江戸時代の俳人、小林一茶の言葉です。
人は何も持たず裸で生まれてくる。そんな中、多くの愛情や縁により多くものを得て今の自分があるというのに、これ以上、何が不足だというのだ、ということでしょう。
今、私たちの日常生活の中は様々な“もの”であふれています。新たなものや便利なものは次から次へと生み出され、また、それらの情報はテレビやインターネットをはじめ、様々な方法であっという間に私たちにもたらされます。
確かにそれらのものはとても魅力的ですし、経済的に余裕さえあれば容易に手に入れることもできます。また、多少の無理をしてでも手に入れようとする人もいるでしょう。
ところが、そうして手に入れて、一時は満足を得られても、しばらくするとまた次が欲しくなるのは人の常というものでしょう。しかしそれではキリがありません。
たとえば携帯電話。普及して30年ほどになるでしょうか。どこにいても連絡が取れるツールとして瞬く間に普及し、さらに様々な機能が付加されるたびに大きな話題ともなりました。ところがその携帯電話も今ではスマートフォンに取って代わられようとしており、そのスマホにおいては、もはや電話の機能も1つの付加価値になっているといえます。おそらく様々な機能を有効に使えている人は少ないのではないでしょうか。すでにキリが無いという状況になっているのかもしれません。
一般的にも使われている仏教語に「四苦八苦」という言葉があります。その8つの苦しみの中に「求不得苦(ぐふとくく)」という苦しみが挙げられていますが、文字通り「求めるものが得られない苦しみ」という意味で、まさに求めてもキリがないものを求め続けると、それが苦しみともなってしまうのです。
さて、とはいえ、私たちにとって“欲”は切っても切れないものですし、それがすべて悪い方向へ向かうわけではなく、何かを成そうとするときの原動力や向上心につながっているという側面もあるでしょう。
そこでぜひ実践していただきたいことは、たとえば物を買う時であれば、一呼吸ついて、「これは自分にとって本当に必要なものか」「必要以上に求めていないか」と考えること。それを少しずつでも続け、その習慣が自然と身についた時、仏教に説かれる「少欲知足」(欲を少なくして足るを知る)という意識に少し近づいたと言えるのかもしれません。
決して「最低限で満足しろ」というわけではありません。小さなことでもそれを得た喜びを知り、それに感謝できることは心を豊かにしてくれるでしょう。
新入学生や新社会人をはじめ、4月は新生活をスタートさせる方が多い季節です。しっかりと前を見て、時には後を振り返り、また時には自らの行動を俯瞰してみる。そのようにして自分自身を見つめ、自分自身を知ることで、心にゆとりが持てるのではないでしょうか。
気張り過ぎず、ほどよきところを見据えつつ、一歩一歩、進んでまいりましょう。