみますと、毎日の生活に追われて、自分のことや家族のことで精一杯になってしまいますが、大切なことは、目に見える、見えないどちらも、さまざまな「ご縁」つまり関わりがあってのわたしたちであることを日常のなかで忘れてはいけないということではないでしょうか。
そうはいっても、現代社会においては真逆な考え方の人との付き合いや関わりを極端に避け、自分第一主義や自己尊重型の「個人化」という状態が急速に進んでいます。「家族葬」という言葉が生まれたのも、この「個人化」の影響といえるでしょう。生きているなかで、人との関わり「ご縁」を尊く思う気持ちが薄くなっていることは、当然仏さまやご先祖さまの尊さを感じることも希薄になってきているといえます。
目に見えるものに対しても感謝の気持ちが薄くなりつつあるこの世の中で、どうして目に見えないものに対して感謝ができるでしょう?
中国浄土教の祖であられます「善導大師さま」は、ある僧より「あなたが説かれている阿弥陀如来はわたしたちには見ることができない実体のないものではないか。やはり仏は自分の心の中に思い描くだけのものではないのか」と問われた時に、「わたしたちの目で、仏さまを見ることはできません。しかし身近なところに仏さまは常にいらして、私たちを救おうと手を差しのべられています。残念ながら煩悩の霧で視界から見えなくなっているのです」と仰せになられています。
時代が流れ、鎌倉時代に浄土宗をお開きになった「法然上人」は、この善導大師さまのお言葉を受け、ひとりでお堂にこもってお念仏をお唱えしている時にもわたしのまわりには阿弥陀如来をはじめ、たくさんの仏さまが近くにいらっしゃり、見守っていただけていると尊いことだと思い感じながら、お念仏を唱えていると弟子たちに説かれています。
わたしなりの解釈ですが、携帯電話で通話するときも、見えない電波があるから通話ができます。阿弥陀如来や諸仏、ご先祖さまの慈悲の光や救いの光は、私たちの目に見えませんが、きっと電波のように絶えず発せられているのです。圏外になることもなく、常に「バリ三本」の電波(光)で、照らし導いてくださっているのです。
日々の生活のなかで、この有り難い状態で生かされているわたしたちであるという尊さを忘れないようにしなくてはいけないと思う今日この頃です。
花の咲きほこっている時やきれいな花に出逢った時に、この句を思い出していただければ幸いです。また、お寺や神社の掲示板や寺報に書かれている「すてきな句」や「心に響く言葉」に出逢いましたら、その時はどうぞ巡り会えたことを良き思い出として大切に記憶に残していてください。掲示伝道の冥利に尽きます。
「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ」
日々有難し
南無阿弥陀仏