浄土宗東京教区教化団

平成22年2月「節分に思う」中野隆英(北部組念佛院)

     

   

 「節分に思う」

 中野隆英(北部組念佛院) 

  

 
  二月になりました。梅の花も満開に近くなり、確実に春が近づいてくるのを感じます。暦の上では二月四日(年によって日にちがずれる事もあります)が立春で季節を分ける二月三日の夜に節分の行事をするわけです。
 ですから本来節分は年に四回あるのですが、年の始まりである春の節分を大切にするのです。
 元々宮中では大晦日(旧暦十二月三十日)に「追儺(ついな)」という儀式が行われていました。
 邪気を祓い、厄災を除いて新しい年を迎えるのです。
 明治になり暦が旧暦(太陰暦・月の満ち欠けにより定める)から新暦(太陽暦・太陽の運行から決める)に変わった後、一般庶民も行うようになったのですが、なぜかお正月前の大晦日ではなく、立春の前の日に行われるようになりました。
 さて、皆様のお宅では節分に何か行事をなさっていますか。鬼は外、福は内と大きな声で唱えながら豆をまき、ヒイラギの枝にいわしの頭をつけたものを玄関にさして、直ぐに戸を閉める。大体こんなところでしょう。
 この後自分の年(数え年)より一粒多く豆を食べる。こんなところではないでしょうか。
 突然ですが次のような言葉を御存知ですか。

 遠仁者疎道
   …仁(思いやり)の心から遠い人は、人の道からも疎遠となる。
 不苦者有智
   …正しい智慧ある人になれば、苦しみのない人生を歩める。

 さてむずかしい漢文のようですが、元の文章はそのまま読むと
おにはそと ふくはうち」と読めませんか。
 鬼は外にいるのではなく自分の心の中にいるのです。愚鈍の身の私です。それを正しく自覚する事ができれば苦しみのない人生に近づいていけるのです。
 お念仏を称えれば、おかげさまの心がいただけます。なぜなら阿弥陀如来様はおかげさまの塊のような仏さまだからです。
 そのお名前を呼ぶことが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。今年の節分からは「南無阿弥陀仏」と称えながら豆まきをなさってはいかがですか。